囮
「音量、上げ」
梓真の指示で、遠くの会話が耳に届く。
梓真は陸軍最新式の装甲服――通称「二型」の中にいた。
「止め」
聞き取れる程度で止める。音質もいい。映像なしでも二人の声と判別できた。
「……本当は何かあったんじゃないんですか?」
「な、何もないわよう」
「……梓真に、何か言われました?」
「ううん、ぜんぜん」
(……あのバカ)
真琴の下手な嘘に、梓真は打ち明けたことを後悔した。
そこへ――
『どうじゃろか?』
老人の声が二重に聞こえた。
直に伝わる素の声に、マイクが拾った声が重なっている。
「あ。か、感度良好」
『そりゃあええ。今度は体のほうじゃ。動いてみい』
再調整が済んだようだ。梓真は両手と膝を地につけた――いわゆる“orz”の状態から体を起こし、軽く動かしてみる。
『……どうじゃ?』
「さっきの違和感は、ないな」
『ホッ』
念入りに動いても異常は感じられない。しかし別の問題もあった。
「っつ……」
左腕を伸ばす途中で梓真は悲鳴を上げる。
『……機械の所為かの?』
「いや……」
「梓真……」
「あっくん。やっぱり無茶よう」
異変に気づいたのか、輝矢と真琴も駆け寄ってくる。
「……無茶をしなきゃいけねえんだ」
完治に遠い左腕にも、装甲服は容赦しない。ケガの有無にかかわらず、読み込んだ筋電位に従って曲げ伸ばしを強制する。
今度はゆっくりと戻してみるが、やはり左肘はぎしぎしと痛んだ。
幸い、顔は見えない。梓真は悲鳴を飲み込んで、輸送車に目を遣る。
「……にしても、ここにコイツがあったとは、な」
「何かあるとは思ったけど」
完全に分離した運転席と荷室の間には、謎の空間が存在した。しかし今は、その部位のパネルが開け放たれている。そここそが審判に貸し与えられた“二型”の収納スペースだった。
「なんでこんなものがあるの?」
「僕たちの暴発を警戒して――ですよ、先生」
「暴発?」
「えっと……」
『出場者のどなたかが、良からぬことを画策する可能性を考慮して、ですわ』
「きゃっ」
思わず、梓真の後ろに隠れる真琴。
静粛性に優れたその乗り物は、誰にも接近を察知させなかった。
颯爽と姿を見せた大型のバギーには、二体のオルターが座っている。
前席には見慣れない少女型、後ろにはメティス……ではなく――
「も、もしかして……」
聞き間違いようもない、その声の主は夕乃だった。
『はい。そちらの梓真さんにこき使われておりますの』
「んなこと言って、おまえは運転してねえだろ」
「それが何か?」
いさぎよく、メティスそっくりのフェイスガードを開け、薄紅の口角を持ち上げる。梓真のバイザーは両機を“unknown”と表示していたが、梓真には明白なことだった。
「でも姉さん、どうして?」
「もちろん! かわいい弟のためにですわ」
メティスとうり二つの装甲服は、黒いバギーを離れ、かわいい仕草で輝矢の腕を取った。……輝矢が引き気味なのは、きっと気のせいだろう。
「さっき俺が山野目に頼んだんだよ。これと一緒にな」
梓真も右手でガードを開けた。
「ふう……くそ暑い。よくこんなん着てられるな」
夕乃は優雅にポーズを取る。
「我が社の製品は性能が段違いですもの、あらゆる点で」
「けっ」
小さめの胴体に延長された足。――ああ、こうして観察すると、メティスが夕乃の体型に合わせて設計されたことがわかる。
まず夕乃にフィットする装甲服が、そのあとにそっくりのオルターが製作されたのだろう。
そこで梓真は反撃のひとことを思いつく。
「……つまり子供用か」
「なっ……んですってえ!」
夕乃が掴みかかるが、梓真はニヤニヤ笑いを止めなかった。だから、夕乃も離さない。
「ちょっと二人とも。姉さん、もういいじゃない」
「いいえ! ……いっそ格闘性能も比べてみませんこと? 梓真さん」
「おもしれえ」
まさに売り言葉に買い言葉。あわや戦闘開始のゴングが鳴る。
――その瞬間。
そこに現れたもう一体の装甲服が二人の絡み合いをほどいた。
「理緒」
「……ん」
「大丈夫か?」
「もちろん」
ぶらぶらと、理緒は右足を振った。けれど老人の顔は暗い。
「……もし、問題がなければ――」
「大丈夫」
それを聞いて、梓真は足をバギーへ向ける。
「試乗と行こうぜ、偵察も兼ねて」
「え、わたしたちが使うの?」
