二十三

「きゃああぁぁああ!」

私は、ただ無様に悲鳴をあげてへたり込んでしまった。それを慌てて光也さんが抱き起こし、椅子を倒して包丁を握る太一さんと距離を取る。

「太一、ナツさんから離れろ!」

光也さんが叫ぶが、太一さんは動じることなくナツさんに向かって話しかけた。

「おい、さっきの話はやっぱり本当なんだな」

「さっきのって……美香さんの話かしら……?」

「ああ、母ちゃんが光也の親父さんを殺したってのは、本当なんだな」

「ほ、本当よ!本当!だからその包丁を下ろしてぇ!」

「そうか……やっぱりそうなのか。だとすると俺は間違ってなかったんだな」

間違ってなかったって……一体何が……私は彼の狂気に充ちた表情にただ震え、光也さんの腕を強く握った。

「罪人の母ちゃんを殺し、それを隠したくそババアも殺し!この村を裏切ったゆいも殺せた!ははははは!やったぞ!俺は正義を成し遂げたんだ!あは、あははあはは!くっははははは……ひひ……ひ……」

これは、自白……なの……?すべての犯行は太一さんがやったってこと?自分のお母さんも、仲良く話していたたえさんも、そして妹のように可愛がっていたゆいさえも、この人が殺したっていうの!?

「太一くん、お願いだから殺さないで……」

「ああ、ナツさんは殺さない」

ナツさんが一瞬胸をなで下ろした時、彼は包丁を振り上げた。私を庇っていた光也さんが慌てて飛びかかるも、既に遅かった。

振りかざした包丁は青島太一の首元に突き刺さり、鮮血が辺りに飛び散った。

「かがっ……あは……あはは……きひ.......ぐが……」

声にならない声で不気味に笑いながら、太一さんはそのまま床に倒れ込んだ。

「あ……ああ……」

「ナツさん、警察を呼んでくるから。真琴ちゃんを他の部屋へ」

「わ、わかったわぁ」

そして私は寝室へと運ばれ、すぐに気を失った。目の前で太一さんの自殺を目の当たりし、さらに残酷な真実を聞き、身も心も完全に憔悴してしまったからだと思う。振り返れば、よくあの場でそのまま倒れなかったと思う。

そしてそのまま長いこと眠り、気がつくとあの日夜中に目覚めた時のように、真っ暗な中で嫌な汗と共に眠りから覚めた。

「太一さんが……ゆいを……」

額の汗を手で拭い、起き上がる。時計は深夜に2時を指している。

「そういえば……夜鷹さん、あれから帰って来たのかな」

ぽつりと暗闇の中で呟く。夜鷹があの場にいたら、太一さんの自殺は止められたのだろうか?そしてゆいと他の二人を殺した理由を、話してもらうことが出来たんだろうか?

そしてこの事件は結局、詳細な動機、犯行方法不明のまま終わりを迎えてしまったんだろうか?

「結局、ゆいとの約束果たせなかったな」


「でも、ゆいちゃんが何故自分を嘘つきだと言っていたかについてはまだわかっていないだろう?」

この部屋の扉の向こうから、彼の声が響いた。

「なんだ、帰ってたんですね。入れば良かったのに。そこ寒いでしょ」

「うん、さっき栄吉さんと帰ってきた。もちろん彼はまた署に戻って行ったけど」

それは当然のことだった。栄吉さんは息子の太一さんが皆の前で自白をし……自殺したのだから、再び詳しい事情聴取をされているだろう。一度に二人の愛する人を失った栄吉さんの悲しみは、計り知れない」

「中入ればいいのに」

「うん、じゃあお言葉に甘えて」

私が扉をゆっくりと開けると、壁にもたれ掛かり火のついていないタバコを咥えている夜鷹がそこにいた。

「気をつかって入らなかったんですか?」

「寝ている女の子の部屋に男が侵入するのは社会的に見て自殺行為だからね。これ以上マイナスポイントを増やしたくはないさ」

「あはは、それはそうかも」

夜鷹の自虐に、また少し心が軽くなった。やっぱり彼には、人の心を汲んでそれを癒す力があると思う。そんな彼がK村と間違えてこの村に来てくれなかったらと思うと、ぞっとするくらいに。

「はぁ。やっと一服出来る」

「どうぞゆっくり休んでください、と言いたいところなんですけど、夜鷹さんは太一さんが自殺したのは知ってますか」

タバコに火をつけようとしていた彼だけど、一旦ライターを置いてうん、と頷いた。

「もちろん知ってるよ。三つの事件すべて自分の犯行だと自白した上で自殺したんだよね」

「そうです」

「君は不運にもそれを目撃した……本当に辛かったと思うよ。よく耐えたね」

「……ええ、本当に」

タバコをトントン、と床に押し付けながら彼は続けた。

「そういえば、僕が取り調べを受けてる最中にさ、隣の部屋の栄吉さんの話が聞こえてきたんだ。それにを聞くのに集中し過ぎたせいで、自分の方が疎かになったんだけど。とりあえずそれを話しておこうと思って」

