二十二
その人は、台所にいた。コンロに向かいぶつぶつと独り言を呟きながら、何かと格闘していた。
「ナツさん、こんにちは」
「わぁ!びっくりした。なんだ、真琴ちゃんだったのねぇ」
後ろから突然話しかけたから、驚かせてしまったらしい。こんな事件が立て続けに起こった後なら、まあ当然の反応といえばそうかも知れない。
「そんな顔してどうしたのかしら。そうそう、ほら。今ようやく落ち着いたからねぇ、簡単なもの作って皆に振舞おうと思ってたのよぉ。ほら、皆ほとんど作り置きのものしか食べてなかったでしょう」
やっぱりこの人はよく喋るなぁ、と思った。まあ今に限ってはその方がありがたいのだけど、やはりその立て板に水な喋りに気圧されないかは不安であった。
「ええ、助かります。楽しみにしてますね。それであの、ナツさん」
「何かしらぁ」
「ナツさん、何で村を一度離れたんですか?私はこの村が誇りとまで言ってたのに」
「ああ、それはねぇ。都会へ働きに出たのよ。この村近辺だとやっぱり仕事が無かったりするからねぇ。でも今は、というより一昨日まではたえさんが声をかけてくれたからね、戻ってきたって訳なのよぉ」
そういえばたえさんが家政婦として雇ってくれた、という話は行きの車の中でしてくれた。その時はなんの気なしに耳から耳へすり抜けてったけど……今はそれについて疑問がある。
「何故たえさんは今になってナツさんを呼び戻したんでしょうか」
「さあ、私にはさっぱり。でも雇ってくれたおかげで、生活も安定したし本当に感謝してたのよぉ」
「ナツさん、それって20年前の事件と関係してるんじゃないですか」
「えっ……?真琴ちゃん、あなた何を……」
「もう話してもいいんじゃないですか?私はそれがこの事件に関係していると踏んでます。だから、新たな情報を得る為にあなたの口からも話を聞きたいんです」
これは嘘というよりブラフ、はったりだった。なんの事件かは一切明言せず、ただ起こった年だけを伝え話し、先を促す。だから正直、聞けるとしても貴美子さんの旦那さんの話か有紗さんの話、どちらにかはまで分からなかった。しかし、両方ということももちろんある。
今までの中でもかなりリスクのある作戦、そして嘘だったと自分でも思う。なぜならこの事件が本当に今回起こった三つの事件に関係していて、尚且つナツさんがそれに深く関与していた場合、最悪の自体を招く可能性もあったから。
しかしそれ以上にナツさんが突然この村へ呼び戻されたことに不審な点があったから、それが何かしらに繋がると思ったのだ。
「そう……どこかで聞いちゃったのね。ええ、いいわよ。どうせ私は爪弾きにされた分際だしね」
爪弾き、とはどういう意味か……
「それって一体……」
「坂田貴美子さんの旦那さんである坂田健太(サカタケンタ)さんが寒い冬の夜に長い木片で殴られて殺されたわ」
健太、それが貴美子さんの旦那さんの名前だった。
「殺されたのはもちろん知っています」
「そうね、そうよね。ごめんなさい。でもね、この事実はきっとあなたは知らなかったはずよ」
次に出てくる言葉が、またも私を打ちのめそうとしているのが嫌でも伝わってくる。
「殺害した犯人はね、美香さんなの」
「な……ナツさん、な、なんでそんな」
その後に続けようとした言葉を、代わりに彼女が言った。
「なんでそんなことを知っているか、よね。それはね、私が唯一の目撃者だったからなの」
ナツさんは健太さんが殺害された瞬間を見ていた、と……?なら何故貴美子さんは犯人が見つかってないなんて言った?犯人を知っている人ならここにいるではないか……
「でもなんでそんなこと今まで黙っ……」
「おーい、ナツさんいる?」
突然甲高い声が台所に響き、私とナツさんは飛び上がった。
「真琴ちゃん、お願いだから今のは絶対に内緒にしてね」
はい、とだけ言って私たちはその甲高い声の主の方へ体を向けた。そこには、太一さんと、その後ろに光也さんがいた。
「俺たち警察の人と話してたんだけどさ、お腹すいちゃって。で、台所からいい匂いがしたから来てみたんだよ」
「何かあるならぜひ頂けないかな、ナツさん」
二人ともお腹を擦りながら椅子に腰掛けた。どうやら、今の話は聞かれていなかったらしいけど……私は胸の鼓動が異常なまでに高鳴り、心臓が口から飛び出そうになっていた。
「あるわよぉ、おしるこだけどねぇ」
ナツさんの切り替えは早かったようだけど、それにしてもこのタイミングでお餅か……と少し困惑した。
「お、おしるこかよ。まあいっか……ナツさん、餅はあんまり焼かないでくれよ。温めるくらいでいい、その方が柔らかくて美味いからな」
「僕はしっかり焼き目がつかないと食べられないんだ、お願いします」
とはいえ私も気付けばお腹がペコペコだった。一つ貰おうと思い、私はそんなに焼かなくていい、とだけ伝えた。
「わかったわ、少し待ってね。私はあまりお餅は焼かないわねぇ。この村ではあまりこんがり焼く人はいないんだけど、光也くんは昔からこんがり焼いて食べてたの覚えてるわよぉ」
「そういやそうだな、皆焼かねぇな」
うん、そうだったかも、と光也さんも笑って頷いていた。
「僕は君の真似をしてただけだと思うけどね、ほら、小さい時はなんでも君の真似をする癖があったから」
「そういやそうかもな、俺は昔よく焼いたんだった。そういえばお前、俺に続いて高い所から無理して飛び降りて、骨折ってたもんな、ははは!」
「おいおい、あれ本当に痛かったんだぞ」
他愛のない話で盛り上がる二人。今この瞬間だけ切り取れば、静かな村で過ごす仲のいいご近所さんと、その家族だけど……実際は……
「そろそろ光也の餅焼けたか?」
オーブントースターの中で加熱されていた餅を箸で取り出すと、太一さんはそれをお椀の中に放り込んだ。
「おおー、良いきつね色じゃん。細かく切ってやるからナツさん、包丁一本貸してくれる?」
「はいはい、火傷しないようにしなさいよぉ」
「あいよ」
「指も切らないようにねぇ、太一くんはおっちょこちょ……い……?」
ナツさんは何故か途中から苦しそうな声になり、喋るのをやめた。私も特に気にはならなかったけど、ふと彼女の方を見た。
ナツさんの横には太一さんが居て、手には今手渡された包丁を握っていた。お餅を切るために使うはずだったそれは、御影ナツの喉元に向けられ、切り裂かれる寸前で止まっていた。
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