WOL

 その口調と顔つきに梓真は驚き、戸惑う。

「……らしくねえなぁ」

「この先、僕らは消耗する。機体もいくつか失うかもしれない」

「だから?」

「今戦うべきだよ」

「消耗するのは向こうも一緒だろ」

「あっちは優勝候補だよ? そんなチャレンジャーはそうそういない。消耗するのは……」

「俺らみたいなザコチームの方、ってか」

「……」

 たとえそうでも普段の彼なら強敵との対戦は避けるだろう。

 やはり神木と何かあったのだ。あの頑固な男をどう説得し、試合出場を認めさせたのか、梓真には知る由もない。

 とにかく、今の輝矢は冷静さに欠けている。彼の案には乗れない。

 ではこの状況の最善策はなんだろう?

「……このままフラッグを目指す」

「梓真!」

「落ちつけって。あれ一機のはずねえだろ」

「当たり前だよ! 囮に決まってる!」

「ならよ、向こうからお出まし願おうじゃねえか? な?」

「……」

「ポボスを偵察に残して、北東へ向かう。それでいいな?」

 輝矢はうつむきながらも自分の席へと戻る。それを見届けて、梓真もイスに座り直した。

「よし、前進だ」

『ちょっと、何か忘れてない?』

 出鼻をくじかれ、梓真は舌打ちをこらえる。

「んだよ……」

『メルクリウスの修理よ』

 申し訳なさそうな理緒の声。しかし真っ当な進言だった。

「やられてたのか? ……まこ。教えてくれよ」

「ああ、ううん、なんか割り込めなくって」

『あなたが気づくべきでしょ』

 その通りだ。結局、自分も冷静さを欠いていた。

「補修はディアナ。理緒は辺りを警戒してくれ」

『了解』

「メティスが見てるよ。いいのかい?」

「かまわねえさ」

「……了解」

 いくつか細かい警告が出ているが、どれも大したダメージではない。簡単なパーツ交換で済みそうだ。片膝を立てて座るメルクリウスのバックパックからディアナが部品を取り出す。

 その背中を、理緒が守る。

「おまえは大丈夫なのか?」

『平気よ。モニターでわかるでしょ』

「ああ。装甲服のダメージはな」

『……』

「……何か、見えるか?」

『見えない。……けど、音が聞こえる』

「音?」

『誰か、戦ってる』

「ああ……」

 理緒は北東を向いた。

(俺たちは出遅れてる……)

 あえてそうしたとはいえ、その決断が正しかったのかどうか――

 梓真はすべてに自信が持てない。

 理緒の出場のこともそうだ。

(本当にこれで良かったのか…… どうして、理緒は……)

 マルスの替わりに出場する、などと言い出したのだろう。

 尋ねても答えず、頑として譲らなかった。

 その心の内はずっと謎のままだ。

(俺への恩返し? ……馬鹿な! 返されるほどの恩を俺が与えたか? むしろ……)

 装着者の顔を写すカメラはない。モニターできるのは体温と心拍、それに脳波ぐらいのものだ。

(落ち着いてんな……)

 そこへ突然ノイズが舞い込み、梓真を驚かす。

 なんのことはない、ストローから水を飲み込んだだけだ。

「暑い、か?」

 足下の陰は小さく、濃い。日は中天にまで登りつめ、気温はさらに上昇するだろう。

『大丈夫よ。このスーツ、さっきの戦闘で調子出てきたんじゃない?』

 飲料水にはまだ余裕がある。心拍と体温も正常。しかしこれらは真実の彼女ではなく、人を装う偽りのアウトプットに過ぎない。彼女のバックパックには昼食用の固形食料まで装備している。

