第2話
俺は幼少期を女の姿で過ごしていた。
女児に恵まれなかった父方の祖父が俺の誕生に喜びつつも嘆き、どうせ育てば立派な男になってしまうのだからせめてと俺の両親に泣きついて俺を女児扱いしたのだ。
だから濃紺色の髪の毛は長かったし、服装も女児のものしか着たことがなかった。
我が家はメルヘルム伯爵家に代々仕える家柄だ。
男であれば執事。女であればメイドとして十を超えた頃から働くことになる。
そのための作法は物心ついた頃から行われる。
執事もメイドも主な仕事は変わらない。三歳も過ぎれば、徐々に教育は始まるのだ。
メルヘルム家にはご子息とご息女が一人ずつ。
ご子息、セルヴィ様は俺の五歳年上。ご息女ミネア様は俺と同じ年だった。
少々歳の離れた妹を、セルヴィ様は大層可愛がっていた、とは父親伝手に知っていたこと。
仲の良い兄妹だと微笑ましそうに二人の話をよく聞かされていた。
そんな仲の良い兄妹の仲を切り裂いたのはミネア様に振り掛かった流行病だった。
一ヶ月高熱で生死の境を彷徨った結果、ミネア様は天使となって羽ばたいて行ってしまわれた。
俺たちが四歳の時の話だった。
まだ幼かったからだろう。葬儀は小規模で行われた。
葬儀には俺も参列させられた。セルヴィ様とミネア様のお顔を初めて拝見したのはその時だった。
幼いながらにも利発そうな顔立ちのセルヴィ様と、安らかに眠っているだけのような、それこそ天使のような顔をしたミネア様。
まだ『死』というものを理解しきれない四歳児には、何故ミネア様が箱の中に入っているのかが判らなかった。
俺の喪服はまあ当然か、黒いワンピースだった。
そんな俺を見付けていたらしいセルヴィ様は、七日の喪が明けてから俺を邸に呼び立てた。
急な呼び立てに父さんも母さんも大慌てだ。何せ男児の服など揃えていない。正装(葬儀にワンピースで参列させておいて今更正装も何もあるか、と思うが)を揃えられず、俺は持っている服の中でも一番清楚さのある服を着せられセルヴィ様の前に連れて行かれた。
俺を目の前にしたセルヴィ様は、暫く上から下へと俺を何回も眺めてから「来い」と俺の手を父親から引き剥がして引いた。
手を引かれて辿り着いた部屋は可愛らしい調度品が誂えられた部屋だった。きっとミネア様のお部屋なんだろうな、と淡く察した。
「お前、名前は」
「スカーレス、です」
問われたままに答えれば、セルヴィ様は俺の耳に掛かる髪の毛を後ろに撫で付けながら呟いた。
「ハルクはミネアと同じ歳の男児が産まれたと云っていたが」
ハルク、とは俺の父親の名前だ。
「おれ、おとこです」
「じゃあ何故女の子の格好をしているんだ?」
「なんで……」
何故、と問われてもこの時の俺は答えを持ち合わせていなかった。祖父の意向だと知ったのはもう少し後になってからだったからだ。
「耳朶にほくろがあるんだな……」
「それが?」
「ミネアにも同じ場所にほくろがあった」
背格好も似ている。色は違うが髪の毛の長さも殆ど同じだ。
ぶつぶつと唱えたセルヴィ様は、クローゼットからフリルがふんだんにあしらわれた真っ白なワンピースを俺に突き付けた。
「着替えろ」
「……?」
「云うことが聞けないのか?」
少々不遜にも聞こえる声音に少しムッとしたが、セルヴィ様に逆らう訳にはいかない。それぐらいの分別は既に付いていた。
大人しく着替えると、セルヴィ様はまじまじと俺を見て僅かにだけ微笑んだ。
「お前はミネアに少し似ている。髪の毛の色こそ違うけど」
よく似合っている、と。俺を柔らかく抱き締めたセルヴィ様の腕は微かに震えていた。
そしてその台詞は悪く云えば呪いになった。
勉学のない時間をセルヴィ様は俺と共に過ごすことを要求した。それに逆らえる我が家ではない。
セルヴィ様が勉学に励まれている間に俺も執事になるべく教育を受け、昼過ぎから夕刻までの時間をセルヴィ様と過ごした。