メティスが譲った座席を梓真が叩く。
漆黒のバギー、陸軍での愛称は“ダークライガー”。
バギーといっても、その形状は左右にサイドカーを装着したバイクに近い。装甲服、あるいはオルターの搭乗が前提となっているため、硬質ゴムのシートは前後どちらも「座る」形に設計されていた。後席はサイドカーの左側で、右には砲身が突き出ている。
「なんだよ、俺と二人はイヤか?」
「そうじゃ、ないけど……」
疑問符を顔に張り付けながらも、理緒は後席に潜り込んだ。梓真も前席に収まる。
その腕に、輝矢の手が絡んできた。
「なんだ」
「……梓真」
「……」
ばれた。
何も口にしないが、顔がそれを物語っている。
(ま、これじゃな……)
いつになくしんみりとした老人と夕乃。真琴は今にも泣き出しそうだ。
梓真はもう一度――
「なんだよ、輝矢」
「他に、方法は……!」
「あ? 何言ってんだ?」
「なら、僕も……」
「おまえも?」
「……ううん……」
目を逸らし、一歩下がる。梓真はそれにほっとして、見送っていた全員に言った。
「心配すんなよ、すぐ帰るから」
ゴーグルがバギーのマニュアルを映す。それに従い前進をかけると、キャラバンはあっというまに遠ざかっていった。
熱い空気が顔を叩く。
フェイスガードを上げたままだった。
「ねえ!」
風に理緒の声が混じる。
じりじりとする熱線が視界に差し込みつつあった。
「ねえったら!」
「……レーザー通信に切り替えろ。見つかるかもしんねえ」
梓真が、すでに切り替えた通信機で答えた。
「どうやるのよ」
「音声入力だ」
「……」
間を置いて「レーザー通信、切り替え!」と叫ぶ声が聞こえた。
「もう少し小声で大丈夫だ」
『わかったわよ。どう、聞こえる?』
「受信感度は良好」
『この距離で悪かったらたまらないわよ』
「……それで?」
『ねえ、離れ過ぎてない? そろそろ戻りましょうよ』
「……このまま行く」
『行くってどこへ? 二人だけ? 確か、チームで別行動を取るって、輝矢から……』
「予定が変わったんだよ。あいつらは神木たちと同行する」
『……それでさっき、みんなの態度がおかしかったのね。でも、どうして?』
「……」
『言ってよ』
「やつらの狙いが……俺、だからだ」
『それ、本当なの!?』
梓真の嘘に、理緒が息を呑む。
「……そうだ」
『囮、なのね。梓真とわたしが』
「……」
『…………ひどい』
「……」
『ひどいわ! わたしだけ……』
「ああ、そうだな。……ひでえ話だ」
梓真は、彼女の言葉を「自分だけを道連れにした」非難と受け止めた。
ところが――
『わたしにだけ秘密にするなんて!』
「……は?」
道の窪みで車体が揺れた。ちょうどずっこけた形だ。
『ひどい! するい! ちょっと、なんとか言いなさいよ!』
「輝矢にも言ってねえよ」
『ウソ! 彼の態度も変だった』
「本当だ。あいつは、雰囲気で察したんだ」
『……』
ようやく理緒は黙り込む。
(ふう、やれやれ)
『でも……』
(まだ責められるのか)
身構える梓真。たが、続く声は穏やかだった。
『わたしだけ連れてきたのはいい判断だわ。無理してたもの、輝矢』
「あ、ああ」
『でも心配だわ。あっちに残っていじめられないかしら?』
理緒はずれているようで、要点を見逃さない。
「夕乃がおっぱらうだろうさ。そのために呼んだんだ。戦力的にも、俺たちの抜けた穴をじゅうぶん埋められる」
これは本当。
「だから、問題は俺たちのほうさ」
『敵……えっと、フェイカー?、は、まだいると思う?』
「さっき襲ってきたのが連中の全戦力かもしれねえが、どうなんだろうな」
実際はそう甘くはないと思っている。そもそも、さっき撤退した部隊すら、自分たちよりはるかに多いのだ。
『じゃあ、西に向かってる理由は? フェイカーの検問にあった方角なのに』
「理由は、三つ。奴らが演習地を包囲してるとして、さっきの戦闘で綻びができているかもしれねえってこと。それから、敵の意表を突ける可能性」
『梓真。……それ、はずれかも』
「なんで?」
『何か動くものが見えた』
「どこだ!」
『左の丘の、下に見える小屋』
「ちっ」
確認する前に梓真はハンドルを右に大きく傾ける。ダークライガーは道を外れ、草地へと潜り込んでいった。
『ねえ、三つ目は!?』
