その男はこちらを見るなり二カッ、っと白い歯を見せて笑ってみせると、

「よう、あんたがゆいちゃんか?俺は太一だ、よろしくな」

とゆいの頭をわしわしと撫でた。

「そうだけど、って。やめてやめて、太一兄ちゃん」

彼は手を叩いて笑ったが、言動や態度から下品さはあまり感じられず、全体的に気のいいお兄さんのような印象を受けた。

「おっ、この子が友達か」

「うん、そう。宗田真琴ちゃん」

初めまして、と軽く挨拶をし、お辞儀をした。

「おう、俺は青島太一(アオシマタイチ)っていうんだ。ゆいちゃんとは血縁ではないんだけどな、同じ村出身で歳も近いのにあんまり関わりはなかったから、実質二人とも今日が初めましてだな」

「へえ、そうなんですね。あ、これお土産です。お口に合うかわかりませんけど」

私は鞄から母から持たされた小箱を取り出し、太一さんに手渡した。

「おー、こりゃ気を使わせてすまないな。たえさんに後で渡してからぜひ皆で頂こう」

「あれ、そういえばおばぁちゃんは?」

ゆいが太一さんの後ろを覗き込んでみたが、どうやら見当たらないらしい。

「たえさんならお雑煮の準備してるぞ。今年はいい餅が出来上がったってんで気合い入れて作ってるから、あんまり料理の邪魔してやるなよな」

「分かった、挨拶だけしてくる」

おう、と言うと太一さんは奥に引っ込んでいった。ゆいがこっちだよ、と案内してくれたのでそれについて行く。

二人とも初対面らしいが、気の合う友達のような振る舞いを互いにしていた。同じ村出身だから、というのもあるのだろうか。

「おばぁちゃん、気分屋だからお餅作って気分が高まったんだろうな。きっとこれならいいお雑煮が出来る!って思っちゃったんだと思う」

ふうん、と頷いたところで疑問がひとつ湧いた。

「あれ、大晦日にお雑煮食べるの?」

「ん?大晦日も食べない?もちろん年明けも食べるけど」

「うちは大晦日の夜は年越しそばだけ食べるよ」

「うちは年越しそばを三十一日の朝食べちゃうね。それで夜にお雑煮食べる」

「へぇ!地域によってやっぱり違うんだね。そういうのって勉強になるし面白いな」

「うちの地方は寒いからさ、結局栄養いっぱい取らないと寒さにやられちゃうんだよ。だからなるべく夜にお腹に溜まるもの食べてるんだと思う」

なるほどな、実に理にかなっていて納得出来る答えだった。縁起物として食べるのも大事だけど、何より一番は身体だ。それを考慮してそういう食べ方をしているんだろう。

「あ、いい匂いする」

「おばぁちゃん、来たよ!」

ゆいが台所らしき場所に着くと、レースの小さなカーテンを手で捲って顔を突き出した。すると奥からこれまたゆいによく似た大きな声で、返事が返ってきた。

「おお!ゆいか、よく来た、よく来た」

「おばぁちゃん久しぶりだね。小学校か中学校の卒業式に来てくれた以来?」

レースのカーテン越しに二人の様子を見ていた。身長が小さめのゆいよりさらに小さい人影がゆいの背中を優しく叩いているのがぼんやりと見えた。

「そうだったかね、だいぶ前だ。それで、お友達はどこかね」

「あ、真琴。こっち来て大丈夫だよ」

し、失礼します、と吃りながら台所へと入り、目の前の人物をようやくはっきりと見る。

ゆいによく似た優しそうな顔をしているけど、どこか気の強そうな感じも伺える眼差し。その目でお婆さんは私のことを上から下まで舐めるように見ていた。

「うん、ゆい。いい友達に見える」

「見えるじゃなくてそうなんだよ、おばぁちゃん」

ほほほ、と笑って見せた顔はとても可愛らしく、思わずこっちまで自然と笑ってしまっていた。

「宗田真琴です。ゆいちゃんとは小学校から仲良くさせてもらってます。お正月の忙しい時期にお邪魔させてもらってすみません」