着せ替え人形が如く、俺は日々ミネア様の服を着せられて、庭で遊んだり邸でお茶を飲んだりした。
しかし子供の成長とは早いもので、一年もすれば俺はミネア様が遺した服を着れなくなった。
おままごとはこれで終わるのだろう、と思ったのだが……。
セルヴィ様は俺をいたく気に入ったようで俺の背格好に合わせた女物の洋服を何枚も用意した。
「スカーレスは可愛いな」
ミルクティーを啜りながら、セルヴィ様が俺の口元にクッキーを持ってくる。
それを素直に咥えて、そうでしょうかと首を傾げる。
「髪の毛は絶対に短くするなよ」
「どうしてですか?」
「その方が似合っている」
「そうですか……」
セルヴィ様がそう云うのなら、この髪の毛は長さを変えるまい。
それは純粋なお願いを聞いた気持ちだった。
そうして一年、二年。セルヴィ様のおままごとは飽きることなく続いた。
「スカーレス」
「なんですか、セルヴィ様」
「私はお前をずっと側に置きたいと思う」
「……?」
「私専属の侍従になれ」
十にならずとも周りの大人たちの見様見真似で私に仕えろと云われて答えに淀んだのは、提案がイレギュラーだったからだ。
「ハルクにも云っておく」
「父さんに……」
是非ともそうして欲しかった。この件に関しては自己判断し兼ねる。
その晩、夕飯の食卓で父さんからセルヴィ様にお仕えするようにと話が降りてきた。
「いつから?」
「侍従用の服を揃えなければならないからな。来週辺りだろう」
「そう……」
「お前は随分と気に入られているようだが、何かしたのか?」
「んー……何もしてない」
事実だ。俺は何もしていない。どうしてこんなに気に入られているのか、それは俺が知りたかった。
翌週用意された服は執事が着るような服の子供版のものだった。
初めての半ズボンは逆に違和感を覚えた。
しかしこれが普通の格好なのだ。
俺はこれからセルヴィ様の執事見習いとしてお仕えするのだと長い髪の毛を括って気合を入れた、のだが。
朝からセルヴィ様付きの執事と共にセルヴィ様の部屋を訪れたら、彼は酷く不機嫌そうな顔をした。
朝の支度をしてからモーニングティーを飲みつつ、セルヴィ様がじとりとした視線を向けてくる。
「お前は執事として働くのか?」
「え、あ、はい……男、ですし」
「確かにハッキリ云わなかった私が悪いな……お前は私の専属メイドとして働け」
「……と、云いますと?」
「今日の昼過ぎに採寸を頼もう。お前にはメイド服を用意してやる」
そうして有言実行。俺はその日の内に採寸をされ直し、翌々日にはメイド服を着るよう命じられた。
将来的に執事になる筈なのにどうして……と思う反面、丈の長いスカートの方が落ち着いてしまうのだから、困ったものだった。
以降、俺はセルヴィ様専属の『メイド』として彼に仕えるようになった。
と云っても私生活もずっと女の格好で……とはならなかった。
女でありたい訳ではないのだ。やはり父や祖父のように男の格好をしたかったし、あわよくばメイドではなく執事になりたかったからだ。
男たる尊厳は保たれていたかったから、私服は次第に男物を纏うようになった。
その姿をセルヴィ様の前では見せなかったけれども。
十二歳を超えた頃だろうか。俺はセルヴィ様に問うた。
「セルヴィ様。何故私をメイドとして扱うようにしたんですか?」
不満でも意見でもない。ただの純粋な疑問だった。
「その方が似合うと思ったからだ」
俺が淹れたミルクティーを飲みながら封書の中身を改めていくセルヴィ様。
「随分紅茶の淹れ方が上手くなったな」
もうお前が淹れたもの以外飲む気がなくなると笑みを向けられれば悪い気はしない。
ただ、それはそれ、これはこれ。
「セルヴィ様は他の方にもこのようなことを?」
「不満か?」
「いえ、そうではなく」
「私は他にこんなことを云ったことはない」
