第2話
「いやはや、ことほど女の妬心ほど怖いものはないの」
午後の診療を終え、碁敵(ごがたき)のである浪人、門野吉左衛門と碁盤を挟んで向かい合いながら、竹庵はそう唸った。
「では、竹庵殿は女の病の筆頭は妬み嫉みだとおっしゃるか」
「そうですなあ、確かに女の病はひきつけに血のめぐり、癪(しゃく)にぶらぶらの病と数多くあるんじゃが、わしが思うに妬心というのはなによりも恐ろしい病でな」
「しかし竹庵殿、あれは病と言えますかな」
答えながら、何気ない風情で竹庵の一手に門野が打ち返す。と、盤面を見つめてうなっていた竹庵が「あーもうやめじゃ、これは勝てんわい」と叫んで手を打った。
すると奥から「はーい」と声がして、若い男が一人、酒と肴をもってやってくる。
「ほお、今日は茸ですか」
「はい、ちょうど初茸(ハツタケ)の形の良いものを八百屋がもってまいりましたので、炭火であぶってまいりました」
みれば、確かに形の良い初茸が少し表面に汗をかいて香ばしく焼きあがっている。
「うむ、これはうまそうであるな」
門野がそうほめる声を聴いてか、竹庵はのそりと起き上がってそのまま一升徳利をつかみ、じろりと碁盤の上を見つめながら二人のぐい吞みになみなみと酒を注ぐ。
あたりに漂う、少しばかり特徴的な香り。
「なにを、酒がなくては味などせんじゃろ」
「竹庵殿は趣のないことをおっしゃるな」
「ぬかせ、男と女と同じじゃよ」
そう言うと竹庵は、初茸をひとつひょいとつまむと2,3度咀嚼し、追いかけるように酒をグビリと一口あおった。
「味は深まり、匂いたつ。まさに男を知った女の味わいじゃよ」
竹庵の口ぶりに、門野は「困ったお方だ」と苦笑しつつも、確かにそうかもしれぬな、と心中で独り言ちる。
「ならばこのほろ苦さは、竹庵殿の言う妬心ですかな」
門野の問いに、竹庵は即答する。
「なんの、妬心は毒じゃよ」
「毒?」
「ああ、本草の基本じゃよ。茸の毒はどの茸にもある」
竹庵の答えに、門野はぎょっとして初茸を見つめる。
「なぁに、怖がることはない。食うことのできる茸は、たまたま人には効かぬ毒を持っておるというだけじゃでな」
「そうなのですか?」
「ああ、じゃから、時々どうしても椎茸だの初茸だのが食えぬ。食うと吐き戻すというものがおるのじゃよ」
言われて門野も合点がいった。
確かに、知人の侍に、どうしても椎茸が食えぬ者がいて、それこそ細かに刻んであえてあるようなものを、本人が知らずのうちに食してもそのあと必ず心持が悪くなって吐き戻す。
そうか、あれは毒であったか。
「ではこの初茸にも毒が」
「ああ、あるの」
「ということは竹庵殿、すべての女に毒がある、と」
門野の問いに、竹庵は初茸をゴクリと呑み込むとその顔を睨みつけるように見つめて、言った。
「当然じゃな、そしてそれは効かぬ者にはまったく効かず、むしろうまみのあるものじゃが」
齢にして六十を超えているであろう竹庵の、洞のような瞳。
垂れ下がった瞼の向こうの瞳の色は見えぬものの、門野はその奥に宿る光を見たような気がして、ゾクリと震えた。
「人によっては、イチコロに殺してしまう、猛毒じゃて」
と、その時、部屋の奥から香ばしい匂いが漂ってきた。
「ほお、次はイワシかよ、今日は豪勢じゃな」
鼻をすんすん言わせながら竹庵は満足げにそう言うと「イワシは無毒じゃ、案ずるな」とひとこと言って門野の肩をポンと叩いた。
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