閃光が飛び込む。二体目の頭部がまた顔面から砕け、三つめは転げ落ちた。

 だが、彼らにとっては致命傷ではなかったらしい。頭を失いながらも両腕を振り回し、理緒と梓真を探し回る。

 視力は失っていたたはず。梓真を捕らえたのは偶然だろう。

 その手を別の手が振り払う。

「理緒……」

「何呆けてるのよ!」

 理緒は梓真の手をぐっと握り、脱兎のように走り出した。阻もうとしたもう一体に蹴りを入れ、一目散に駆ける。

 そこへがガ・ガ・ガと、聞き慣れない重低音が轟いた。歩兵戦闘車からだ。

 理緒は梓真を突き飛ばし、自分も伏せる。二人の間に弾痕が割って入った。

 銃撃は終わらない。立ち上がった梓真を執拗に追ってくる。

 ディアナの応射が目に飛び込むが、効果はなく、梓真は必死に自陣へと走った。味方の輸送車は目前。しかし、その視界を砕けたアスファルトが遮る。

 よろめいた。

「梓真!!」

 つんざくような悲鳴とともに、梓真は飛んだ。自らの意思ではない。またしても彼女によって、だ。

 その横を三十ミリ弾の衝撃が通り過ぎていった。

 片膝を突いて起きあがった梓真は、命の恩人に手を差し伸べる。

 しかし理緒は腹這いのまま、顔だけを起こした。

「……逃げて」

「何を――」

「わたしにかまわず行きなさいって言ってるの!」

「……」

 それができれば、そもそもこんなことになっていない。

 梓真は逆に歩み寄る。

 だが膝を突いて彼女の腕を引くと、声にならない叫びが上がった。

 膝が生暖かく濡れる。

「理緒……」

「行ってって……言ってるでしょ!」

 苦悶に歪んだまま、またしても理緒が梓真を突き飛ばす。その右足はありえない形で折れ曲がっていた。

 ふいに何かが足下を掠め、梓真を揺さぶる。行き交う銃声は激しさを増していた。

 迷っている時間はない。

 梓真は理緒の襟首をむんずと掴み、そのまま引きずる。

「ちょっと……梓真!」

「がまんしろよ」

 悲鳴とも罵りともつかない声が続いたが、梓真の歩みは止まらなかった。

 今度は耳元を銃弾が掠める。それも無視し、先頭車両の後ろへ隠れる。

 あとにくっきり、赤い筋が辿っていた。

「くそ……どうすりゃいい……?」

 息つく間もなく理緒を抱き起こした梓真は、ぼろぼろの右足を押さえる。それは膝と言わず脛と言わずぐずぐずに崩れ、ただの肉塊と化していた。

 出血も止まらない。血溜まりはアスファルトを埋め尽くす勢いだ。

「……ほっといて、いい。本当の血じゃないもの」

「黙ってろ!」

 梓真はそう吐き捨てると、自分のベルトを外して彼女の膝上に巻き付ける。

「押さえてるんだぞ、いいな」

「……」

 彼女はうなずきもしない。だが従った。

 梓真はそれを見届け、カレンカレンの荷室に乗り込む。

「……ろくなモンねえな」

 仕方ない。あの集団が漁ったあとなのだから。

 けれどじっくり物色する余裕もない。焦る梓真は、短いスパナと白いタオルをようやく見つけ、理緒の下へと舞い戻った。

 血溜まりに膝を立て、スパナを噛ませてベルトを巻き直し、傷をタオルで覆う。それでも血は溢れる一方だ。

 梓真はスパナをさらに強く握った。固定できるものはない。

 梓真はそのまま強く握り続けた。

「もういいから、逃げて」

「……」

 馬鹿なことをしているのかもしれない。いや、馬鹿だ。

 血も肉も、人のそれではない。真っ赤な肉塊にはケーブルが見え隠れしていた。

 彼女の言うとおり血液がダミーであるなら、こんな処置に意味はない。

「この……わからずや……」

 涙混じりの吐息が首筋にかかった。

 肩に触れた手は背中に伸び、やがて彼女の体は全体を包んだ。

(馬鹿が……)

 庇っているつもりだ。

 彼女の香りを硝煙が邪魔する。

 喧噪と銃声、臭いまでも激しさを増す。すでにディアナ単体での戦闘ではないだろう。

 あの初撃、あれが敵の真の姿を晒した。

(だから言ったじゃねえか!)

