第4話

「湯豆腐でございます」


 そう言って若い男が運んできたそれを見て、門野の気持は沸き立つ。


 というのもこの湯豆腐というものは門野の大の好物で、飯によし酒によしは当然のこと、少しばかり肌寒くなってきた秋の宵にはまったくもってこいの食い物だ。しかもこの香り、相当カツオをおごった出汁であろうことはよくわかった。


 しかも、一升徳利が二本追加ときている。


「これはこれは、ごちそうですな今夜は」


「なに、年寄りの長話を聴かせる駄賃よ」


「なんの、望むところでございますよ」


 門野の言葉に、竹庵は「ふん」と鼻を鳴らし「家が遠いお方じゃの」と漏らして話の続きを始める。


 一方門野は、そんな竹庵の態度に面目なさそうに頭を掻いて、話を待った。


「さて、件(くだん)の若旦那、廓に行く振りをして家の入り口を見張っていたところ、思惑通り、夕刻あたりにスエが一人でそっと出かける姿を見た」


 ふむ、面白くなってきた。


「スエは、若旦那に見張られているとも知らず。すたすたと先を急ぐように小走りに進んでゆく、その形相は何の感情も見せぬ能面のような表情で、いつもの笑顔を絶やさぬその様子とはまるで別人の様であったそうじゃ」


 段々と竹庵の声に熱がこもり、そして門野の酒を飲む勢いにも拍車がかかる。


「若旦那に見張られる中、スエは途中で酒屋に入り一升徳利を下げて出て来たものの、そこから家に引き返すこともなく、またどんどんと、それも江戸の繁華より離れて、田畑(でんぱた)の広がる方へと足を速めていくではないか」


 田畑へ、だと。


 さすがにこの先の話がどこへ行くのか、その行く末がまったくわからなくなったのか、門野は一言だけ口を挟む。


「一升徳利を抱えたまま、で?」


「ああそうじゃよ」


「ふうむ、野原にて一杯というなら風流であるが、なぁ」


 門野の言葉に「貴殿ならそうであろう」と竹庵は微笑み、そして続ける。


「この辺りで、若旦那も門野殿と同じく不安を覚えてきてな。一体何をやらかすのであろうと不安を抱えてついていったのであるが、たどり着いたのが小さなほったて小屋でな」


「ほお」


「で、中から男が出て来たというわけじゃな」


 なんだ、不義密通の話か。


 ここまでの話の雰囲気からは、ぐんと庶民臭くなった流れに角野は気取られぬように落胆する。が、竹庵はそのまま話を続けた。


「若旦那が中をのぞくと、そこにいたのは一人の山伏。身の丈はそれこそわしくらいの小男ではあったが、その醸し出す雰囲気と太い腕を見るにとてものこと若旦那がかなう相手ではない」


 気の毒に。


「そこで若旦那はその窓より家の中の様子をじっと見ておったのだが、どうも様子がおかしいのじゃな、これが」


「おかしいと言いますと」


「ふむ、まあ有体に言えば、そこから仲良く睦みごとが始まる雰囲気も、それどころかそこで酒を酌み交わす雰囲気すらなく、ただ山伏の「その病は治らぬか」という言葉だけが聞こえ、スエは何度も涙ながらに首を振っていたのだそうじゃよ」


 病、か。


 確かに山伏は、方々の山を歩く上で、まさに天狗の秘薬さえもと思えるほどに薬に通じ、山里では医者のごとき振る舞いをしていると聞く。まあとはいえ、江戸ではあまり見ぬものであるから、そんなところにいる様子はおかしな気もするが。


 まあいい、今は話の続きだ。


「それで、いかがなりました」 


「ふむ、で、若旦那はいぶかしく思いながらも中の様子を伺って居たのだそうじゃが、ひとしきり山伏の詰問が終わると、その山伏は大きなため息をついて一つのずた袋を出してきたのだそうじゃよ」


「ほう、ずた袋を」


 そうたずねた門野の顔を見て、竹庵は一層声を殺して言った。


「そう、そして、そのずた袋は、なんと、ひとりでにうねうねとうごめいていたのだそうじゃ」


「なっ……」


 門野は顔をしかめる。


 まさか、ここにきて、この話が怪談の色を見せてくるとは思いもしなかったからだ。


「山伏はそのうねうねとうごめくずた袋をスエの前にかざし、もう一言「やめる気はないな?」と尋ねたのじゃが、スエは能面の如くこわばった表情で「お願いします」と答えたのじゃ。そして観念した山伏はその中に手を突っ込み……」


 突っ込み、どうした。


「中から、一匹の大きな蛇を引きずり出したというわけじゃ」


「蛇……ですか?」


「ああ、そうじゃ、蛇じゃな」


 それを聞いた、門野は両腕をさする。


 なぜか、急に胃の腑がキュッと締まるような感覚を覚え、そこに無理やりに酒を流し込んだ。


 しかし、その時なぜか、その酒はいやにまずく感じた。


「それで、どうなりました」


「それでな、山伏はその生きた蛇の頭をつかんでその全身をさらすと、何やら小さな声で真言を唱え、そのまま床に押さえつけるようにしてスエを見たのじゃ」


「ふむ、で、それで」


「山伏に見つめられたスエは、掘っ立て小屋の戸棚から慣れた様子で五寸釘と金づちを取り出し「くたばれ!」と叫ぶと、その蛇の頭めがけて釘をガンガンと打ち込み始めたのじゃな」


 な、なんと、そんなことが。


「しかも一度や二度ではない。スエは、一打ちごとに若旦那の悪態を叫びながら、何度となくその頭にくぎを深く打ち込んでゆく。蛇の口からは泡のような血しぶきがあふれ出しそのいくつかはスエの顔に点々と飛び散る、蛇の頭は見る影もなくつぶれてゆく。しかし、スエはとどまることなく一心不乱に釘を打ち続けるのだそうじゃ。それも、一本や二本ではない。まるで蛇の頭が剣山の如く、地獄の針山の如くなるまで、何度も何本もただ一心不乱に打ち込んでゆくのじゃ」


 門野の脳裏に、その様子が浮かぶ。


 暗闇の中、一心不乱に蛇の頭に五寸釘をうちつける女の姿が。


「スエは、笑っておったそうじゃよ」


 竹庵はそこまで語って一息つくと、目の前の酒をあおり、満足げに「うむ、うまいの」と漏らす。


 門野も、頭の中に湧いて出た不吉な絵を振り払うように頭を掻きむしると、同じように目の前の酒をあおる。のだが、やはりどことなくマズく感じてしまう。


「酒が変わりましたかな」


「さぁどうであろうな、同じ酒でも、作りようで良し悪しがあるでな」


 そう言うと竹庵は、にやりと笑って話を続け、ようとしたのであるが、そこに突然入口の戸を叩く音が響いた。


「竹庵先生、先生、いるんでしょ」


 女の声だ。


 それを聞いて、竹庵は「いやはやここまでのようじゃわい」とつぶやいてゆっくりと立ち上がった。

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