お前が特別なんだ、と。女が聞いたらさぞかし歓喜に満ち溢れる甘やかな言葉だろう。
「しかし男をメイドに、だなんて他の方が知られたら風変わりだと思われませんか?」
風聞を気にして云えば、彼は持っていた書面をテーブルに放って俺を見詰めてきた。
「お前が大衆の面前で仕損じなければバレない」
それはしかしバレても構いやしないとばかりのおざなりな返事だった。
「それでもどうしても執事になりたいか?」
「……いつか、は」
いつか。そう、誤魔化しきれなくなる日がきっとやってくるに違いないのだ。背格好や声などで。
「いつか、な。ならばいつかはメイドから執事に変えてやろう」
とは云え、やってもらうことは変わらないがと笑うセルヴィ様はきっと当分この戯れをやめる気はないのだろうなと思った。
それは事実になった。
セルヴィ様の十八の誕生日。各所からご子息ご令嬢が集まる予定となった。
十八ともなればもう立派な大人扱い。縁談の話だって持ち込まれてもおかしくはない。
俺はいつもより朝早くからセルヴィ様の元を訪れて支度を手伝った。
まだ幼さを残している俺だから、パーティでの役目はほぼ裏方。あとは部屋の隅で静かに待機するようにとメイド長に云われていた(メイド長は俺が男だということを当然知っている)。
着替えの手伝いを終え、髪の毛を整える。首に巻いたスカーフの位置を綺麗に直した。
「ありがとうスカーレス」
「いえ。ミルクティーを淹れますか?」
「いや、お前には他にしてもらうことがある」
「へ?」
首を傾げたら、部屋の扉が鳴った。
次いでメイド長の声。
「スカーレスを頼んだ」
「畏まりました」
「え? セルヴィ様?」
「お前には他の役目がある。メイド長の云う通りに」
静かな声に、俺は何がなんだか判らないままメイド長に別室へと連れて行かれた。
連れて行かれたのはまだ綺麗に残されていたミネア様のお部屋だった。
「まったく、セルヴィ様の我儘は滅多にないことだからお聞きしますけどね。私は反対だわよ」
ぶつくさ云いながらメイド長が俺に服を脱げと命じる。何故、と問うたら命令ですとピシャリ、跳ね返された。
「二分後ろを向いているからね。下着から全てこれにお着替えなさい」
ぽん、とクローゼットから取り出された布の束をベッドに広げて目を見開く。
「下着ごと、ですか?」
「そうよ。男性物ではドレスにラインが出てしまうもの」
「ドレス……」
「はい、数えますよ」
「わ、あ、はい!」
メイド長の声掛けに、俺は慌てて着替え始めた。
「着替えられたかしら?」
「背中のファスナーだけ、お願い出来ますか?」
「はいはい。髪の毛を上げて頂戴」
スタスタと歩み寄ってきたメイド長が背中のファスナーをジシッと上げてくれる。トン、と肩を叩かれてからゆっくりと相対させられた。
「まだ身体の線が細いから何とかなるわね。声も変わる前だし」
ふわりとスカートの中に空気を入れられて膨らんだそれは淡いピンク色のワンピースドレスだった。
「あの、俺は何故こんな格好を……?」
まるでパーティーに出るみたいじゃないですか、と呟いたら、その通りよと肩を竦められた。
「今日のあなたはセルヴィ様お付きのメイドではなくて、お気に入りのご令嬢役ですよ」
「は、ぁ?」
思わず素っ頓狂な声が出た。
「俺、無理ですよ、マナーとかメイド側しか知らないし……」
「それだけ覚えていれば充分です。あとはずっとセルヴィ様のお側に居れば良いの」
「どうして俺が……」
「それはあなたが直々にお聞きになりなさい」
ほら支度が整いましたとセルヴィ様の元へお行きなさいと急かされて、俺は低いヒールをゆらゆらさせながらセルヴィ様の部屋に戻った。
「セルヴィ様、スカーレスです」
ノックをしてから扉を開けると、セルヴィ様はまじまじと俺を見てから満足そうに頷いた。
「似合っている」
「しかし、何故私が……」