「梓真、補修完了」

 輝矢が小さく言った。

「よし、出発しよう」

「先頭はメルちゃんね?」

「そう」

「了解! メルちゃん発進!」

 真琴の声はいつも以上におどけていた。

 不安の種はまだそこにいる。

「ついてくるかな?」

「……どうだか」

 東稜高チームはポボスを残し、メルクリウス、理緒、ディアナの順で前進を開始した。

 互いの間隔は二メートルほど、ゆっくりと見せつけるように。それでもメティスは微動だにしない。

 進むにつれ、大地の起伏にメティスが隠されていくが、その顔はまだこちらを向いている。

「ポボス、他に反応は?」

『ナイ』

「待ち伏せは失敗だったね」

 意地の悪い、いつもの笑みだ。つられて梓真も笑顔に変わる。

 ――完全に油断していた。

『……何……?』

 唐突なつぶやき。

 その目が足下の異変を捉える。そこに生えた手が理緒の足に触れていた。

 もっとも早い反応を見せたのはディアナ――輝矢だ。“捲れ上がった”地面に向けて三連射を撃ち込む。

 爆音と同時に砂塵が舞った。

「理緒!!」

 梓真の声はほとんど悲鳴だ。

『大丈夫……』

「大丈夫じゃねえだろ!」

『怒鳴らないでよ! 大丈夫だから!』

 ダメージ表示を覗くと、右足の脛全域に黄色い警告が広がっていた。

「動けるか?」

『……平気』

 立ち上がる理緒の姿に、とりあえず胸をなで下ろす。二重の装甲が補助筋肉と彼女自身を守ったようだ。

(敵は!? どんな状況だ!)

 梓真が画像を切り替えると、そこではディアナが単騎、荒れ地に銃弾をまき散らしていた。

「まこ先生も!」

「え……ええ」

 メルクリウスの銃撃も加わる。すると地面のそこここから黒い影が現れた。

「ポボス! わかんなかったのかよ!?」

『探知圏外』

「くそっ!」

 ここにポボスがいたとしても、はたして探知できたかどうか。

 びっしり全身に黒い羽根を生やすチーム“WOL《ウル》”。その異様のオルターが潜んでいたミラージュベールは、あらゆる地形に合わせて視覚と熱量を擬態する。

 奇襲からまだ、理緒は立ち直れていない。カメラの映像はぶれ、無意味な背景ばかりを写していた。

 そこを、影がふたたび襲う。

『……!』

(なん……だ?)

 黒い影が撃ち込んだのは散弾。彼の装備はショットガンだった。

 これの使い手はめったにいない。というのも、攻撃範囲と引き替えの貫通力が低さが、対装甲戦闘において意味をなさないからだ。今の攻撃も、理緒の装甲を薄く傷つけたに過ぎない。

 だが梓真はその狙いに気づいた。

「理緒! 逃げろ!」

 W-1の銃口が理緒を捉える。

 飛び退く、その真下の地面に無数の穴が開いた。敵の狙いは彼女の無防備な右足だ。たとえ彼女自身を傷付けなくても、補助動力を損傷すればスーツの重さを支えられず、まともな歩行すら困難となるだろう。

 理緒も反撃する。接近戦は本領だ。

 しかし敵は速かった。

 残像に撃ち込み、はらりと羽根が舞う。その時すでに敵は回り込んでいた。

 その銃口を見定めて、理緒は体の左側を向ける。だが散弾を浴びながらの反撃は、またしてもかわされてしまう。

「輝矢! まこ! 援護を……!」

 彼らにその余裕ははなかった。

 ディアナを翻弄するのはW-2。重く長いライフルは近接戦には向かない。横の動きに対応しきれないからだ。対するWOLの二号機はその特性を存分に発揮して、ヒットアンドウェイを繰り返している。

 二体が相手のメルクリウスには、とうぜん余裕がない。守備的な動きに終止して、なんとか互角に渡り合っていた。

(くそ……)

 梓真が自分の判断を呪う。敵はジュピターだけではない。メティスなど無視していればよかった。

 折り悪く、そこに通信が入る。

『アズマ』

「なんだよ!」

 完全な八つ当たりだ。

『敵出現。三キ』

 押し黙る梓真。額に汗が流れた。

 新たな三つの光点は、北東のはずれからこちらに向かってきている。その中間地点にメティスがいるのは偶然ではないだろう。

(三機、三機か……)