 あるいは、正体を見越した上で神木は決断したのかもしれないが、今となってはどうでもいい。

 銃声や時折起こる爆発は広い範囲に及んでいた。すでに集団戦だ。そうでなければ、梓真も理緒も無事ではいられなかっただろう。

 捕縛されたか、殺されたか――

 だが、このままでいられる保証もなかった。戦いの末、やはり捕らえられるのかもしれない。

(そいつは御免だな……)

 不安にこわばる彼の体を、理緒の温もりがほぐす。

 しかし銃声が起こるたび、びく、と梓真を抱きしめる。

 いまだ救援は来ない。輝矢なら真っ先に駆けつけそうなものだが、戦況が許さないのか。

 凶弾が、今にも飛び込むかもしれない。理緒の柔肌などたやすく射抜かれてしまうだろう。梓真もろとも。

(ここで心中か……)

 それもいいかも、と梓真は絶望的な希望を一人ごちる。

 今、この瞬間がすべてだった。

 体に触れている柔らかな感触、温もり、鼓動、彼女のすべてが愛おしい。ずっと、このまま……

 ――――

 ――

 しかし静けさが、至福の時間の終わりを告げた。

「梓真、もう大丈夫た」

 理緒は梓真を突き放したが、梓真はスパナを握りしめたままだ。

 梓真はつとめて平静に言葉を探した。

「……何か、巻き付けるもの、ないか」

「わかった。待ってて」 

 その変わらない笑顔に、梓真は、本当の平穏を取り戻した。


「この、馬鹿者どもがッ!!」

 怒号は脳髄から脊柱を貫いて、車体までも揺さぶった。

 理緒を輸送車に運び込んでまもなく。梓真と輝矢は呼び出しを受けた。

 人気のないチーム・ジュピターの後席で待ち受けていたのは、もちろん神木幸照だ。

「さっき報告が上がってきた。知りたいか!?」

「……」

「……」

 知りたくない。

「ここへ来るまでさんざん見てきただろうが、正確に教えてやる。輸送車の破損が九台。うち、直る見込みの物が三。オルターは、無傷の物がほとんどない。……まあそれはいい。だが……」

 また来るぞ――梓真は身構える。

「問題は負傷者だ!! 三十人が怪我を負い、命に関わる者が八人いる!! どう申し開きするつもりだ!?」

 二度目の落雷に梓真はめまいを起こす。

「この事態を恐れたからこそ、慎重な対応をしたのだ。それを、おまえたちは……」

 卑屈な態度はかえって火に油を注ぐ――そう思った梓真は、胸を張り、逸らしそうになる視線を正面に向けた。

 ただ、次の言葉を待ちながら、隣を窺うことも忘れない。

 悪友は自然体でいた。

 そのうつむき気味の口がひゅっと空気を吸い込み、吐き出す。

「遅かれ早かれ、こうなったんじゃないの?」

「なんだと……」

「……」

「もう一度言ってみろ!」

 気温が凍てつくほどに下がった。

 さすが輝矢。この男に言い返すとは。

 神木も感情を露わに睨みつける。

 けれどなぜだろう、梓真の心中は畏怖よりもむずがゆさが先に立つ。

 居心地の悪さは、彼らが親子だから。梓真はここで部外者なのだ。

 だが説教は終わる気配を見せない。神木のこめかみに血管が浮き上がっていた。

(逃げ出してえ……)

 とはいえ責任を感じてもいる。発端は、梓真の行動にあった。

 さて、どうやって親子喧嘩は治めよう? 