「いいんだよ、もう大勢遊びに来てるからね、変わらん変わらん」

ぺこっ、とお辞儀をし、もう一度お婆さんを見る。やっぱり素敵な笑顔でこっちを見ていた。何故か見ていると安心する、そんな笑顔だった。

「じゃあゆい、今あたしゃナツさんと料理しとるからね、囲炉裏んとこ行って皆に顔見せといでな」

分かった、とゆいは頷くと台所を出て元きた道を戻っていく。途中で手招きされたので、慌ててゆいを追いかけた。

「さっきの太一さんがいた場所、囲炉裏の間っていうの?」

「正式に名前が決まってるわけじゃないんだけど、皆が便宜上そう呼んでるだけだね。部屋の真ん中に囲炉裏があるから、囲炉裏の間」

「囲炉裏か、テレビでは見たことあるけど実物は初めてかも」

「ふふ、そういうのも含めて楽しんでいってね」

先程の扉を今度はゆいが開け、囲炉裏の間へと入る。そこにいたのは、先程話をした太一さん。そして他にも数人が円陣を組むようにして座っていた。

「あらあら、ゆいちゃん?ずいぶんと大きくなったわね」

「どうも、貴美子(キミコ)おばさん。お久しぶりです」

貴美子さんと呼ばれたその女性は私のお母さんと同じくらいの年齢だろうか、かなり美人さんで思わず見蕩れてしまった。

「隣の子がお友達?これまた可愛い子を連れてきたのねぇ」

貴美子さんが私を見てふふふ、と口を抑え実にお上品に笑って見せた。その仕草も美しく、私には到底真似出来ないだろうなと思った。

「はい、宗田真琴ちゃんです」

「初めまして、お正月の間お世話になります」

「二人とも、そんなに畏まらないでね。あまりカチコチになると楽しいお話も出来なくなっちゃうもの」

優しく、気配りもできる大人の女性でとても安心した。ゆいだけじゃ安心出来ない、という訳では決して無いけれど、味方というか、話ができそうな人は多い方がきっといい。

「母さん、あまり話し過ぎて二人を困らせないようにね。特に夜遅くまでは話さないで」

貴美子さんの右隣にいた若い男性の言葉にバツが悪そうな表情でわかったわ、と貴美子さんは言った。

「おかえり、ゆいちゃん。って、ここは僕の家ではないんだけれど」

「ああ、光也(ミツヤ)兄ちゃんか。私が村に来る時毎回会えないよね、でも今日はよろしく」

「そちらの……真琴さん?僕は光也、ゆいちゃんとは同じ村出身で、少しだけ一緒に太一と一緒にここに居たんだ。ゆいちゃんはすぐに両親と上京したけどね」

こちらも太一さんと同じくらいの歳の青年で、太一さんが運動部なら彼は文化部と言った感じの好青年だった。メガネはアンダーリムで、メガネ男子好きの私としては目の保養になった。しかし、見渡しただけで若い男性はこの二人だけであるけど、他の初老の男性陣も軒並み彫りが深く渋い顔をしていて格好いい。この村は美男美女が集まる村なのか?と思ってしまうほどだった。

そしてどうやら先程の会話からして、この光也さんは貴美子さんの息子にあたるらしい。

「母さんは話好きだから、二人とも捕まらないようにね。特に美容の話と男の話は始まったらその夜はもう帰してもらえないよ」

貴美子さんはもう!と言って光也さんの肩を叩いていた。すると光也さんの正面から、

「貴美子さん、なんなら私が相手するからさ、それで我慢してよ。ね?」

と、小柄でこれまた可愛い系の美人な方が落ち込む貴美子さんに話しかけた。

「美香おばさんも、お久しぶりです」

「ゆいちゃんお久しぶり。元気してた?」

こくり、と頷くとゆいは囲炉裏の前に座り、私には隣に座るよう座布団をぽんぽん、と叩いて促した。それに従って、腰を下ろす。囲炉裏からじんわりと伝わる熱が暖かく、炬燵もいいけどこれも悪くないなと思った。

