第2話……なんかいる

 東京から新幹線に乗り、京都で近鉄に乗り換え、そして奈良へと入り最寄の下市口駅で下車した頃には、すっかり陽が山向こうへ隠れてしまっていた。


「うわ! 最終バス出てんじゃん!」


 改札を出て、バスの時刻表を確認すると洞川温泉方面の最終バスが全て出た後だった。蒼が母が近くまで来ていたら迎えに来て欲しいと伝えたところ、母はまだ静岡辺りを走っているらしく、親戚に迎えに来てもらうよう手配をしてくれる事になった。


「なんか、もっとこう……無人駅を想像してたけど、結構開けてるのな」


 蒼は、バス停から駅を挟んだ向かい側にあるコンビニで、迎えが来るまで時間を潰す事にした。東京でも見慣れた青い看板と、外観に、少しほっとして入り口へ向かおうとした時、入り口から女性が出て来た。すると、その女性の足元で、何か小さい生き物が動いたように感じた。


「なんだあれ、ネズミ?」


 白い身体と思われる所からひょろりと伸びた二本の脚。その脚だけが妙に生々しい人のものに似ている。それがピョコピョコと軽快な足取りでコンビニへと入っていくのが見えた。


「変わった動物だな」


 遠目だが、白い身体は酒を飲む猪口に似た形をしており、こちらからは頭らしき物は見えなかった。蒼が店内に入り足元を見渡したが、謎の生き物は既に何処かへ隠れてしまったらしく、もう店内には見当たらなかった。


「えっと、もしかして津雲蒼くん?」


 曽祖父の家は山の中と聞いていたので、何が買っておこうと菓子をいくつかカゴに入れたところで声をかけられた。


「は、はい!」


「ああ良かったわ、晶子さんから駅前に居るて聞いて、荷物せたろうてコンビニ入るん見えたから、もしかしたらおもて声かけたんよ」

 

 声をかけて来たのは、六十手間の男性だった。首にはタオルをかけているが、服はワイシャツと少しくたびれた黒のスラックスを履いているのを見ると、これから通夜に向かうところだという事が分かった。


「わざわざありがとうございます」


「いやいや〜ねきに居たでね、ついでだわね。ここいらは、よいさになるとバスがしまいになりよるでねぇ」


「? ? ? あ〜はい」


「あまいもん買うてくえ? 表にポルシェ停めとるね、中で待ってるからほーせきのレジ終わらせといでね」


 聞いた事のない方言で、半分以上理解出来なかったが、そこは笑顔で乗り切り、会計を済ませてコンビニ前に停められていた「ポルシェ」という軽トラックに乗り込んだ。


 峠道の横には深い渓谷があり、おそらく底にはさぞ美しい水が流れていると思われるが、陽が落ちた今は、漆黒の闇に飲まれて何も見えない。細く開いた窓から入って来る風は冷たく湿り気を帯びており、少しカビ臭く感じた。空を塞ぐように覆い被さる木々も、何処か異世界へと誘う隧道のような不気味さがあったが、そんななか葉先が色づき始めた紅葉だけが黒と灰色の世界に色を添えている。

 それは不気味さと対比するようで、より艶やかに揺れ、蒼の目を引いた。続いていた山道から突然町へと入り、闇は一旦途絶える。どうやら天川村に入ったらしいが、また直ぐ左へ曲がり山へと登って行く。


 津雲家は天川村から更に大峰山へ入った場所にあった。登山口と書かれた看板に沿って走っていたが、途中で未舗装の林道を登ると、突然視界が開けて目的地が現れた。それは想像していたより遥かに立派な日本家屋で、一見寺のようにも見える。母屋と思われる家の裏には、大きな蔵のような物が二棟見えており、蔵と蔵の間から見える山の入り口には、小さめだが鳥居が建っていた。


「え、これ全部敷地? 広っ!!」

 

「まぁ、ここは本家やさかいな、いっけん中でもデカイわいな。母屋はもうすぐ通夜始まるでな、ねきの離れに荷物置いて着替えたらええ」


「離れってあれですか?」


 蒼が母屋の横にある建物を指さした。離れと言ってもかなり大きく、母屋とさほど変わらない。


「せや、今集まっとるいっけんとあいやこになるけどな、部屋はぎょうさんあるで、てきとーに使うてええわ」


「? はい」


 相変わらず何を言っているのか分からないが、空いた部屋を自由に使っても良いと言っている事だけ理解出来た。細かい砂利をザクザクと音を立てながら母屋の前を横切り、離れの中へ入って行った。


 もう数ヶ月仕舞い込んでいた学ランを着て、母屋へと移動する。かなり広い玄関を潜ると、真正面の壁に対になった面が飾られており、思わず目が合ってしまった。


「……お面……めっちゃ見られてる気がするんだけど」


 面と睨み合いになり、玄関から小上がりに上がれず固まっていると、突然後ろから声をかけられた。


「なに、ひだるがみに化かされた顔して惚けとる、さっさと入らんかい」


 全く足音も気配さえもなかったため、蒼は跳び上がるほど驚いた。


「は、はい!」


 慌てて広い玄関に上がると、丁度奥から白い割烹着を着た女性が、手に料理を持ったまま現れた。


「ああ、来なすった! 晶子さんは夜中になるやろ言うてたわ。もうすぐ宮司さんが来るさかい蒼君は座敷にはいっときね」


「あの」


「なんやね?」


「鞄に入れたつもりが、どうやら数珠を忘れてきたらしく、借りる事は出来ますか?」


「数珠? 神社さんやさかい数珠なんか使わんよ」


 要らないと聞いてほっと胸を撫でた。言われてみれば、自分の知っているお葬式とは飾り付けも違っている事に気がついた。促されるまま、木の引き戸を潜る時に先程声をかけて来た老婆が気になり、振り返った。


「あれ? おばあさんは?」


「おばあさん?」


「白髪で腰が曲がったおばあさんが居たんですけど、何処行ったんだろ?」


「なに言っとるね、それよりはよ入りね」


 もしかしたら、自分が話している間に違う部屋にでも入ったのかもしれない。そう考えて蒼は座敷へと入っていった。


つづく






 

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