ジュピター
これまでの敵とはあきらかに格が違う。
テーベ。
アマルテア。
アドラステア。
そしてメティス。
女神の名にふさわしい風格と機能美を備えた機体は、堂々とした歩みで梓真を威圧した。
それをはねのける先制の一撃をディアナが放つ。
銃弾は重力と空気に逆らいながら五百メートルを飛翔し、菱形の先頭、ジュピター1“テーベ”の胸へ吸い込まれていく。
テーベは避けもせず、歩みすら止めずに、ただ腕の装甲で受け流した。
息を呑む梓真の傍らで、輝矢は肩を震わせる。
「馬鹿にして……」
反撃はなく、隊列もそのままに行進を続ける。
「理緒……」
『作戦は? 梓真』
「……」
落ち着いた口調は演技だろうか? センサーの故障で、装着者の右足だけがモニターされていない。
「どこか、身を隠せる場所がありゃいいんだが」
『あそこは?』
理緒の見つめる先に大穴が開いていた。WOLが潜んでいたあの場所だ。
「理緒ちゃん!! 血が……」
背後の金切り声に、梓真はあわててカメラを切り替える。そこには鮮血に塗れた足が映し出されていた。
『平気ですよ。本物の血じゃありませんから』
「だって……」
「馬鹿野郎!!」
真琴の言葉に梓真の怒号が被さる。
『野郎って、あんたね――』
「怪我、してんだろうが!」
『かすっただけよ』
「梓真、ここは……」
「ああ。戦闘は他の機体に任せて、理緒、おまえは足を直せ」
『だから平気だって……ちょっと、先生!』
クレーターへと引っ張るメルクリウスから、理緒は必死に逃れる。
彼の一喝は意外だった。
「理緒! 言うことを聞くんだ!」
『……』
「僕たちは同情だけで言ってるんじゃない。……きみもわかってるだろう」
『……そうね、ごめんなさい』
こちらの事情におかまいなく、ジュピターチームの進撃は続いている。
左右の二体が距離を開け、こちらを包囲するつもりのようだ。
「今は、とにかく隠れろ」
無言の理緒が窪みへ飛ぶ。土砂で埋まったその穴は、広さの割に底が浅く、座り込んでも全身は隠れない。
それを膝射のディアナが守る。
メルクリウスはバックパックを横に置き、さらに借り物のミラージュベールを被せた。
「あわてなくていいから、ね」
『……はい』
理緒はうつむいて、投げ出した右足を見つめる。
戦端が、その時開いた。彼女の耳にも届いているだろう。
「まずは手の武装とグローブを取るんだ。そのあとで足の外部装甲を外す。おまえのゴーグルに指示を送るぞ」
梓真の指がキーボードを叩いて、工具とそれを差し込む場所の指定を行う。
破損した面積は大きいが、幸い交換パーツはある。理緒は、初めてにしては手際よく黒こげのパーツを取り外した。覆いとともに、砕けた内部装甲もこぼれ出す。
理緒の手がそれをさらに掻き出して、補助フレームがあらわとなる。
梓真の指示はそこまでだった。その下に、赤い銃痕を見つけたからだ。
「……」
『平気だから、本当に』
「まずは消毒と、ガーゼと包帯な」
メルクリウスのバックパックには、その用意があった。
次に取り出したのは数珠繋ぎの小さな円盤の集合体、内部装甲だ。
チタンとセラミックが貼り合わされ、銃弾の貫通を防ぐ役目をする。ワイヤーで繋がったそれを適当な長さで切り、破損部位の無事な円盤にぶら下げる。これには少し時間がかかった。
その間も、絶え間のない銃声が続いている。
『やっぱり……』
「ん?」
『ちゃんと教わっとくんだった』
「あんま時間がなかったからな。おまえが出るって言い出してから」
『それより前の話よ。教えようとしてたじゃない』
「そうだっけか?」
『そうよ』
「いいから、手を動かせ」
『……もう、できたわよ。それで、次は?』
「あとは簡単だ。保護シートを被せて、予備の外装をはめるだけだ」
その名前を送信する。バックパックの中を覗けば彼女のゴーグルに反応があるだろう。
『みんなの様子は?』
「……苦戦してんな」
『……』
嘘は言えなかった。
数の不利と性能差に、ディアナたちは得意の連携をさせてもらえずにいる。
ポボスはアドラステアを釣り出しに成功していた。雷撃は、あの厚い装甲に唯一有効かもしれない。しかし敵はポボスの素早さに銃撃をあきらめ、利き手に鈍器を掴んでいた。これではうかつに近づけない。
輝矢はあくまでテーベに固執していた。一号機はおそらく神木の機体だろう。だがすでに得意の距離を失って、近接戦を余儀なくされている。
そして、やはり二体相手のメルクリウスの負担が大きい。動き、撃つのはメルクリウスも同じだが、スピードでアマルテアが勝り、メティスはさらに敏捷さがあった。
なんとか互角に戦えているのは、メティスの動きの未熟さからだ。不用意な接近や、囲い込みでのミスが目立つ。
とうぜん真琴も気づいているだろう。だがアマルテアのフォローが撃破を許さない。
梓真はメティスの動きをメルクリウスのカメラで追う。
しかし、突然――
(……消えた?)