「私もこう見えて情報収集してたんで共有しますか、一応。もう事件は終わっちゃったけど」

「そうだね、そうしよう。そこからゆいちゃんの嘘つきの話が見えてくるかもしれないからね」

じゃあ私から、と言ってポケットからメモ帳を取り出し、そこからたえさんの話をまずは掻い摘んで話した。

「そっか、あの二人のうちのどちらかが部屋から出ていたんだね」

「結局太一さんだったみたいですけどね」

うん、と言って顎をさすった。

「美香さんの方は結局さっぱりでした」

「そっか、まぁあの事件は謎が多すぎるからね」

そう言って彼も胸元から一枚のくしゃくしゃの紙を取り出した。

「美香さんの……過去の話は知ってるかな」

「ええ、貴美子さんとナツさんから聞きました。……ちょっと狡い手を使いましたけど」

「いいじゃないか。僕がそうしろと言ったんだし、何より真実ってのは嘘の皮で覆われてるんだから。それを暴くにはこちらだって嘘を使うしかないよ」

「ええ。で、それって美香さんが光也さんのお父さん……つまり貴美子さんの旦那さんを殺害した、って話ですよね」

「そうそう、それだよ。その話なんだけど続きがあってね」

「はい」

「美香さんはその時身篭っていたらしい」

「……はい?」

また新たな衝撃的な真実に頭を殴られた。しばらく喋れずにいると、夜鷹が先を続けた。

「でもね、彼女は出産したあと、しばらくしてからその子供を養子に出していた」

「養子、ですか……」

嫌な予感が、全身を包んでいた。もう夜鷹がその先を言わなくても分かる。ゆいは、そう。きっと……

「なんとなく察したかも知れないけど。ゆいちゃんのお母さんには子供はいない」

「う、うそ……そしたら、太一さんは……」

「そうだね。自分の妹を殺したことになる。ただし、種違いだけど」

「え、えぇ?」

夜鷹が何を言っているのかさっぱり分からなかった。情報量が多すぎて頭が混乱する。

「つまり、美香さんは健太さんの子供を身篭っていた可能性が高い。というより、栄吉さん本人がそう言ってたんだから間違いないだろう」

「つまり太一さんとゆいは、お父さん違いの兄妹だった……と?」

「そうだね。そして健太さんは最初その子供を望まなかったらしいんだ。まぁ、浮気してる人たちの間でよくある話だよ」

そんな話がこんな身近にあったことに衝撃を覚えたし、何よりあの柔和で優しい美香さんが……と考えると吐き気がした。

「そ、そんな……そしたら、もしかしたらゆいは……」

夜鷹は私のその発言を無視し、話し続けた。

「それでね、美香さんはどうしても産みたいって言ったんだ。そして話は決裂し、彼女はある決断をした」

「健太さんを殺すこと、ですよね」

うむ、と言ってようやくタバコに火をつけた。

「そして生まれて約一年後、ゆいちゃんは霧矢家に養子に出された」

「で、でも何で養子に……?」

「これについては分からないけど、僕が考える理由は二つある」

そう言って指を二本立て、一本を下げた。

「一つ目は、単純に望まれない子だったからということだ。栄吉さんからしたら浮気相手の子供を養うのは正直いい気はしないだろう」

はい、と言って頷いた。しかし、正直子供から抜けだしたばかりの私にはその気持ちはよく分からなかった。

「そして二つ目、僕はこちらの方が有力な説じゃないかと思うんだけど。ナツさんが美香さんの犯行を一部の人に話した可能性がある。そしてそれを聞いた大人たちはそれを世間と貴美子さんに隠し通す代わりにある条件を美香さんに出したんだ」

「ゆいをたえさんの家、つまり霧矢家に養子に出すこと、ですか」

そう、と言って彼はまだ一口も吸っていないタバコの灰を灰皿に落とす。

「まあ子供が出来ない家に、望まれない子供を差し出すというのは別に不思議な話じゃないと僕は思う。こういう近所づきあいが親密すぎる村では特にね」

「ちょ、ちょっと待ってください。そうすると、たえさんも嘘をついていたことになりませんか!?」

「そうだよ。むしろこの話の黒幕は彼女だ」

黒幕だって?何故そんな話になるんだ……?

