四
「何事だよ、食事時に」
栄吉さんが左腕につけた腕時計を見やる。
「おいおい、正月のこんな夕方に、今まで誰か訪ねてきたことなんてあったか?」
全員がない、ないわね、と呟いている。外は叩きつけるような雪から、猛吹雪に変わっているのが囲炉裏の間の壁に嵌め込まれた小窓からも見えた。こんな中を訪ねてくるってことは、余程の緊急事態じゃないと有り得ないと思った。村の誰かの具合が悪くなってしまったとかだろうか……?
「おい、男ども。着いて来い」
栄吉さんのその言葉に従い、太一さんと光也さんは玄関へと向かった。
「女性陣はここにいろ、何があるかわかんねえ」
そう言い残し、栄吉さんも玄関へと走った。
「何があったんだろ……?」
「わかんないや、でも大丈夫だよ。あの三人多分喧嘩強いし」
流石に暴漢ではないと思うけど、その可能性も充分にあった。一体訪ねてきたのはどこの誰で、何が目的なのか。
鼓動が少し早まるのがわかった。皆食事の手も止まり、黙り込んでしまう。
しばらく沈黙が続くと、栄吉さんだけが帰ってきた。しかし怒った風でも、焦った風でもなく、どちらかと言えば困惑した様子でうーんと唸っていた。
「栄吉、どうしたん」
「たえさん、あの……なんか変な奴がきた」
変な、奴?どうやら人が来たってことは分かった。しかし、何が変なのだろうか……栄吉さんの様子を見るに、特別緊急の用事ではなさそうだけど。
「たえさん、申し訳ないんだけど来てくれる?多分たえさんに話し通さないといけんから」
お婆さんはまだ一口も食べていない丼を床に置いて、扉を抜けて玄関へとゆっくり歩いていった。
「人が来たみたいだね」
ゆいがお雑煮をつつくのを再開し、お餅を噛みながら言った。
「でも、緊急事態じゃないみたいだけど」
「まあ、待ってれば分かるよ」
早く詳細を知りたかったがゆいの言う通りだったので、とにかく今はお雑煮が冷めてしまわぬうちに食べてしまおうと思った。
しばらくして、何人かの足音が玄関から聞こえてきた。戻ってきたらしい。
「おばぁちゃん、大丈夫だった?」
「ああ、大丈夫だ。それでな、お客さんが増えたから、紹介するわな」
栄吉さんが警戒した様子で囲炉裏の間の方を手で示し、どうぞ、と言った。
そして後ろから、灰色のダッフルコートと茶色いマフラーを身につけた私より少し年上に見える男がぺこりとお辞儀をして部屋に入ってきた。
男は座ると、誰に言われるでもなく突然自己紹介と身の上話を勝手に始めた。それにしてもこの男、大人びた顔をしているせいなのか異様に高い身長のせいなのかはわからないが、丈の合わないダッフルコートと変な蛇のような柄のマフラーが実に似合っておらず、そのうえ髪は長髪のオールバックだからどこか威圧感がある。一目で変な奴だとわかるし、栄吉さんがそう言ったのも簡単に納得出来る。
「突然お邪魔して申し訳ないです。僕は夜鷹一蔵って言います、よろしくお願いします」
それを聞いた光也さんがおいおい、と声をあげた。
「夜鷹一蔵(ヨダカイチゾウ)だって!?君、それまさか何かの冗談じゃないよね?」
私にはなんの事だかさっぱりだったけど、光也さんには冗談に聞こえるだけの理由があったらしい。
「いえ、本名です。事実、よく馬鹿にされます」
「ふうん……まあいいです。続けてください」
「はい、私N県に住んでいたんですが、実はつい最近家を追い出されまして」
全員、何を言っているんだこいつはと言わんばかりに唖然としていた。声を出そうとしても出ない、と言った感じである。
「職場を首になって、貯金を切り崩して家賃を支払っていたんですけどね。まあ、無くなってしまいまして。強制退去ってやつです」
「そ、それで」
栄吉さんが先程の元気はどこへやら、頭を抱えて目も合わせずに夜鷹に聞いた。
「それで行くところがないもんですから、仕事を探しながら旅に出ようと思ったんです。で、人手不足って聞いたK村に行ってみようと思ってここに来ました」
「K村は隣の村だ馬鹿野郎……」
多分そのK村がさっき車の中でナツさんが言っていた観光客がよく行く村なのだろう。まさかそことこの村を間違えたと……?
