「うっ、おええっ……」

私は膝をついて、胃の中の物をすべて出してしまった。もとよりほとんど空っぽだったのに、脳が吐き出せと信号を送り続け、吐いても吐いても止まらない。

「真琴、大丈夫?真琴!」

「見ちゃ、だめ、ゆい」

嗚咽混じりにゆいに警告をする。あの姿は、あの地獄のような惨状だけはゆいに見せたくない、見せちゃいけない。

「わかった、わかったけど」

「大丈夫、だから、見ないで」

凄惨な現場を見てしまった私とゆいに気付いた警察官の一人が、慌てて駆け寄り声を掛けてくれた。

「君、大丈夫かい?具合悪かったら救急隊の人に見てもらおうか」

「いえ、多分平気です、治まります」

「そう、立てそう?とりあえずここには近づいちゃダメだから、離れようね」

またあの遺体を思い出して吐きそうになったので呻いてしまい、ろくな返事になってなかったと思うがそれに従い隊員の人に付き添われ私たちは家に一旦戻った。寝室に戻り、ゆいが私を布団に寝かせてくれた。

「大丈夫?飲み物とか、持ってくる?まだ吐きそうだったら洗面器とかあるよ」

「いや、治まってきたから大丈夫。ありがとう」

良かった、と言って今度は私の手を握ってくれた。

「美香さんだった」

「そっか……」

私は深呼吸して、自分でもまだ信じられないけど、あそこに横たわっていた美香さんの遺体の状況を話した。

ゆいは口を抑えて、辛そうに涙ぐんだ。それを見て私も泣きそうになる。自分が見てしまったことが悲しくて泣きそうなのではなく、ゆいの身の回りで悲劇ばかり起こり、それを悲しむゆいが可哀想で。

「そっか、おばさんも死んじゃったんだ」

「そう、だね」

私たちはしばらく沈黙していた。何も言えないし、言おうともしない。こんな時、誰かに縋れたらなんて思う。都合がいいのは分かってる。だけど、これほどまでの悲劇が起こるくらいなら、少しくらい小さな奇跡が舞い降りたっていいじゃないか。

例えば、夜鷹が現れて、楽しい話をしてくれて、少しでもゆいの心が晴れれば、とか。

「夜鷹さんの話、また聞きたいな」

ゆいがぽつりと零す。

「そうだね、私もそう思う」

夜鷹がもう少しこの村に滞在していたら、美香さんは死なずに済んだんだろうか。死なずに、死なずに、死な…………ず?

「美香さん、殺されたんだ」

「えっ」

「そうだよ、美香さん殺されたんだよ」

「真琴、いきなり何を」

当たり前だ。何を私は惚けていたんだ。お腹にはナイフが刺さって。あれを殺人じゃないって言うなら何が殺人なんだ?

「殺人、だ」

「真琴ちゃん……?」

「ゆい、私たちも襲われるかも知れない」

「えと、うん?」

ゆいはまだ理解出来ていないらしい。しかし、これは部外者だからこそすぐに受け入れられることだ。ゆいはまだ受け入れられてないから理解が出来ていないんだ。

「残念だけどゆい、私たちの中に美香さんを殺した人がいる」

あまりに残酷なことを言ったと自分でも思う。でも、あまりに明白で当たり前なことだった。

「ほ、本当にそうなの……?」

「絶対いる。だって、その証拠に老人以外は私たちしかこの村にいないんだよ」

「でも、村に誰か来た可能性だって……」

確かにそうかもしれない、でもその可能性は極めて低い。

「よく聞いて、ゆい。何故ならね、この村まで来るにはまず車での移動がほぼ必須なこと、この家の前には大量の雪が車の移動を阻害していたこと、そして途中から警察が来たこと。これらのせいで、外部の人間の犯行はほぼ不可能なの」

そうだ、そうじゃないか。頭の中に、自分でも信じられない早さで考えが浮かんでくる。

「いい?村の外の人間が美香さんを殺害するには車でこの村まで来て、家の前までの一本道を通過し、車を崩落している雪の前で止め、雪をよじ登り、美香さんを殺し、車に戻るという手順が必要になるの」

ゆいは呆気に取られただただ口を開けていけど、私はそれも構わず話を続けた。口に出すことで、自分に言い聞かせる意味もあった。

「何より、途中からはパトカーと救急車が来ている。この村は一本道だから、パトカーが村の入口に来た時点で犯人は詰み、すぐ見つかっちゃう。そして美香さんが部屋を出て台所に行ってから戻って来ないことに気付くまで10分以上は経過しているから、最短でもその10分で犯行を成し遂げないといけない。それで、パトカーが来たのは美香さんが消えてから15分後、つまり車に戻り、村を完全に抜けるまでたった5分しか猶予がない。それはどんなに急いでも不可能だよ」

