六
ううん、と一瞬唸ったあと夜鷹はお茶を飲み干し、ゆっくりと口を開いて話し始めた。
「正直、職も家も人もなくした僕なんかの話に価値があるかどうかはわからないけど、そう言って頂けるのは本当に嬉しいです」
彼はぺろりと軽く唇を舐めてからタバコの箱を胸ポケットからつまんだが、はっとした様子ですぐに取り出すのをやめた。
「昨日は確か、誰かが幸せになると誰かしらにそのしわ寄せが起こって誰かが不幸になる、ってお話を僕のことを混じえてお話したと思うんですけど」
一同は黙って夜鷹が話す様子を見ていた。皆恐らく、悲しい現実から少しでも離れたいと思っているのも知れない。藁にでも、というよりこの場合は無職の男の話にでも縋りたいといった具合か。
「今回は……そうですね。やはり明るい気分になるような話……そうだ、あれにしよう。働きアリの法則」
「働きアリ……?アリって、昆虫の?」
美香さんが困惑した様子で聞き返した。
「そうです、あのアリです」
「私ムシは嫌いなの」
貴美子さんが自分の体を両手で抱いて、震えてみせた。
「大丈夫です、アリの話ではあるんですが、アリの生態をただ引用するだけです」
「なら、大丈夫かしら。亡くなった旦那が昔、私に採ってきた昆虫をよく見せたんだけど、それが嫌でね。まだトラウマなの」
貴美子さんは過去を思い出し、嫌そうでもあったけど何故か微笑んで懐かしそうにもしていた。
そういえば、昨日から貴美子さんの旦那さん
、つまり光也さんのお父さんでもあるけど……を見ていなかった。そうか、先立たれてしまってたんだ。
「でしたか。怖い話ではないですよ、なんとか頑張って元気のでる話にしてみせます」
「うふふ、お願いね夜鷹さん」
改めて夜鷹は手のひらを擦り合わせ、咳払いをしてから話を再開した。
「皆さんご存知の通り、アリっていうのは集団で生活をする昆虫です。大きな巣を作ったりしてるのをテレビとかで見た事があるかもしれません。そしてそのアリには働きアリといって、食料を確保したり女王アリが産む子供の世話したりする奴らがいます」
皆真面目に話を聞いていた。やはり、夜鷹さんは話すのが上手いな、と思った。特別内容がずば抜けてるとか、導入が上手いとかではないはずなのだけど、人を引き込む何かがある。彼なりの話術なのだろう。
「そして彼ら、働きアリって名前の割にサボってる奴らがなんと全体の二割もいるそうです」
「えーっ、働きアリなのに?」
美香さんが思わずびっくりしていた。
「ええ、そしてよく頑張ってるのが全体の二割、あとの六割は普通に頑張ってるアリです」
「それじゃあ働いてない奴らはある意味ラッキーだね、仕事サボれるし」
ゆいが少し笑いながら夜鷹に言った。元気が出たのかは分からないけど、少し気は紛れているみたいで良かった。
「そして面白いのがここからなんです。そのサボってる奴らだけを集めて、他の八割の真面目な奴らと完全に別にしてしまうと、どうなると思いますか」
うーん、としばらく悩んだあと貴美子さんがそうねぇ、と自信なさげに答えた。
「やっぱりその子達は仕事しない気がするわね。だってそういう子達だったんでしょう、もともと」
夜鷹が残念、という意味で人差し指を左右に振った。
「驚かれるかも知れませんが、なんと彼らは働き始めたんです」
ええっ、と私を含め全員が驚く。
「しかし、またも二割はサボってたそうです」
「じゃあ、他の二割はしっかりやって、後の六割は普通に頑張ってたとか?」
「ご名答です、そしてこの話には続きがあって」
うんうん、と皆で先を急かす。
「これを何回やってもやはり二割はサボったそうです。しかし、別の二割はしっかり働いた」
へぇー、と全員が感嘆の声を漏らした。特に貴美子さんはこの話を気に入ったらしく、手を叩いて感心していた。
「僕は、この話は人間にも当てはまると思っています」
この話には続きがあった。全員が崩した姿勢を正し、また聞く体勢をとる。
「昨日の幸せの話とやはり同じなんですね。二割はとても幸せ、六割は普通、あとの二割は、不幸」
「でも、不幸って人が決めることじゃないよ」
ゆいが、少し食い気味に言った。
「ええ、それは僕もよくわかってます。ここで言う不幸っていうのは、自分で不幸だと嫌でもそう思ってしまう人、だと認識してください」
うん、とゆいは言ってまた黙った。
「その不幸な人を、不幸な人のグループを作って生活してもらうと同じことが起きるんです」
「でも、さすがにそれを検証したことは誰もないだろうし……」
「ええ、でしょうね。ただ経験ある方もいるんじゃないかな、学校の成績によるクラス分けとか」
ああ、と私は思わず声をあげていた。
「確かに、それならかなり近い喩えかも。私もそれあったけど、一番下のクラスだとしてもトップになれれば嬉しかったよ」
「あれが一番いい例なんですよ。成績が悪い、もしくはサボった子たちは自然とクラスが下がるからね。それに、全員が一斉に勉強をサボったなんて話はあまり聞かないでしょ?」
うんうん、と一同は強く頷く。
「つまり人間にも当てはまると仮定すると、不幸な人たちのコミュニティであっても、そこには必ず二割の幸福な人が現れるんだ。良い意味でも悪い意味でも、格差が生まれるからね」
「なんか、少し希望の持てる話ですね」
夜鷹はそのまま続けた。
「幸福な人達の中で争ってたら絶対に負ける。言い方は悪いけど、高望みせず身の丈に合わせれば幸福になれるチャンスはあるんだよ、それも何回だって」
皆は黙っていたけど、多分夜鷹の話に少なからず感謝の念が湧いていたはずだ。少なくとも、私たちの気分は幾らか紛れていた。
「夜鷹さん、少し元気が出ました」
貴美子さんがそう言うと夜鷹は、満足そうに笑って良かった、と言った。
それから私もお礼くらいは言おうと思った時、背後の扉ががらがらと開いた。
「なんだ、皆ここにいたか」
栄吉さんだった。
「これから街に降りてまずは交番に行くことにした。K村なら絶対に行けるから、あんたさえ良ければ送るぞ」
「栄吉さん、ありがとうございます。出来たらお願いします」
夜鷹とお別れの時間がやってきた。短い間ではあったが、彼の話には皆、精神的にかなり救われたはずである。本音を言えばもう少し話が聞きたかったが、仕方がない。
「夜鷹さん、本当にありがとうございます」
ゆいがお礼を述べ、頭を下げた。
「僕の方こそ、泊めてもらってご飯まで頂いて。ありがとう」
夜鷹は立ち上がり、扉の前でこちらに手を振った。そのまま、扉を抜けて嵐のように去っていく。またいつかどこかで会えたら、話を聞きたいと思った。
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