九
夜鷹を連れ、私たちは台所に来ていた。もうすでにそこにはたえさんの死体はなく、椅子だけがそのままになっていた。
「……行こうか、こっちだよ」
ゆいが冷蔵庫の横にあった裏口の扉の錠を外すと、ぎぃぎぃと鈍い音を立てて手前に開いた。
「着いてきて。夜鷹さんはなるべく身を屈めてね」
うん、と夜鷹は頷いてゆいの後を腰を折りながら追った。身長が高いせいで外を歩いていればかなり目立つことは間違いないから、そうしておいた方が確かに懸命だろう。
「ちょっとここで待っててくれる?すぐ戻るから」
ゆいは家の裏手の物陰を指差して夜鷹はそこへ隠れるよう指示した。
「真琴は夜鷹さんの前に立って、なるべく彼が見えないように」
それに従い、夜鷹を隠す要領でしゃがんで隠れている彼の前に立った。
「悪いね、僕の読みが甘かったせいで」
「いいです、助けてくれたお礼ってことにしておきます」
「僕、何かしたっけ。ごめん、覚えてないや」
まあ、あなたは覚えてないかも知れない。でも一瞬でも救われた人はいるんだ。そう伝えようかと思ったけど、物音がしたので慌てて身構える。夜鷹にも私にも、緊張が走った。
「ごめんごめん、びっくりさせちゃったかな」
ゆいが申し訳なさそうな顔でこちらを覗き込み、ごめん、と舌を出した。手にはリアカーを重そうにぎしぎしと引いていた。
「ゆい、何それ。リアカーってやつ?」
「そうそう、中に重いものとか入れて運ぶんだよ」
今回そこに何が入るのか、昔から運の悪いことに関しては神がかって察しのいい私にはすぐ分かった。
「夜鷹さんを運ぶんだね」
「そうそう、よく分かったね」
夜鷹は受け入れた様子で、まあ仕方ないか、と言いゆっくり立ち上がった。
「体育座りをしたうえで、さらに横にならないと入らないかもね」
彼は身長が高いからそうでもしないと夜鷹の言う通り、オールバックの頭が箱から飛び出てしまいそうだった。
「じゃあ夜鷹さんが入ったら出発しよう。真琴、もし誰かに話しかけられても何も喋らなくていいよ。というより、それは私に任せて欲しい」
分かった、と言って重たそうに夜鷹入りのリアカーを引くゆいの後ろを警戒しながらついて行く。
まずは最初の関門、そして恐らく最大の難所を通過する。美香さんの遺体のある現場付近だ。ここを通過しないと家の前に出られないから、どこにも行くことが出来ない。
警察官の人数的にも考えて、気付かれないということは絶対にない。現場をうろうろしていたり、美香さんの遺体を取り囲んで守るように固まっていたりして、必ず誰かには見つかるだろう。しかし、なんとか切り抜けないといけない。
しかし、ゆいは何故夜鷹の潔白を晴らすことではなくて彼を他所の家で匿うことにしたのだろうか。前者の方が、時間はかかるかも知れないけど確実性というか余計な手間、もしくは疑惑は増えないように思うけど……
「ねぇ、ゆい」
「んん?」
「なんで夜鷹さんを匿おうとしたの?」
「だってさ、さっきの話聞いてた限りだと」
リアカーを引くのを一旦辞め、指を手に当てて少し考える素振りを見せた。
「おばぁちゃんが殺されたのは分かったけど、犯人に繋がる手掛かりなんて一切出てこなかったよね。つまりそれって、昨日いきなり来た完全に部外者の夜鷹さんが真っ先に疑われることになるよ」
それはそうかも知れない。ただ、夜鷹はやっていないはずだ。やって……いないはず。
一瞬嫌な不安が込み上げたが、頬を叩いて今の卑屈な考えを振り払う。
「疑わしきは罰せずなこの国の法律だけど、拘留されちゃったり冤罪だってあるよ。だから、大切な夜鷹さんと真琴には謎を解いてもらうまでは警察に捕まって欲しくないの」
大切な、夜鷹と私に、謎を?