恐れか昂揚か、理緒の声が弾む。梓真も応えた。
「むしろ見つかって、派手に囮を演じる」
『……そうね』
理緒は右の――梓真からすれば真後ろのカーゴから、無反動砲を取り出す。
(あの理緒が、好戦的になったもんだ)
梓真は笑ったが、それが本意でないこともよくわかっていた。
それほどに必死なのだ――梓真を守ろうと。
そこへ銃撃が襲った。遠くの小屋ではない。もっと近く、草地の中だ。
梓真はさらにハンドルを切った。
『見つかった!?』
「適当に当たりをつけてるだけだ。まだ撃ち返すなよ」
『ええ』
とはいえ、存在を気づかれたことは疑いようがない。
ライガーはガクガクと荒い地面に揺らされながら、足の長い草をかき分けていく。さずがに速度は落ちるものの、隠れ蓑にはうってつけだ。
不気味なほどに照り返しがない黒い車体。これは光と熱を拡散させる新開発の塗料で、サーマルセンサーに対し特に有効とのこと。ただ視覚的に目立つのが欠点だった。
前方に急斜面が迫る。梓真はそこを斜めに登り、雑木の群に飛び込んだ。
すると、今度は二カ所からの銃撃を受ける。
理緒はシートを後ろへ回転させて反撃の機会を窺うが、梓真は抜け道を探すのに手一杯だ。敵を探す余裕も、左腕を気遣う余裕もない。
しかし逆に変則的な動きが功を奏し、敵の弾は幹や枝葉へと吸い込まれていった。
ようやく斜面を登り切る。と、視界は一気に開けた。
梓真はバギーを大樹の陰に寄せる。
まっすぐ下ると湿地があり、左手の向こうに大きな街道、右には小山が連なっていた。
その先に住居だろうか、ぼんやりと人工物の名残がある。
「どうだ、そっちは」
『近づいてくるわ、徒歩よ。でも、動きが……』
「?」
梓真は無言でアクセルを回し、斜面の左に進んだ。
なだらかに見えた坂も、踏み入ると窪みや茂みが点在した。梓真は細かくハンドルを切りながら下っていく。
だが、それも束の間。ゴーグルが警告する。
『ジープよ!』
「くそっ」
夕日に浮かんだ黒いシミが瞬く間に広がる。拡大すると、後席の機関銃がこちらに狙いを定めていた。
「撃て」
『いいの?』
「俺たちを、追い込む気だ」
どうやらフェイカーは、二人を西へ行かせたくないらしい。
すかさず理緒が立ち上がる。
発射音。同時に梓真の後方視界をバックブラストが覆う。
ジープの回避は間に合わなかった。クルマはあり得ない急カーブを描いたあとで、何かに躓き、ゆっくりと停止する。乗員の安否は不明。確認するより早く、別の銃撃が梓真たちを襲った。
至近。やはり左から。樹木に隠れて接近したらしい。派手な銃撃とともに、クルマがみるみるうちに迫りくる。
理緒もライフルに持ち替え応射するが、有効打は与えられない。
――だしぬけに、タイヤがぬかるみを踏む。
「ちい」
知らぬ間に湿地へと追い込まれていた。やむなく梓真は進路を右へと変え、ライガーを背の高い草に隠す。
ジープも併走し追いかける。すでに葦の合間から表情が窺えるほど近い。
梓真はさらに右へ曲がってそれを振り切る。敵も、ぬかるみには踏み込めないようだ。
もちろん撃ち合いは終わらない。敵は足を止めず銃撃を続け、理緒も撃ち返す。
薬莢となぎ倒された葦の穂を残し、ライガーは西日を背に傾斜を駆け上がる。
するとそこに、新たな銃撃が加わった。
火点はさっきまでいた丘だ。梓真はライガーのチェーンガンに指示を出す。
右後方の銃口が後ろを向いて歩兵を捉える。
発射。だが――
「……なんだ?」
歩兵は奇妙な動作でそれをかわした。
その間にバギーは小山を登り終え、今度は下りに差し掛かる。
後方の敵ももう視界にない。梓真は注意を前に向けた、その時。
ひゅるる、と何かが頭の上を追い越していった。すぐ目の前に火の手が上がり、乾燥した大地を飲み込んでいく。
『梓真!』
「大丈夫だ!」
装甲服は短時間なら火災にも耐えられる。もちろんライガーも。梓真はスピードを緩めることなく突っ込ませた。
燎原はバギーに勝る速さで広がり続けたが、梓真は炎の切れ目を見つけ、ついに抜け出す。
だが――そこに足場はなかった。
「……!」
悪態を吐く暇すらなく、バギーは平行を失い転げ落ちていった。
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