 間違いない。ジュピターチームだ。

(狙いは、とうぜん俺たちだよな……)

「ポボス。予想到達時間は?」

 輝矢も同じことを考えたようだ。

『アト十分』

「十分……」

 梓真は息を飲む。

 輝矢――ディアナは行動に出た。……正確には回避運動をやめたのだ。

 もちろんW-2が銃弾を浴びせる。それでもディアナは動かない。じっくりと照準を定め、理緒と対するW-1に命中させた。

「理緒! 戻れ!」

『……!』

 理緒は転倒したW-1を無視し、ディアナの下へ一直線に走る。ディアナの援護は続き、W-1に追撃の隙を与えない。

 作戦は見事成功を収め、理緒とディアナは合流を果たした。

「すげえな、おまえ……」

「……」

「……輝矢?」

「あ、うん」

 梓真が称えたのは決断の早さだ。けれど輝矢の顔はどこか冴えない。

 戦場では、ディアナの援護を理緒が引き受けていた。W-2の懐に飛び込んで、そのライフルを自由にさせない。

 メルクリウスもバックステップで到着し、三機が背中合わせに一カ所に立った。

「ポボス、おまえも来い」

『リョウカイ』

 茂みからポボスが飛び出す。メティスが銃口を向けるが、発砲はなかった。

 ジュピター四機が正体を見せた以上、ポボスが残る意味はない。あるいは、もっと早くに決断すべきだったのかもしれないが……

 集結した三機を四機のWOLが囲み、そのスピードで攪乱していた。

 ディアナは理緒とメルクリウスに守られながら、WOLの一機に狙いをつけた。

 その時――

「……え?」

 WOLが、分裂した!

 一機が二機に、四機が八機に。

『ちょっと、何よ!』

 メルクリウスが発砲、そのひとつを倒す。すると今度はさらなる四機が追加された。

「あっくん! どうするの!」

「光学的なトリックじゃなく、ダミーが本当にいるのか……」

「審判さん。これ、違反じゃないの?」

 輝矢が尋ねる。山野目も身を乗り出し、画面の一つに見入っていた。

「使ってるってこたあ、許可されてんだろう」

「適当だな、おっさん」

「……待ってろ、今調べっから」

 曹長は体を戻し、受話器を取る。

「ついでに聞くが、最初の理……オリオンに取り付けたのは――」

「あっちは、地雷……つうか触雷か? あれは問題ない。地面なんかに仕掛けなけりゃな」

 悪夢のような光景が、梓真の脳裏に蘇る。

 理緒の無事は偶然に過ぎない。吹き飛ばされていた可能性も十分あった。

「ダミーの使用については協議の結果、問題なし、となったそうな」

「……わざわざどうも」

 うわべだけの礼を言い、梓真はモニターに目を戻した。

 増殖したWOLは不揃いな円陣を回しながら理緒たちを取り囲んでいた。同時に起こる燐光は四つまで。

(獲物を持ってるのは本体だけ、か)

