栄吉さんと夜鷹が去ってからかなりの時間が経ったように思う。私たち女性陣は同じ部屋で時間が過ぎるのをただただ待った。

「おばぁちゃん……」

ぼそり、とゆいが呟いて膝を強く抱え込んだ。私は肩に手を回し、強く引き寄せることしか出来なかった。

「皆お腹空いたよね、私何か冷蔵庫から取ってくるよ」

美香さんが疲れた皆のために気をつかってくれたのか、立ち上がって廊下へと歩いていった。多分、台所にいるたえさんの亡骸を見せないためでもあるんだろうけど。

「ありがとうございます、手伝いましょうか」

「いいのいいの。お客さんなんだからゆっくりしてなさいな」

正直たえさんのあの姿を見るのは辛かったので、すみません、とお言葉に甘えて頭を下げておいた。

「じゃあ私行くよ」

ゆいが立ち上がったが、肩を手で抑えられて優しく制された。

「いいから、おばさんに任せて」

そう言って美香さんは空になったお盆を手に台所へと歩いていった。

「美香さん、優しいね」

「……うん、手伝うって言ったけど。本当は台所行きたくなかったから、断られて良かったって思っちゃった。ずるいね、私」

ゆいは昨日のお風呂の時からだろうか、たえさんが亡くなってからだろうか。嫌に弱気になってしまっている。それが酷く心配で、私まで不安になってしまう。

「そんなことない。ゆいは強いよ」

「そうかな。どうしてそう思うの」

「だってゆいはいつも正直で、本当のことを喋ってくれる。それって心の芯の部分が強くないとなかなか出来ないことだと思うよ」

「正直、ね……」

ゆいは俯いて口を開いたが、すぐに閉じてしまった。

「どうしたの」

「そうなら、良かったのに」

それは果たしてどういう意味なのか、私には分からなかったし、聞いて良いことなのかわからなかった。

「私はね、嘘で塗り固められた、ううん。むしろ芯まで嘘で出来た人間なんだよ」

「それってどういう……」

そう言いかけたところで、突然扉が開いたのでその答えを聞けずに会話は強制的に終わった。

「あれ?母さんここにいないの?」

太一さんだった。どうやら彼は栄吉さんと一緒に街まで出掛けていた訳では無かったらしい。

「今ちょうど台所へ食べ物取りに行きましたよ」

するとそれを聞いた太一さんは首を傾げ、おかしいな、と言って台所へと美香さんを探しに行ったようだった。

「太一さん、家に残ってたんですね」

「みたいだね、太一のやつ何やってたんだろ」

太一さんはしばらく戻って来なかった。しかし入れ替わりで、光也さんが部屋に訪ねてきた。

「あれ、光也にいもいたの」

「うん、結局栄吉おじさんと夜鷹さんだけ行ったみたいだね」

「ふうん、太一と光也にいは何してたの」

ああ、と顎を撫でて光也さんは答えた。

「僕は部屋で本を読んでたよ、宮沢賢治のよだかの星ってやつ。彼はわからないな、でもちょうど今、腹減ったって台所行ったよ」

ん、よだかの星……?どこがで聞いた名前だが……

「なんだ、太一とは一緒にいた訳じゃないんだ」

「そうだね。彼とは昔馴染みだし、別に気が合わない訳じゃないんだけど、共通の趣味がないから長くは話が合わないのさ」

そう言って光也さんは囲炉裏の間の方へと向かった。その本のことを詳しく聞きたかったけど、太一さんと美香さんが戻って来ないことの方が気になったので、後で聞くことにした。