「虫除けだ」
「虫除け……」
「こういう場には詰まらない女が寄ってたかってくることを先日学んだんだ。そういう時は先に連れが居た方が良い」
「はぁ……」
「お前のことは古くから親しくしている女性だと紹介するつもりだ。今後のことも考えている、と」
「そ、こまで云ってしまわれるんですか?」
「楽をするに越したことはない」
そう云ってカラカラ笑うセルヴィ様。
「あぁ、言葉は発さなくて良い。声が出ないという設定にしておこう」
これが後々までの布石だと気付くのは数年後。
「さて、髪の毛はそのままでも良いが……少しアレンジしようか」
「メイド長は行ってしまわれましたよ?」
「私がやってやるさ」
昔はよく髪の毛をいじっていたからね、と小さく笑ったセルヴィ様の心境はいかに。
サイドの髪の毛をそれぞれみつ編みにされて、後ろで括られる。その結び目に、真珠の髪飾りを挿し込まれた。
「うん、立派な令嬢だ」
「本当ですか……」
自信なさげに呻いたら、そんな顔をするもんじゃないよと頬を軽く摘まれた。
「私の隣でただニコニコしていれば良いだけだ」
「……はい」
頷いたら、良い子だと頭を撫でられた。
パーティーの間のことはよく記憶出来ていない。取り敢えず女性陣の視線が痛かったのだけは確かだ。
パーティーが終わった頃には俺は精神的にくたびれ果てていた。
ともすればセルヴィ様のベッドに寝転んでしまいそうになるくらいには。
しかしそれでは本業を放棄することになる。
俺はなるべくベッドを意識しないようにしてセルヴィ様の着替えを手伝った。
「スカーレスも着替えてくると良い。メイド長が服を保管している筈だ」
「畏まりました」
腰を折ってメイド長の居る筈の部屋へ行く。
確かに俺の洋服はそこに保管されていた。
どこで着替えれば良いかと問うたら、子供の着替えなんて見慣れてるからここでしなさいなと苦笑された。
こんな時ばかり子供扱いされるのも何だか癪だ。そうとは云わないけれど。
いつも通りのメイド服に着替えて再びセルヴィ様の部屋を訪ねる。
云われるだろうなと思った通り、ミルクティーを所望された。
お疲れだろうし、と角砂糖をひとつ入れたら、セルヴィ様は目を細めてふっと笑った。
「お前は気が利くな」
「余計なお世話になりませんでしたか」
「いや、丁度良い」
満足げにティーカップに口を付けるセルヴィ様に、あぁそうだと後頭部から髪飾りを引き抜く。
「忘れてはいけませんので」
「それはお前が持っていてくれ」
「どうしてですか?」
「また、があるかも知れないからだ」
「え……」
ぱちぱちと目をしばたたく俺を、セルヴィ様はおかしそうに笑った。
「お前にとって私は何だ?」
変なことを訊く、と思った。
「お仕えするご主人様です」
「主人の命令は?」
「絶対……あっ、」
そこで思わず声を上げてしまったのは完全に幼さ故だった。
「主人の命令は絶対。お前は私専属のメイドだということを忘れるなよ」
にやり、口端を上げたセルヴィ様にしてやられたなと思った。
「ともあれ今日はご苦労。明日は多少の寝坊は許してやろう」
クスクスと笑うセルヴィ様まで俺を子供扱いしているみたいで、俺はそんなことはしませんと頬を膨らませてお辞儀をした。
「今夜はこれで辞させて頂きますが、よろしいですか?」
「あぁ。本当にご苦労。助かったよ」
最後の甘い声音はまるで俺がセルヴィ様のミルクティーに入れた角砂糖みたいだった。
これを機に、俺は度々セルヴィ様お気に入りのご令嬢役までをも果たすようになるのだった。
彼は云わないし、俺も云わないけれど。
恐らくセルヴィ様はずっと俺にミネア様の影を見続けているのではないだろうか。
伯爵子息と執事なメイド 烏丸諒介 @crow4632
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