「彼氏とか、出来たんじゃないの?」

美香さんの隣にいた、角刈りのこれぞいぶし銀といった感じの男性がゆいを茶化した。これにゆいがどう反応するか不安でもあり、少し期待をしてしまった自分が本当に恥ずかしい。

「やだなあ、出来るわけないじゃないですか。友達だってほとんどいないのに」

その返答に嫌な予感というか、場が凍りつくんじゃないかと不安になったのはどうやら私だけだったらしい。一瞬の沈黙もなく、話題がその男性によって次へと運ばれた。

「でもその隣の子は友達だよな」

「そうです」

「あのな、友達なんて一人いりゃ充分なんだよ。何人もいるやつに限ってなんでも話せる親友なんて居やしねえんだから」

「……はい」

「でもその一人は大事にしなきゃならねえ。それを無くしたらお終いだ。だから、ゆいちゃんはお正月の間はしっかりその子を持て成してやんなよね」

「はい、わかりました。栄吉(エイキチ)おじさん、変わらず元気そうで良かったです」

はっはっはっ、と大きく笑って彼は銀髪の頭を撫でた。

「俺はこのバカ息子の子供を見るまでは死ねねえんだ。だからまだしばらくは元気だぜ」

「親父、そうすると残念ながら親父は不死身になっちまうぞ」

太一さんが頭を抱えて面白いことを言うから、私はお腹を抱えて笑ってしまった。

「すみませ……あはは、すみませ……」

「なんだ、よく笑う嬢ちゃんじゃねえか。まあとにかくゆっくりして行きなよ。ここの正月は皆でゆっくり楽しく過ごすのが風習だからな」

怒られなくて良かった、と思い笑いが収まってからはい、と答えて頭を下げた。

その場にいた全員の名前を把握してちょうど話が盛り上がってきた頃に、後ろで扉が開く音がした。

「あ、おばぁちゃん」

「おお。ゆい、皆、飯できたから食べよな。人数多いからこっちでこのまま食べ」

お婆さんの後ろにナツさんがいて、小さな銀色の配膳車が廊下に見えた。

「おっ、じゃあ俺運ぶよ」

太一さんが率先して立ち上がり、それに続いて光也さんも配膳を手伝った。

一人一人に大きな丼が手渡され、野菜がたっぷり入った白味噌ベースのお雑煮が各人に振る舞われた。

「わぁ!色んな野菜入ってるね」

「主に根菜だね、寒いところだからそういう保存の効く種類のものが多いんだ」

「お餅やわらかいからな、よく噛むんだよ」

お婆さんが優しく私の肩を撫でて教えてくれた。そっか、おばぁちゃんって、こんなに暖かい存在なんだ。私は産まれた時にはもうおばぁちゃんは母方も父方も死んじゃってたから、知らなかったや。一度でいいから会って、みたかったなぁ。

思わず泣きそうになってしまった。堪えるのに必死で黙ったまま丼を見つめていた。

「ほら、もう食べ始めな。お餅固くなるよ」

「あ。は、はい。いただきます」

鼻水を啜って、一口食べてみる。根菜の甘みが染み出て、お餅も汁も本当に美味しかった。お婆さんは私とゆいが食べるのをずっとにこにこ見ていたので、一緒に食べないのかと聞いた。その方がきっと楽しいと思ったからだ。

「わたしゃ老人だからね、もう死んだも同然ではあるんだけどさ。作っておいて言うのもあれだけどね、お餅食べて死ぬのは恥ずかしいからやめておくよ」

「すみません、考えが及ばなくて」

「いいんだよ。でも、せっかくだしお野菜だけでもよそって皆と一緒に食べようかね」

ぜひ、となるべく大きな声で言った。

ナツさんが慌てて台所に戻り、お餅なしのお雑煮をよそって運んできてくれた。

「さて、食べよかね」

お婆さんが箸を持ってゆっくりとそれを丼に沈めた時、突然甲高い機械音が部屋の中に、二度響いた。

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