「そっか、そういうこと。うん、ゆいの考えはわかったよ。じゃあ、皆で犯人見つけるために頑張ろう」
「うん、私も出来ることはするから、頼んだよ名探偵さんたち」
そう言ってゆいはまた前を向いてリアカーを引き始めた。いよいよ、現場の前を通る。
案の定、そこには大勢の警察官が無線で連絡を取り合ったり遺体の写真を撮ったりしながら辺りを見回っていた。緊張したのか、ゆいが一瞬足を止める。しかしすぐに歩き始め、何故か一人の警察官の方へとリアカーを引きながら近付いた。
「お疲れ様です、こんにちは」
「ああ、君はさっきの。霧矢ゆいさんだったね」
その警察官は見覚えがある顔だった。先程、玄関でゆいに夜鷹のことを聞いた男だった。
「リアカーなんか引いて、これからどっか行くの?」
「うん、坂下のおばぁちゃんにおせちお裾分けしようと思って」
まただ。また、嘘を吐いてる。
「そっか、危ないから付き添うよ?」
「いいよ。おばぁちゃんが警察の人と一緒なの見たら、私が悪さしたと思って卒倒しちゃうよ」
「はは、ごめんごめん。じゃあ気をつけて行くんだよ。まだ美香さんを襲った奴が近くにいるかもしれないから、なにかあったらすぐに呼んでね」
はーい、とリアカーを引きゆいは歩き始める。私もなんとかついて行くけど、バレるんじゃないかという緊張なんかよりも、またゆいが嘘を吐いたことがショックでたまらなくて今にも座り込んで吐きそうだった。
警察官から離れたところで、ゆいは一旦リアカーを引く手を休めてぶるぶると振った。
「ゆい、疲れたなら代わろうか」
「いい、大丈夫。それにしても緊張したなあ」
それにしてもゆいは何故あの時わざと警察官の方へわざわざ危険を犯して歩き、自ら声をかけたんだろう。普通なら、気付かれないように通り過ぎることを祈るのがベターな気がするけど。
「ねえ、なんでさっき警察の人に自分から話しかけたの?」
ああ、それはね、とゆいはまた前を向いて歩く。
「嘘をついても人は信じる。ただし権威を持って語れ。チェーホフの言葉だね」
「……えっ?」
「つまり、こそこそしながらつく嘘は信じてもらえないんだよ。むしろ大胆に、豪快につく嘘の方が信じてもらえるってこと」
「……意味が、わからないよ」
「そうかな?ううん、もっと噛み砕いていうとね……」
「そんなの違う!!」
受け入れ難い言葉に、思わず大きな声を出してしまった。後ろの警察官に気づかれたかと思ったけど、大丈夫だった。
「なんでそんなこと言うの……ゆいは嘘をつかない、正直な、自分を曲げない人だったのに」
「……ごめんね、でも言ったよね。私は嘘の塊だから」
「そんなのこそ、嘘だよ」
「……今の私の言葉はパラドックスだね。嘘つきは自分を嘘つきとは言えないから。でもね真琴、私は本当に嘘の塊。これだけは真実だよ」
何が何だか、もう分からなかった。私の知っているゆいと、今目の前にいる自分を嘘つきだと称するゆいが、まったく重ならない。今まで一緒に過ごしてきたゆいとの思い出が、私の嫌いな嘘で濁り歪んで、黒くなっていくように感じた。
この村に来てからのゆいが真実の姿で、私がよく知っていたゆいは偽物だったの?しかしその真実のゆいは自分は嘘の塊だと言って、でも私の知るゆいは嘘なんてものは絶対に吐かない人で……
本当に彼女の言う通りなら、私の知っている誠実なゆいこそが、実は嘘だったというの……?
出会った時から、今の今まで、嘘を吐き続けられていたと、そういうの?
もう、考えれば考えるだけ吐き気と目眩だけが強くなる。考えるのをやめたい。
でも、それこそパラドックスのように嘘と真実が私の中にある霧矢ゆいという人物のイメージ内で行ったり来たりを繰り返し、思考を延々に繰り返させるのだった。
「真琴。真琴?もう行こう。夜鷹さんを早く出してあげないと」
「……うん」
考えがまとまらないまま、モヤモヤとした気持ちと共にまた私たちは進んだ。
「夜鷹さん、ここからは歩かないとダメだから出てきていいよ」
いつの間にか、昨日ナツさんの車を止めていた落雪のあった場所に来ていた。ここからは確かにリアカーでは進めない。昨日私とゆいがしたように、よじ登って進む必要がある。
「ぶはぁ!」
夜鷹さんが荷台の蓋を跳ね除け、顔を出して乱れた髪をかきあげた。
「うん、やはりここの村の空気はうまいね」
深呼吸しながらゆっくりとそこから這い出ると、ダッフルコートについた埃を手で払った。
「ですよね、私もそう思います」
もう、そんな他愛のない言葉すら嘘に聞こえてしまう。そんなことで嘘を吐く必要なんてないはずなのに。
もう、ゆいの言葉は信じられなくなってしまっているのだろうか。嘘つきのゆいをこの場で責めることも、潔癖な自分を責めることもせず、ただ悲壮感に浸るだけの自分が情けなく痛いほどに悔しかった。
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