「美香さん、そういえば遅いね……」

「うん、見てこようか」

私とゆいは立ち上がり、いつの間にか寝ていた貴美子さんを起こさないようにして部屋から出た。

台所に向かおうと廊下を二、三歩進んだところで、玄関から誰か入ってきたらしく、かなりバタバタとかなり大きな音がした。

「栄吉おじさんかな?」

ゆいが玄関の方へと振り返り、歩き出したのでそれを追った。しかし、玄関にいたのは栄吉さんではなく、制服を着た数人の警察官と救急隊員たちだった。


「わ!びっくりした」

ゆいが少し後ずさると、救急隊員はそれに気付き、ごめんごめん、と手を合わせて謝った。

「突然ごめんね。お婆さんのご遺体は、どこかな」

「奥の突き当たり、台所です」

「ありがとう。おい、奥の台所だ。担架用意」

キビキビとした動作で台所へと向かう隊員達。

数分後、たえさんの亡骸が担架に乗せられて家から運び出された。そして隊員の一人が玄関にいた警察官に何か耳打ちをして、去っていった。



その後ろから遅れて警察官が私たちの前に立った。

「少しお話を聞かせてもらってもいいかな」

「え、ええ。どうぞ」

警察官は胸元からメモとボールペンを取り出し、また私たちの方へと向き直る。これはいわゆる事情聴取ってやつなのだろうか……

「君が霧矢ゆいさん?」

「はい、そうですけど」

「昨日、変な男が突然吹雪の中来て、泊まらせてあげたって本当なのかな」

「……はい、それが何か」

その質問に、ほんの少しだけど何か嫌な予感がした。それはゆいも同じのようだった。顔がひきつって、眉を顰めている。

「その男、何か不審なこととか、言動、動きはなかったかな?」

「全くないです」

「ふうん、その男、今どこにいるの?」

「駅に行ったと思うから、そこから移動してるはずです」


え……?


「駅ってS駅?」

「ですね。地元のA県に帰るみたいな話してましたし」


あれ……何か……違和感が……。

頭がぐらぐらと、揺れる。

今自分がどうやって立っているのか、わからない。


「そうなんだ、ありがとう。その男の容姿とか名前を教えて貰ってもいいかな」

「はい、名前は田村って言ってました。身長は165くらい、ガタイはいいほうです、中肉中背ってやつなのかな」


ゆいは、嘘を、吐いていた。

あの正直で、本当のことしか言わない、自分を曲げることのなかったゆいが、嘘を。


警察官は肩に取りつけているインカムで本部に連絡を入れていた。


「こちら藤田です、本部へ。不審な男は名前、田村、中肉中背、身長165くらい……」

それを聞きながら、私は吐き気と目眩で今にも倒れそうだった。ゆいが嘘を吐いたことがあまりにもショックで、悲しくて、悔しくて。


「じゃあ、今のところはこれで。また何か話を聞きに来るかも知れないけど、その時はまたよろしくね」

そう言って警察官は玄関から出ていった。

横にいたゆいは歯を食いしばり、悔しそうに涙を零しながら下を向いていた。


「くそっ、なんで……」

「ゆい……」

「夜鷹さんは悪い人じゃないのに、あいつら、まるで、夜鷹さんを怪しい不審者みたいに……」

「ま、まだそうだと決まったわけじゃないよ。早まりすぎだって」

ゆいが吐いた嘘ははっきり言って悪手だったように思う。別に本当のことを言ったって、別に悪いことは何もしていないのだから例え事情聴取をされたっていずれは解放されるはずだ。良く考えればそれくらい分かりそうなものだけど、ゆいは余りにも疲れて正常な判断が出来ていないのかもかもしれない……

「夜鷹さんは、私たちに楽しい話をしてくれて、辛い空気を和ませてくれたんだ。そんな人に嫌な思いはさせたくない」

「でも、何も嘘までつかなくたって」

「助けてくれた人に迷惑がかかるくらいなら、私は嘘くらい簡単に吐くよ」

私はその言葉に、何も返せなかった。これが、優しい嘘ってやつ、なのか。例えゆいの理解者でありたいと小さい頃から思ってきた私でも、それだけは理解ができなかった。


二人でその場から動けずにいると、外が騒がしくなった。

「……なんだろ」

「行ってみようか」

外は雪こそ降っていないものの、とてつもなく寒かった。コートを着ようかとも思ったけど、騒がしさが拍車をかけて大きくなったので構わずそのまま走った。

「あそこだ」

そこは家の真裏にある、丸太や焚き火で使用する枝木、薪などが置かれている、山の影で少し暗くなっている場所だった。そこに警察官、救急隊員が集まって何やら大声で叫んでいる。

「もう、いや」

ゆいが苦痛に満ちた顔でそう呟いた理由は恐らく三つある。


一つは、ナツさんが涙を流し呆然と立ち尽くしていたから。

一つは、栄作さんが地に蹲って大声で喚き、苦しそうに泣いていたから。

一つは、太一さんがお母さん、と何度も叫びながら警察官の静止を振り切ろうとしていたから。

図太い私にだっていくらなんでももう分かる。

きっと私たちの目の前にいるのは、もう既に生きている美香さんじゃない。

一瞬、周りを囲っていた警察官が暴れている太一さんを止めるために少しその場を離れた。そこから、すべてが見えた。地獄が見えた。そう、見えてしまったんだ。


初め、倒れているそれが本当に美香さんなのかは分からなかった。しかし、来ている服も、靴も、美香さんの物であったから、間違いない。

やはり、美香さんは亡くなっているのだ。

それは腹部のあたりから、木製の柄があるナイフのようなものが突き刺さり伸びていたから一瞬で分かった。

辺りの純白なキャンバスに紅い花弁を散らして天を仰いだままの青島美香は、その見開いた目で一体何を見ながら絶命したのだろうか。

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