 それでも、やっかいなことに変わりはない。

 ディアナの銃口に、敵の二体が前後を替える。輝矢は後ろの狙撃に成功するが、弾は胴部をすり抜けた。

「くそ……」

 輝矢の悪態は珍しい。

 そして前に回った機体が反撃する。

 メルクリウスの銃撃も羽根をまき散らすだけ。理緒は右足を守るのに精一杯だ。

 一方、WOLたちの攻撃は着実にダメージを与え、東稜高チームの装甲にイエローゾーンを広げていく。

 梓真はマップに目を移した。

 ポボスはまだ遠い。そしてその後ろを、合流したジュピターチームが追っている。彼らの到着は時間の問題だ。

 輝矢が歯噛みした。

「熱分布でも、違いが見つからない……」

「この天気じゃな」

 ――そのための“黒い羽根”なのか。

「風もないし、パラシュートも使えないね」

「おまえ、パラシュートって……」

 そのアイデアには実用性がどこにもない。真琴も、藁にもすがりたいのだろう。

 だが、その言葉に梓真はひらめいた。

「風……」

「……梓真?」

「あいつら、武装を全部、装備してると思うか?」

「あのスピードでそれはないね」

「なら――」

「どこかに隠してるでしょ。あのミラージュベールで」

「ポボス、わかるか?」

『近ヅケバ、タブン』

「……みんな、ポボスが来るまでこらえろ。……聞こえてるな、理緒」

 返答は、行動で成された。

 銃弾を振りまきながら敵に接近し、パイルバンカーを撃ち込む。倒れた機体はダミーだったが、理緒はかまわず次の標的に向かった。

 続けざまに撃ち、穿つ。攻撃は最大の防御だ。守備に徹しては敵の攻撃に飲み込まれてしまう。

 メルクリウスも同様にライフルを振り回し、ディアナもメイスに持ち替えて接近戦を挑んだ。

 息を吹き返す東稜チームの攻勢に、いったん怯んだWOLたちだったが、包囲の輪を崩されながらも攻撃は止まない。

 ポボスはすぐそこだ。

 乗り切れるかもしれない――そう思った矢先、敵の弾が理緒の足を掠めた。

「理緒!!」

『何びびってんのよ。……大丈夫』

 胸をなで下ろす梓真。その耳元に朗報が届く。

『見ツケタ』

 土色の分厚い布をめくるポボスを、理緒のカメラが捉えていた。

 WOLたちは距離を取って身構える。

「理緒、地雷を探せ!」

 理緒が近づくより早く、ポボスがくわえて寄越した。

『これを……?』

「敵に投げ込むんだ!」

 意図を察した黒い集団は統率を失い散り散りに逃げる。しかし手遅れだった。

 理緒が投じた三つの地雷はディアナの射撃で爆破される。

 一帯を煙が包んだ。

 それが晴れ、残されたのは空を舞う羽根、そして、地に伏せる棒人形のようなダミーだけだった。

「やつら、WOLの本体はどこいった?」

 答えは、背後だ。

 振り向いた理緒に長柄のハンマーを振り下ろされる。

『え……』

 地面には歪んだショットガンが落ちていた。相手はW-1なのだろう。だが、変わり果てたその姿に理緒が攻撃をためらった。

「何してる!」

『……』

 梓真の一喝に理緒が引き金を引く。

 一発、二発。

 W-1の両足はたやすく砕け、崩れ落ちた。

 しかし理緒はとどめを加えず、うつ伏せのW-1を前に立ち尽くすだけだった。

「理緒……」

 羽根の抜け落ちた素体の胴体はひび割れ、肌色の手足も溶けて筋肉があらわとなっていた。顔も人のそれと変わりがない、

 ありふれた民生用のオルターだ。

 黙り込む理緒をW-1が見上げる。

『どうした? 俺はまだ戦えるそ』

 操縦者ではない、彼自身のセリフ……?

 理緒は震える手でライフルを向けるが、引き金に指が届かない。

『ふっ……』

 傍らに転がるショットガンにW-1が手を伸ばす。

 その刹那――

 頭部が銃声に砕かれ、ふたたび地に伏せる。そして二度と動かなかった。

 硝煙をくゆらせ、暗く沈むバイザーが見つめていた。

 理緒も、無言の視線をディアナに返す。

 成り行きを、梓真はただ見守る。

 ――入り込めない。そこは二人の世界だった。

「……」

 梓真は状況確認のため、モニターをポボスのカメラに切り替える。

 戦闘は終わっていた。

 舞い散る黒羽根、ダミー、そして四機の民生用オルター。センサーに反応もない。

 だが理緒はまだ立ち尽くしている。

 ――なんでもいい、声を掛けたい。

 だが、状況はそれを許さなかった。

「ねえ!! 来るよ!?」

 真琴の悲鳴が耳をつんざき、我に返った梓真はマップに目を遣る。

 新たな敵はすぐそこまで迫っていた。

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