「黒幕って、そんな」

「だってそうだろう、すべて揉み消してやるからうちの息子娘に子供を寄越せなんて黒幕以外の何物でもない」

「でもそれはたえさんが言ったとは限らないんじゃ……」

「ナツさん、彼女が今年帰ってきたよね」

「はい」

ナツさんは確かに、今年たえさんに呼び戻され家政婦として働くよう勧められたと言っていたが、それと何か関係があるのだろうか。

「ナツさんはね、口外しようとしたから村から追い出されたそうだよ。これも隣の取調室から聞いたから確かだ」

「えぇっ!」

「だから彼女は追放されたんだ、口封じのために。そして彼女に帰ってこいと言った、言うことが出来たのはたえさん。つまりこれって、たえさんがかつて追放したことにならないかい?」

「逆算すればそうかも知れないけど……そう決まった訳じゃ……」

「そうだね、確かにこの推理は穴があるかもしれない。でも合理的だ」

確かに、追放を宣言できるレベルの人物は帰ってこいと言える人物に他ならないことは確かである。夜鷹の言っていることはわかる……しかし……

「でも……信じたくないです」

「そうだね、わかるよ」

そう言って彼は根元が焦げたタバコを灰皿に揉みこんだ。結局、一口も吸っていない。

「そして何故ナツさんが突然呼び戻されたか、についてだけど。これは時効になったから、という理由もありそうだけど僕は違うと思う」

「はあ。じゃあ何でですか」

「そこまでは分からなかった。でも、時効だけだったら別に家政婦にまでする必要はないだろうし、無理して戻す必要もないだろう」

まあ、それはそうかもしれない。何か別の理由があってこそ、無理に呼び戻した可能性は充分にある。

「ゆいのことかな。それとも有紗さんのことかな」

「有紗……?ああ、貴美子さんの娘の」

「そうです、太一さんに殺されたっていう」

「その可能性も大いにあるね。彼女の死には謎が残っているし」

謎?もう犯人も死因も分かっているわけだし、特別謎なんてなさそうだけど……

「謎なんてありましたか?」

「あるよ、ほら。犯人が分かってるのに、その現場を見た人を僕たちは知らないよね」

「ああ!そういえば。貴美子さんも誰が見たかまでは言わなかったなあ」

「でしょ。それも口封じされてるのかは分からないけど、ナツさんが突然帰ってきたことに関係はありそうだよね」

「鍵を握るのはナツさんですか……」

うん、と二本目を取り出した。そして火をつけ、今度は口に咥えた。

「いやあ、それにしても……」

「なんです?」

六本目、一口目。

「この村は嘘が実に多いね、真実を探し出すのに一苦労だよ」

「嘘つきの、村ですか」

「そうだね、言わば嘘つき村。いや、嘘憑き村だ。悪いこととは言わないけどさ」

六本目の二口目を吸うことなく、彼はタバコを揉み消した。

「さて、落ち着いたら君も僕もこの村を離れた方がいいだろう。いい加減残った人にも迷惑だろうし、何より泊めてもらう義理がなくなってしまったからね」

「ですね……でもまだ色々調べたいです」

「うん、僕も協力したい。でもここにはもう居られないと思うな。それに、君は帰った方がいい。ご両親だってこの事件を耳にしてるはずだ。絶対に心配してる」

それはそうかもしれない。いくら私のような放蕩娘でも、殺人事件のど真ん中にいると知ればさすがに心配なのではないか。そしてもう既に予定の宿泊日数は過ぎている。

「分かりました、私は一旦帰ります。でも、必ずまたここに戻ってきて謎を暴きます」

「うん、そうするといい。謎は逃げないし時間は無限にある」

「夜鷹さんはどうするんですか」

「僕はK村でしばらく過ごそうと思ってる。そこからでも時間をかければ情報収集に来ることは不可能じゃないと思うし」

「K村、ですか」

「うん、なんだかんだ僕はまだ目的のその村に一度も行けてないから」

そういえば、夜鷹は本来K村を訪ねる予定だったのだ。栄吉さんに送ってもらった時も、結局こっちに戻っていた。

「それじゃあ、しばらくお別れですね」

「そうだね。まあまた会えるさ」

私は夜鷹にメモ帳の一ページを切り取り、携帯の電話番号を書いて渡した。

「何かわかったら連絡ください。駆け付けるので」

「了解。それじゃあ僕は部屋に戻るね。明日は早く出る予定だから、これで」

彼は私に片手を出し、別れの握手を求めた。私はそれに応じ、少しだけ強く握る。

「夜鷹さん、ありがとう。夜鷹さんがいてくれたから、皆救われてたよ」

「ん?僕何かしたかな」

すっとぼけていたわけでもなく、本当に分かっていない風だった。そんなところも彼のいい所のひとつなのかも知れない。

「あ、そうだ。夜鷹さんの本名って何なんですか」

えっ、と少しびっくりした様子で彼は手を慌てて離した。

「な、なんでそんなこと聞くのさ」

「だって光也さんも夜鷹さんの名前を聞いて冗談言うなって言ってたし、夜鷹って名前は嘘ってことでしょ」

「あは、あはは。ま、まあその話はまた今度」

そう言って彼は逃げるように部屋を立ち去った。

こうして霧矢家で起こった地獄の三日間は幕を下ろし、家に帰宅した私はまた元の補習に追われる生活へと戻るのであった。

ただし、ゆいだけはその私の日常から完全に消えてしまっていたけれど。

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