「あらら、そうでしたか。ここからどれくらいですか?まだ宿と食事処がやってるといいんだけど」
「あの……隣の村までは車でも30分以上かかります……それにですね、この猛吹雪じゃ車どころか歩くことすら……」
貴美子さんが恐る恐る、夜鷹に言った。
「ええっ、参ったな」
参ったのはこっちだよ、とこの場にいる全員が思ったに違いない。
「というよりあんた、吹雪の中どうやってここまで来たんだよ」
「駅でヒッチハイクしたら、この村の入り口で降ろされたんです。で、途中から歩いてきました」
恐らく村の名前を間違えて伝えたんだろうな……運がないと言うか、下調べが足りないというか。
「で、これからどうするのあんた」
お婆さんがため息混じりに聞いた。
うーん、と唸ったあと彼は、
「もし馬小屋とかあったら貸してほしいです、一晩だけでもそこに泊めて頂きたい。布団は散らばってる藁を使わせて頂ければ」
と実に素っ頓狂なことを言った。
「いいよ、もういいわ、あんた一晩だけ泊めてやる。だけど年頃の女の子もいるからな、あんたは太一と光也の真ん中に布団敷いて寝れ」
えっ、と彼は驚き、何度も頭を下げた。
「すみません、すみません、ありがとう」
「ただし変なことしてみろ、それこそ馬の餌だからな」
栄吉さんがドスの効いた声と共に夜鷹の肩に腕を回して威嚇していたけど、宿が見つかった事の方が嬉しいらしく特にそれを気にしている様子はなかった。
「お正月なのに、すみません」
夜鷹がお雑煮を頬張りながらもう一度皆に謝った。
「いいて。あんたを追い返して、家の目の前で死なれる方が嫌だの」
はは、と笑うと彼はまた嬉しそうにお雑煮をつついた。
「美味しいです、このお雑煮」
「そうけ、良かったな」
あ……そういえばお婆さん、この騒ぎでお雑煮一緒に食べられなかった。少し残念だったけど、明日はおせちが出るらしいからそちらでご一緒させてもらおう。
「あんた、無職なんか」
栄吉さんが夜鷹に聞いた。
「はい、昔は働いてましたけど」
「首になったって、なんかやらかしたんか」
いえ、と彼は首を横に振った。
「新しく入った社員の子だったり、あとは有能な派遣の人だったりに成績を追い抜かれて、かなりの月日経ってしまったんです。それで、自分から辞めるように遠回しにクビにされました」
それを聞いて、思わず私ははっとした。今日私が電車の中で考えていたことそのままが、目の前の夜鷹に降りかかっていたのだ。誰かが陽の光を求めれば、誰かは暗闇の中で過ごさねばならない。それを体現した例が、今まさに目の前にいる。
「それじゃ会社が憎いだろう」
「でもそれは仕方ないんですよね、皆で仲良くってのは人間出来ないんです。誰かは必ずハブられるように出来てる。というより、ハブにしたところから皆に分け前を与えている様なものです」
極論な気もしたけど、その意見に概ね納得してしまった。
「それでつまり何が言いたかと言うと、僕がクビになったことで誰かの給料が上がって誰かが採用され、誰かが首にならずに済み、さらには会社の業績も上がるってことでもあるんです。つまり、こうしたベネフィットを得るためには誰かしらが犠牲にならないといけない。だから別に僕は会社を恨んでもないし怒ってもないんですよ」
栄吉さんはそれを聞いて、不思議そうな顔をした後に少し笑った。
「あんた、変わってんな」
「はは、よく言われます」
ふとお婆さんが立ち上がり、私とゆいの肩を叩いた。
「ほら、先に風呂入っちまいな。あいつが覗かないように見張っちょるから」
はい、と答えてゆいに続いてお風呂場へと向かった。なんとなくあの人はそんなことはしない気がしたけど、念には念をということでお言葉に甘えることにした。
お風呂は木造建築の家からは想像出来なかったけど、普通の大きめなユニットバスだった。とはいえ二人で入るだけの大きさは流石にないので、シャワーと湯船を交代で使うことにした。
「懐かしいね、よく小さい頃は真琴の家に泊まらせてもらった時、一緒にお風呂入ったよね」
湯船に浸かりながらゆいが呟いた。
「そうだね。懐かしいなあ」
「真琴はさ、あの頃に戻りたいとか思ったことある?」
突然奇妙なことを聞かれたものだから、返答に迷ってしまった。シャワーを一旦止め、鏡に映る自分を見ながら答える。
「たまにあるよ。でも本気では思わない、楽しかったことを思い出すだけで満足だから」
「そっか、普通はそうだよね」
普通は、ということは。
「ゆいは違うんだ?」
「うん、戻りたい。出来ることなら、真琴と出会う前からしっかりやり直したい」
私と出会う前から、の部分が嫌に引っかかった。
「出会う前から?」
「そう、性格をもう少し直してから出会えれば、もっと色々変わったかもしれないから」
「でもさ、ゆいがその性格じゃなかったらそもそも私たち友達じゃなかったかも知れないよ。ほら、最初に私が話しかけた時のこと覚えてる?」
ゆいはもちろん、と言った。
「覚えてるよ。でも、そう言われてみればそうだね。私がああ言わなかったら、喧嘩にもならなかったし、仲良くもならなかったかも」
だから。
「ゆいのその正直で嘘をつかない性格があったから、私とゆいは友達になれたんだよ。いつか私ゆいに皆と仲良くしたいなら彼らに合わせろなんて言ったけど、あれ酷く後悔してる」
ゆいは立ち上がって、シャワーを私の手から優しく取った。
「後悔なんてしないでよ、あれだって真琴は正しいことしか言ってないじゃん。結局私はそうしなかったけど、私のことを思って言ってくれたのはよくわかってる」
ゆいの口から、いつもとは違う優しく暖かい真実の言葉がほろほろと零れていた。
「さて、頭洗おうかな。真琴、一番風呂貰っちゃってごめん、お客様優先のはずなのにね」
いいよ、と言ってゆっくり湯船に浸かる。
目がじんわりと痛かったのは、シャンプーのせいだろうか。
お風呂からあがった私たちはお婆さんから言われた部屋へと廊下を進んだ。玄関から見て囲炉裏の間の右斜め前、台所の手前にあたる部屋に二人分の布団が既に敷いてあった。
「明日は何時に起きようか」
「朝ごはんの時間の一時間前くらいにする?」
その提案に賛成し、ゆいの持ってきた目覚ましをセットしてもらった。
「ありがとう、じゃ、寝ようか」
「うん、おやすみ」
蛍光灯の紐を二度引っ張り、部屋は真っ暗になる。互いに布団に潜り込み、目を瞑る。
ゆいの寝息が聞こえるまで、時間は要さなかった。
それを聴きながら、私も追って眠りについた。
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