 とりあえず探りを入れる。

「わざわざ呼び出したのは、他に何か、伝えることがあったんじゃねえっすか?」

「……」

 男の眉間により深いしわが寄る。不機嫌というより、どう切り出すか迷っているようだ。

 長いため息のあと、ようやく――

「おまえたちには、この隊を離れてもらう」

「そりゃ……」

 聞き違いではないようだ。

「……あの謎の集団……」

「“フェイカー”だ」

「は?」

「そう呼称することが決まった。いつまでも謎の集団とか偽の軍人では呼びにくいだろう」

「“詐欺師”だね」

「で、そのフェイカー、全滅したのか?」

「車両は逃走した。個体数は不明だ」

「形勢不利とみるや、一目散に。その早いこと」

「……」

 輝矢の口調は説明の形を借りた非難だ。

「初めから戦闘態勢で望んで、組織的に対応すれば、もっと簡単に――」

「犠牲は出なかったとでもいうのか!」

「……」

「敵のあの姿に躊躇する者もいただろう。今回撃退できたのは、結果的に奇襲となったからに過ぎん!」

 話が逸れている。だがともかく、神木の“指示”の意味するところは理解できた。

 梓真から、血の気が引いていく。

「つまり俺たちだけでフェイカーとやらに立ち向かえ、そういうことか」

「……」

 梓真たちの無鉄砲は、ついにこの男の逆鱗に触れたらしい。

「へえ、また見捨てるんだ」

「……」

 輝矢の陰のある笑みも、男の鉄面を溶かすことはなかった。

「……罰としちゃ厳しすぎるんじゃねえか?」

 また――とは離婚の当てこすりだろう。なんにしても、梓真には立ち入れない。

 そこに思ってもみない言葉が返った。

「奴らの目当ては彼女だ」

「……彼女、とは……」

 梓真は動揺を押さえて聞き返す。

「恩田理緒。あの人の姿をしたオルターだ」

「……それ、本気で言ってんのか?」

「そうだ」

「何を、根拠に……」

「……」

「答えろよ!」

「……」

「じゃあ、僕たちは理緒と一緒に囮?」

「……」

「大したリーダーだね、父さん」

「……まあ、そう言うな……」

「おっさん!」

 唐突に開いたハッチに山野目の顔があった。

 その姿は痛々しい。

 胸の包帯には血が滲み、上るのもやっと――という体たらく。怪我のことは聞いていたが、想像以上に重傷だった。

 思わず駆け寄る梓真。すると、そこにもう一人、意外すぎる人物を発見する。

「……おまえ、なんで……」

 息も絶え絶えの山野目を、少女が後ろから支えていた。梓真は質問を後回しにして山野目を引き上げるのを助けたが、少女は明らかに梓真の反応を面白がっている。

 それに気づく余裕は、今の山野目にはない。肩を貸した梓真をポンポンと叩き、そのまま輝矢の方へと歩き出した。

「……もっと、過激なことを言い出す……奴も…………」

「どうぞ、こちらへ」

 少女がイスを差し出し、梓真の介添えで山野目が腰を下ろす。

「動いて、大丈夫なのかよ」

「へ……大げさだな」

 にんまりとする山野目。とりあえず落ち着けたようだが、少女は渋い顔をしている。

「で、だな……」

「ああ」

「噂が、広がった……フェイカーの狙いはあの女だと。連行されていくのを見たんだろう。すると今度は、いっそのこと彼女を差し出してしまえと……そうと言い出す奴も出てきた……。おまえら、それじゃ、嫌だろう?……だから神木は……せめて……」

「……ああ、わかったよ」

 梓真は神木に振り返ったが、その表情が見えない。二人の間に少女が割り込んでいたからだ。

 梓真はふうと一息。

「なんでおまえがここにいるんだ? 夕乃」

「……先輩」

「……なんでおまえがここにいるんだ? 夕乃先輩」

 待ちわびた質問にほくそ笑み、少女は神木の腕を抱え込む。

 ……そして、驚くべき言葉を口にした。

「わたくしたち、婚約しましたの」

「なっ……」

 二の句が継げない。衝撃は神木の怒号よりも激しい。山野目までもあんぐりと大口を開けている。

 ところが、目を丸くした人物がもう二人。

「……父さん、いつのまに……」

「いや……ち――」

 神木が向け大慌てで頭を振る。

「軽蔑するよ、母さんを捨てて女子高生と……。冷血でロリコンなんて、人のクズじゃないか」

「ち、違う! ……お、おい、夕乃……」

 笑いを堪えていた夕乃が、ようやく神木を解放する。

「冗談ですわ。婚約はわたくしのお母様と、ですの」

 その言葉に梓真は胸をなで下ろす。

 神木も同じだった。

「まったく、心臓に悪い。それに、な、なんだ、おまえまで。彼女をねえさんと呼んでただろう」

「いやだな父さん、信じるわけないじゃない。あの人も捨ててねえさんと、だなんて。あはは」

 本当だろうか?