直後、理緒の視界に光が満ちる。
乱暴に剥がされた幕の向こうには、メティスがいた。
「理緒ちゃん!!」
「理緒!!」
二人が叫ぶより早く、理緒は転がりライフルを掴む。それが精一杯だった。
メティスの銃撃から逃れるため、理緒は窪地を脱出する。グローブと手の外装が置き去りだ。
装甲兵用銃器は、撃つために“装着”しなくてはならない。逃げ回り、肩に弾を受けながら、左腕をライフルに差し込む。援護はない。メルクリウスの行く手はアマルテアに阻まれている。
先制したのは理緒だった。教本通り、腰溜めの銃弾を水平に撃ち込む。これがシミュレーターなら称える場面だが、梓真には無防備な手が気が気でなかった。赤茶けた大地に白が映え、敵からも丸見えだろう。
遮蔽物のない荒れ地、しかも一対一。戦闘は単純だ。逃げながら撃つ――それだけ。だからこそ機体の優劣が勝敗を左右する。
神木の興した「ジュピター・ガード・システムズ」設計のオリジナルオルターは、三度の優勝で、軍用機にも勝るとの評判を得ていた。
元々は堅牢さを売り物にしてきたが、今回、四種の試作機を揃えてきたのは、アジア有数の警備会社である彼らにとって、ここが自社製品の性能をアピールする絶好の場でもあるからだ。
(メティスのアピールポイントは、操縦士の経験不足を補うほどの高性能、ってとこか)
小さな胴と長い足。その一瞬で軌道を変える敏捷性に梓真は舌を巻いた。
理緒の装甲服もマルスに寄せて素早さに特化させてはいるが、かなわない。
こちらも軍の一級品だが、一世代前、しかも部品のいくつかを市販品と置き換えている。さらには“装甲服”だ。全身くまなく戦闘用のオルターに性能で遠く及ばない。
大地を駆けて撃ち合う二体。一見すると互角でも、内に明確な優劣を孕んでいる。
――でも、理緒だ。
トリッキーな動きはお手の物。いつからか予測射撃もでたらめになり、それが逆にメティスを戸惑わせていた。
梓真もそれに振り回される。
「あ、バカ!」
メティスの銃弾を、跳んで避けた。“準”軍用装甲服のパワーアシストはすさまじく、その光景は“跳んだ”というより“飛んだ”に近い。
しかしそれは軍において悪手とされる行為だ。跳べば、とうぜん着地を狙われる。メティスもお手本どおりに対応するが、理緒は着地のぎりぎりまで射撃を続け、それを阻止した。
『……!』
理緒の興奮をマイクが拾う。
常識外の戦闘はメティスの混乱を呼び、回避を遅らせた。運悪くマガジンに弾を受け、暴発の損害は腹部外装にまで広がる。
ただ、そのあとが良くなかった。
無理な姿勢での着地のあと、勢いは止まらず、まっしぐらに進む。その先に落とし穴が待ち受けていた。
躓く理緒。尻餅を突く。
『もう!』
「おまえって奴は、せっかく……」
『しょうがないでしょ! ……なんで、こんなとこに――』
「!? おい、来るぞ!!」
振り向くと同時に腰を上げる。このあたりはさすがの反射神経だ。
しかしメティスも速い。
メティスの斧が脇腹を薙ぐ。理緒はそれをライフルで防いだ。さらに背中から倒れて右足を抜き、メティスの左手を蹴り上げる。
今度はメティスが倒れ、理緒が跨いだ。
「パイルを、腹に向けろ!」
『……!』
ためらいながらも、理緒はメティスの損傷部位に杭を指す。――だが、そこまでだった。
『降参しろ!!』
朗々とする声が梓真を圧する。威厳と自信に満ちた、人の上に立つ者の声だ。
「梓真……」
続いたのは車内の輝矢の声。うつむく口に血が滲んでいた。
――何があった?
その答えを理緒が見つける。
野に伏すディアナ。その背をテーベが踏みつけていた。メルクリウスも、アマルテアとアドラステアに拘束されている。
実力差を見せつける、ひどい負け方だった。
『聞こえているんだろう!? 梓真くん。……ギブアップを宣言するなら、これ以上の攻撃はしない!』
「偉そうに。メティスが惜しいだけだろう」
ぼつり、山野目がつぶやく。そういえば、いつか神木と面識があることを匂わせていた。
彼の分析はともかく、状況は最悪だ。特にディアナの損傷が激しく、装甲に無事な部位を見つけるのが困難なほどだ。
ポボスはどこだろう?