ゆいは私があまりに長いこと自分の推理を力説したせいか、きょとんとして困った風に頭をかいた。

「えっと、ごめん。私バカだからな……ちょっとよく分からなかった」

「信じたくないかも知れないけど、私たちのうちの誰かがやったんだよ」

ゆいは困惑した様子だったが、すぐに何かを思いついたようだ。

「でもさ、K村からなら長いこと頑張れば歩けるよ?だからK村の人がやってきたって可能性は……」


「その可能性はないよゆいちゃん、犯行の帰りにK村に歩いていれば駅の方から来るパトカーに必ず見つかる。反対方向からは、街から来る救急車だ」


「……は?」

私は一体今何が起こったのか理解できなかったし、その聞き覚えのある声の主がどこにいて、なんで今ここにいるのかがさっぱり分からなかった。

「夜鷹……さん?」

「やあ、どうも」

くぐもってはいたが、優しい声が押し入れから響いていた。

「夜鷹さん!」

ゆいが飛び上がり押し入れの戸を開けようとしたが、待って!と夜鷹がそれを制した。

「待って。僕は今バリバリの容疑者だからね、あまり表に出て見つかりたくないんだ」

「夜鷹さん、どうして……というかどうやってここに?」

「話すと長くなるんだけどね……ちょっと栄吉さんに嘘をつかせてもらった」

あの夜鷹さんでさえ嘘をつくのか……と少しだけ幻滅してしまったが、この状況で夜鷹さんの登場は本当に嬉しかったし、心から安心した。何故だか分からないけど、彼がいると分かっただけで救われるような気持ちだった。

「それにしても宗田さん、見事な推理だったね。きっとポアロ、ホームズ、金田一もびっくりするだろう」

「茶化すのはやめてください、それより何でここに残ってたんですか?」

それはね、と言って押し入れの中で寝転がる音が聞こえた。

「たえさんの死が、殺人じゃないかと思ったからだよ」

「たえさんが……殺された?」

「うん、そう。さすがにさ、故人の口をがばっと広げて中をしっかり見ることは僕には出来なかったけど、口から垂れてた分のお餅と、開いた口の中に見えたお餅。これらだけを見ても明らかにおかしかったんだよね」

おかしかった、とは一体どういうことか。

「量が多すぎたんだよ、どちらも。普通お餅を食べる時ってさ、口に入れる時は細かくしてから一つずつ食べない?」

「さすがにそうですよ。好物を食べる時みたいに大きく一口で、なんて食べたら若者でも詰まります」

「だよね、それなのにたえさんの口にはちらっと見ただけでも、喉の奥が見えなくなるくらいお餅が入ってたんだ。これってどういうことだろうね」

ゆいは分からないようで、さぁ、と首を傾げた。

「さすがにあの量は自殺行為だ。というより嚥下どころか咀嚼することすら困難だろうね。そうすると自分で入れたとは考えにくい。なら、残るは?」

「人に、無理やり入れられた……?」

そうだね、と言って夜鷹は寝返りを打ったのか壁にがつん、とぶつかっていた。

「いてて。ちなみに、それ以外にも殺された可能性を示唆する証拠はあったんだよ」

他に……というと、夜鷹が気にしていたことだろうけど、なんだったっけな。

「あ、あれですか。黒豆」

ゆいが先に思い出し、夜鷹に確認した。

「そうそう、黒豆のこと。多分だけど、黒豆のアク取りに集中してた時に後ろからお餅を口に入れられて、勝手に飲み込んで喉に詰まるまで口を塞がれたんじゃないかな、と思ってる」

しかし、その殺し方には疑問も残る。

「言い方が悪いかもしれないですけど、そんな変な殺し方して犯人になんの得があったんですかね」

「恐らく、犯人としては事故に見せかけたかったんだろうね。夜中にお餅を喉に詰まらせて、って。でも予想以上に暴れたんだと思う、そのせいで近くにあった野菜が入った箱に犯人、もしくはたえさんの体がぶつかって床に散らばった。そのせいでさらに現場の状況に不自然さが際立ってしまったんだ。まあ、あのお餅の量とアク取りがされていなかったままの黒豆の時点で気付くべきだったけど、まさか自分が殺人事件に遭遇するとは思わなかったからね」

それは私もまったくそう思う。自分がまさか殺人現場を見るなんて、夢にも思ったことは無い。しかしそうか、犯人とたえさんが争った結果、それで箱から野菜が散らばってたのか。つまり話を要約すると犯人はコンロの前にいたたえさんを襲い、殺した後に椅子に座らせたってことだろうか。一連の流れを見るとどうやら犯人はたえさんの殺害に関しては事故死に見せたかったらしいけど、今回の美香さん殺しは違う。

「でも、今度の美香さんの殺人は隠そうなんて気はさらさら無さそうですけど」

「そう、そこが謎なんだ、本当に謎」

夜鷹は参ったね、と呟きながら中でゴロゴロと転がっているらしい。

「人間ってさ、普通やることに一貫性があるはずなんだよね。明確な目的があるなら尚更なんだけどなあ」

夜鷹は納得がいかない様子でううん、と唸った。

「それより夜鷹さん、これからどうするんですか?周り警察だらけだし、家宅捜査とかありますよね、きっと」

「そうだね、恐らく。正直な話、警察がこんなに早く来るのはたえさんの検死が終わってからじゃないかなと思ってたんだけど……読みが甘かった、というより運が悪かったよ」

またも寝返りを打ったらしく、ごつごつと押し入れから鈍い音がした。

「私がさっき言いましたけど、この村から警察に見つからず逃げることはできませんよ」

すると夜鷹は仕方ないかあ、一旦お縄になろう、と戸がガコガコ、と開こうとしたが、突然ゆいが待って、と制した。

「逃げられはしないかも、でもやりすごせはするよ」

「えっ、ゆい、それどうやって?」

あのね、と少し自信ありげな風な表情で言った。

「隣のK村でお正月のイベントやってるでしょ。家の人が誰もいない家がたくさんあるから、そこを借りよう」

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