星を紡ぐ手

雪白楽

1-1



 トントンカラリ、トンカラリ



 いつもは重苦しく響いているはずの音が、今日は何故か軽やかに聞こえる。一年を通じて、機織部はたおりべからこの音が絶えることはない。


 星の美しい夜だ。渡廊わたろうを抜けて、内履きのくつのまま白洲へと降りる。こんな夜更けに寝所を抜け出すなど、侍従に見つかれば大目玉を食らうような真似をしているのだ。一つ二つ、掟破りを重ねようと違いはない。


 宮中において、龍王りゅうおうの寝所に次いで奥まった位置に配される大神殿。その一画にひっそりと佇む機織部……龍王に連なる貴き血筋の者に捧げるため、糸を紡ぎ布を織り衣を仕立てる男子禁制の園。聞こえは良いが、けがれない白石の上に建ち並ぶ機織小屋は、小さな天窓の他に明かり取りもなく牢獄に等しい。




 トントンカラリ、トンカラリ




(ああ、また……)


 耳馴染みのある機織の音だが、こんなにも楽しに響いた事があっただろうか。年頃の娘が暗く狭い小屋に閉じこもり、ただ布を織り続けるだけの日々だ。身売りのごとく奉公に出された者ばかりで、誰も彼も死人のようなつらがまえだと思っていたが。


「――ぃ―――ら――さく――」


 やわらかい夜闇の中、一つだけ仄かな光のこぼれる機織小屋からは、ささやかな歌声さえ聞こえてくる。惹き寄せられるように歩を進め、そっと小屋の戸に手をかける。音を立てないように薄っすらと開いた戸の隙間から、どこか幼く甘い歌声が漏れ聞こえてきた。




 冷たい雨の身を打つ時も

 真白く焼き尽く雪の日も

 灯火がそこにあるように

 あかつきの夢を綴り織り

 千の夜を越えていく――




 不思議な調子で紡がれる歌声は、その唇からこぼれる言葉の意味を、本当に知っているのだろうか。ぼんやりとした灯火に照らされる横顔は、想像していたものよりもずっと幼く、部屋を占める無骨な織機に比べていささか不釣り合いに見える。


(……まさか、子供とは)


 自分のことを棚に上げ、目をまたたかせて少女を見つめた。幼さ故の愛らしさはあるが、あくまで凡庸……が、容姿などよりその手捌きに目を引きつけられた。


 まだ丸みを帯びた、それでいて細くしなやかな指先が歌声に合わせてひらめき、無数に伸びた経糸たていとの隙間へ竹に巻きつけた緯糸よこいとをくぐらせていく。調子を取るように足元の木が踏まれるたび、上へ下へと経糸が踊り、くぐらせた緯糸をもう一方の手が迷いなくくしで叩いて整える。


 こうしてあの、不思議な音が生まれるのかと、魂を奪われるように吐息がこぼれた。




 トントンカラリ、トンカラリ




 もっと近くで見たいと、戸に手をかけ――


「っ、入っちゃダメっ!」


 奇妙に押し殺した声が、闇夜を裂いて叩きつけられた。心の臓がドクリと跳ね、パッと戸から手を離す。その動揺を隠すように、分かり切ったことを問うた。


「どうして、入ってはいけない?」

「この機織小屋は、龍王様に捧げる布を織る神聖な場所、です。例え神官であっても、許可なく立ち入ることは出来ない……です。特に男の人は、絶対に入れてはいけないと」


 教えられたことを懸命になぞっているのか、たどたどしい言葉で落とされる掟を、半ば聞き流しながら戸に背を預ける。


「見つからなければ良いではないか」

「そういう問題じゃな……ありません!掟は、自分の心のために守るもの、です」


 ドンっ、と。


 その言葉に、胸をつかれる心地がした。


「一度破れば、二度も同じ……そうやって頭は忘れてしまっても、心は重ねた罪をおぼえてるって、母さんは言ってた。私は母さんに恥じない娘でいたいし、私のせいであなたの心が汚れてしまうのもイヤ、です」


 叫んで人を呼ばなかったのも、己の体面を守るためでなく、顔も知れぬ男の名誉を守るため、か。そう悟り、己の言葉を恥じた。


「小屋には立ち入らないと、天に誓おう」

「ありがとう、ございます」


 心の底から約束を口にすれば、それが伝わったのか安堵するような吐息が聞こえた。


「そなた、名を何と言う」

鈴鳴りんめい、です。姓はありません」


 なるほど辺境の村の出か、と頷く。それならば、この不自然な言葉遣いや、垢抜あかぬけない雰囲気にも納得がいくと言うものだ。


「宮言葉に慣れぬなら、気楽に話すがいい」

「……いけない、です。宮中の人はどんな子供でも私より身分が上で、誰が相手でも最大限の敬意を払いなさいと言われ……ました」

「ならば余が……いや、私が命ずる。私に対しては、妙な言葉遣いをせ。そなたより身分の高い私が望むならば、問題ないだろう?」


 掟の裏をく事ばかり考えている私が即座に切り返せば、呆気に取られたような沈黙の後、柔らかな笑い声が聞こえて来た。



「ありがとう。あなたって、優しいのね」



 ふわり、と溶けた声。心臓が、震えた。



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