マップ上には存在する。やられたわけではないようだが……
「おい、何してる?」
『……勝テナイ』
「……」
つまり形勢不利とみて隠れたらしい。
「どうしたもんかな……」
他人事のような言葉が口からこぼれた。あてのない視線は辺りを漂い、輝矢で止まる。
いつになく険しい顔は何も言葉にできずにいた。
耳に届くのはまたしても神木の声だ。
『それとも、まだ戦うか?』
テーベが銃を突きつける。
(ここまでか……)
敗北の実感が目の前を暗くした。
ポボスと理緒だけでジュピターの三機に勝てる見込みはおそらくない。
(唯一可能性があるとすりゃ、メティスがリーダー機である場合だが……)
もしそうなら、あれほど未熟な操縦者に任せはしないだろう。ありえない。
たとえ奇跡的に勝てたとして、二体で優勝を勝ち得るだろうか? それは小数点のあとにゼロが続く天文学的な確率となる。新たな恒星を見つけるようなものだ。
『……一分待つ。一分後には問答無用でこの二体を破壊する』
ふと、肩に真琴の手が掛かる。
「あっくん……」
「……」
すでに答えは出ている。輝矢も同じはず。それが言葉にならないのは、二人の幼さからだ。
(クソッ……)
神木はそこまで見抜いて猶予を与えたのかもしれない。くやしさが募る。
時計が秒を刻むたび、心の殻がめくれていった。
もう、妹に会えない――
その事実が胸を深く侵し、梓真はいつか絶望を受け入れていた。
『あと十秒』
……
時間は残酷に流れ、やがてその時が訪れる。
『時間だ。……さあ、返答は?』
「……俺たちは、ギブアップを――」
『待って!!』
それは理緒だった。
メティスから離れ、両手を空に向ける。
『わたしから提案があるの。聞いてもらえない?』
『言ったはずだ。一分後には問答無用だと!』
テーベがディアナに向けた銃を構え直す。
すると隣席からぽつりと、言葉がこぼれる。
「……父さん」
『……』
神木は何も言わない。しかし銃口は下がった。
『じゃあ、よく聞いて。わたしたちこれから、あなたの手下になるわ。手足のように好きに使ってくれてかまわない』
『……』
『聞いてる? 下僕になるって言ってるのよ。強豪チームってことでマークされてるんでしょう。わたしたちが盾になってあげる。……どう? いい提案でしょ?』
予想外の言葉だった。梓真にとっても、たぶん神木にとっても。
とても承諾するとは思えない。それでも梓真は万に一つの可能性に賭け、成り行きを見守った。つまり、やけくそだ。
だが、やはり――
『……ふ――』
大地を揺さぶる哄笑。それが神木の答えだった。
『何を言い出すかと思えば……』
『どうして笑うのよ?!』
『同盟の提案はいくつかあったが、ふつうは試合前にするものだぞ。試合の真っ最中、しかも、敗退寸前に申し込まれたのはこれが初めてだ。笑われずにいられるか。……くっ……』
正論だった。倒せる敵は倒すのが鉄則だ。見逃して寝首を掻かれれば、ずべてを失うことになる。
「父さん……」
息子の言葉に、父のくぐもる笑いはようやく収まった。
『……彼女は、なかなかユニークだな、輝矢』
「なんで僕たちに向かってきたの?」
『負け惜しみはやめろ。弱小チームは先につぶす。とうぜんだろう』
「仮にも優勝候補の筆頭と呼ばれてるなら、まっすぐにフラッグを目指すはず。……違うでしょ? 僕たちを相手にしたのは、僕がここにいるから!」
『……』
「僕をさっさと退場させたかった。そうでしょ?」
こんな情に訴える交渉は、輝矢にとって不本意だろう。それほど必死なのだ。
(俺のため、か)
頑なだった神木にも、変化の兆しが現れる。
『……彼女の提案には、問題点が二つある』
『どんなよ?』
『あとで非難を浴びるだろう。親子だから見逃した、とな。あるいは買収を疑われるかもしれん』
一見何もない平野だが、地中のあちこちには配信用のカメラやマイクが仕掛けてある。このやりとりも、すべて本部に送信されているはずだ。
『そのくらい何よ? あんた細かいわ。寛大な心を持ちなさい。王者の器量っていうでしょ』
『……』
「……」
……これは、だめかもしれない。
『……もう一つは、おまえたちの裏切りを防ぐ手段がないことだ』
『信用できないっていうの?』
『担保するものがないだろう?』
『…………いいえ、ある』
『ほう?』
神木の口調に揶揄の色が混じる。聞き分けのない子供をあやすような、そんな態度だ。
『わたしたちのリーダー機を教えるわ。いざとなったら四機がかりで破壊すればいい』
「理緒! おい! 何を言い出すんだ!?」
もはや神木は耳を貸すことなく、幾度めかの銃口をディアナに向ける。
『……やはり時間の無駄だったな』
『待ちなさいよ!!』
続く彼女の行動に、梓真は色を失った。
『わたしがリーダー機よ』
マイクが風の音も拾う。
理緒はフェイスガードとゴーグルを外し、テーベに素顔を
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