 しかし――

 輝矢はまだ、陰りを残している。

「梓真……」

「うん?」

「出て行けというなら出て行こう」

「……ああ」

「なら、早いほうがいい」

 言うが早いか、輝矢の姿は出口へ消える。

 だが梓真はその場に留まって、少女に言葉を掛けた。

「夕乃……」

「せ・ん・ぱ・い!」

「夕乃……先輩」

「何かしら、加瀬後輩?」

 小さな先輩は挑発するようなしぐさをした。

「あいつを送ってってほしい。ちょっと調子崩してるみてえなんだ」

「あら」

 拍子抜けするほど素直に、夕乃は輝矢のあとを追って行く。

 思えば学校でも、夕乃は輝矢に目をかけていた。それは恋愛感情からと思っていたが、大きな間違いだったらしい。

 梓真は彼女も見届けて、視線を包帯男へと移した。

「……見かけほどひどかねえぞ」

 厚く処置がされた右肩の付け根、それに青ざめた顔。絶対に軽傷ではない。だが梓真は彼の強がりに甘えることにした。

「……なら、もう少しいいか?」

「ん?」

 今度は神木に向き直る。

「話すことはもうない」

「……」

「輝矢のことか?」

「……それもあるが……」

「なんだ、いったい。早く言え」

「……今回のことは、全部俺に責任がある」

「……ほお」

 意外に思ったのか、神木の顔がほころんだ。

「あいつの、輝矢のやったことも俺の指示だ。謝罪して……お詫びする」

「ふ、それで?」

「まず訊きてえ。フェイカーの目的が理緒だってのは、事実か?」

「馬鹿な。ありえん」

「……まさか、な」

 対照的な二人の反応。しかし即座に否定した神木を見て、梓真は確信した。

(こいつは理緒の何かを知ってる……)

 問題は、彼が真実を言ったのかどうかだ。それ次第で説得の仕方を変えなくてはならない。

「……頼みがある」


 神木の輸送車を降りると、白日に容赦ない現実が晒されていた。

 鼻を突く火薬の臭い。銃痕は至る所にある。クルマも人も無傷ではない。重傷者は車内へ運び込まれていたようだが、行き交う者も含め、目に付くのは負傷者ばかりだ。

「奴らの目当ては彼女だ」

 結局、神木の言葉は方便に過ぎず、理緒の存在を軽く見ていた。

(……違う)

 フェイカーは、理緒目当てにこれだけのことをやってのけたのだ。

 意外ではない、むしろ合点が行く。そう直感が告げていた。

「あいつが、なんだってんだ!」

 理緒の“真”の正体を梓真は知らない。

 そのボディが人に紛れても気づかれない程度の最高級品であることはわかる。しかしそれも既成技術の集大成でしかない。

 道に散らばる薬莢や破片――。それらを避けながら歩いていると、今度はちぎれた腕が転がっていた。その先に、山と積まれた残骸の固まりを見つける。

 腕。足。胴体。部品の塊。配線。人工筋肉。頭。

 分厚い装甲はなく、かわりに焼け焦げた軍服があった。積まれているのはすべてヒューマノイドタイプ――“フェイカー”だ。

 つい、その一つに手が伸びる。

(理緒が特別だというなら、それはボディではなく、俺の知らない――)

「おい」

 声に振り向くと、クルマの前に二人の若い男がいた。

 右腕を吊った男は見るからに傷が深い。

 口を開いたのは後部ハッチに尻を乗せている男だ。

「何する気だ、のっぽ」

「……敵の残骸だろう? データが取れるんじゃねえか」

 山にはいくつもの頭部が埋もれている。無傷に近いものもあった。

「やめとけ。おまえと同じこと考えて、腕、吹っ飛ばした奴がいる。なあ?」

 男の皮肉めいた笑みに、相棒は愛想笑いを返す。

 軍用オルターは機密保持のため、自爆用の爆薬を内包している。フェイカーも滷獲を恐れ、それに準じていた――そういうことだろうか。

「そりゃ親切に、どうも」

 礼を述べる梓真に、笑顔のまま男が近づく。

 目だけは笑っていなかった。

「おまえ、若いな」

「そっすか」

「もしかして、加瀬……梓真」

「……そうだ」

 返答と同時に拳が見舞われ、背中からアスファルトに倒れ込む。太陽の目映さに目を細めると、影に憤怒の顔があった。

 梓真は二発目を覚悟して起き上がるも、腕を吊ったもう一人が男を制止する。

「もういいだろ」

「……」

 元の場所へと戻る二人。だが重傷の男も穏やかな侮蔑を向けていた。

 騒ぎを聞いた幾人かのギャラリーが遠巻きにする。彼らもまた、歩き出す梓真を冷ややかに見送った。

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