2.初仕事の魔王

「ちょっと待て。その依頼はやめておけ。よく見たか? 黄ランク向けと書いてあるぞ」

俺は木片の読みにくい字に目を向けた。


ゴブリン退治

黄ランク推奨

報酬は討伐数により変動


黄ランク推奨、たしかにそう書いてある。だけど討伐対象は弱いゴブリンだしな。大したことないだろう。


「今『大したことないだろう』と思ったな。いいか、討伐依頼は基本的に全て危険なんだ。とくにゴブリンは群れる。熟練の冒険者でも一人では危険なんだぞ。悪いことは言わな──」

長々とした説得が途切れた。

暗殺でもされたかと思ったが、生きている。

どうやら入り口を見ているようだ。

俺は人にやられたら嫌なことをやらない主義なので、入り口の方は見なかった。


「久しぶりだね、オッサン。命知らずのジイサンに説教食らわすのもいいけど、アタシの依頼はどうなったかな?」

入り口の方から女性の声がする。

命知らずのジイサンって俺のことかよ。白髪だからそう見られても仕方ないけど。


「……アレーナ、お前、本当にいい時にきたな…………!」

受付の人は何やら感動したように女性──アレーナさんに話しかけた。


「いい時?こんな田舎町にアタシの理想の──」

受付の人はアレーナさんの言葉を遮り、なぜか俺に話しかけた。


「にいちゃん。後ろを向いてくれ」

よくわからないまま後ろを向くと、入り口の方にいたアレーナさんと思われる女性と丁度目があった。きりりとした目鼻立ちの美女だ。

だからどうしたというのだろう。

当の彼女はというと。


「うそ…………」

手で口を押さえて、頬を赤らめている。

なんなんだこの人は。


「…………ほんとに美形悪役だ……」

ジイサンと言われたり、美形悪役と言われたり。

魔王だってことがバレたかと冷や汗をかいたが、そういう訳でもなさそうだ。

たまらず目を逸らしたが、俺はまだ見られている。


「ちょっとグレアム、なんで黙ってたのよ!」

アレーナさんは俺を凝視するのをやめ、受付の人──グレアムさんというらしい──の方につかつかと歩み寄った。


「落ち着けよ。この人はシェミハザ。さっき登録したばっかりだ」

聞いているのかいないのか。アレーナさんは再度こちらを見る。身長差があるのでそれほどでもないが、近い。

二つの目がこちらを覗き込んでくるので、俺はどこを見たらいいのか分からなくなって虚空を見つめた。

アレーナさんは俺の名前を何度か噛み砕くようにして呟いた。

そして俺の持つ依頼の木片を読み、手ごと木片を掴んで言った。


「シェミハザ様!ゴブリン討伐、アタシもご一緒します!」

様付け!?

その上ゴブリン討伐を一緒にとは。

グレアムさんに目で説明を要求する。


「その女はアレーナ。三度の飯より美形悪役が好きな赤ランクだ。腕は立つぞ。一緒ならゴブリン討伐に行ってもいい」

俺は美形悪役なのか。

というかそれは褒められているのか。

赤ランク……たしかランクは下から灰黒黄赤青紫だから、上の方だ。さっきのゴブリン討伐依頼の推奨は黄ランクだから、実力としては申し分ないだろう。


「じゃあ、決まりね。行くよ、ですわ!」

グレアムさんが言い終わるか終わらないかのうちに、アレーナさんは勝ち誇ったように宣言した。

まだ何も言っていないんだが、アレーナさんは俺の手を引っ張って外に連れ出した。

敬語を使い慣れていないのか、文法がおかしくなっている。




「それで、シェミハザ様は武器は何を使うんですか?」

「素手ですね」

手を掴んだまま、アレーナさんは村の外へと進んでいく。

手を掴まれていると子どもみたいで、なんだか恥ずかしくなってきた。

以前は属性魔法を使っていたんだが、今は首枷がつけられているので

倉庫にも剣やら槍やらは置いてあるが、ほとんど腐食したり錆びたりしていた。手入れすれば使い物にならないということはないのかもしれないが、だいいち武器の手入れの方法が分からない。


「素手で敵倒せるの……ますか?」

「人並みには倒せます」

「人並みじゃ、猪どころか、狐一匹殺せないわよ! あ、ですわよ」

流石に生まれたばかりの赤ん坊でもなければ猪、もう少し頑張れば熊くらいは殺せるだろう。

そしてまた敬語が変になっている。


「敬語、使わなくて大丈夫ですよ。俺は新人なんで」

無理して敬語使われてもなんだか申し訳なくなるし。俺に使う必要は全くない。


「わかったわ。でも様付けは外さないし、そのかわりにシェミハザ様も敬語やめてよ?」

「……ああ」

そう言うと、アレーナさ……アレーナは歯を見せてニカッと笑った。

初対面以降は勢いにつられて気にしていなかったが、やっぱり整った顔をしているなと思う。

健康的に日に焼けた肌に赤茶のショートボブヘアがよく似合っている。スタイルもいい。

俺には睡眠欲しかないので、だからどうだということはないのだが。


「てか、魔法使いみたいな帽子被ってるのにウィザードじゃないのね。もしかして髪の毛がない……? いや、この毛量ではありえないか」

などと思っていたらブツブツ呟き始めた。やっぱり怖い。髪の毛はちゃんとあるよ。


「これで角が生えていたら完璧なのに」

帽子の方に手を伸ばしてきたので、さすがに避けた。かなり長い角が生えているけど、言い出す気にはなれない。二回目が来たので今度は帽子のつばを手で押さえて避ける。三回目は不意打ちのように帽子を掠め取ろうとしてきた。三回避けたら諦めてくれたみたいだが、その緑色の目はまだチャンスを伺っていた。


「ゴブリンの居場所はだいたい見当ついてる。森の中に横穴があるのよ。シェミハザ様の顔が良すぎて茫然自失にならなければ楽勝な相手ね」

引っ張られながら歩いていたら、もう村の外に出た。

あまり舗装されていないあぜ道から逸れると、すぐに森だ。

数日間道に迷いまくるという失態を犯したばかりの俺は、ただアレーナの後についていくことしかできなかった。



小一時間ほど歩いただろうか。

アレーナが歩みを止めた。

辺りは一面鬱蒼とした森で、自分がどこにいるのか皆目検討がつかない。


「……近い。下手に動かないでね」

アレーナは慎重に腰の細剣を抜き、忍び足で進む。俺も気配と足音をほどほどに消すと、置いていかれないようについていく。

俺は探知能力は魔力以外ではあまり優秀ではないのだ。はぐれて彷徨いたくはない。


探知能力は優秀ではないが、目の前にゴブリンが現れれば流石にわかる。

人間より小柄な緑色の体がこちらへ向かってきた。

と、目の前のアレーナの剣が動く。

刺突の要領で一度手前に引かれた細剣が、勢いをつけてゴブリンの腹へと一直線に向かって繰り出される。そのままゴブリンは串刺しになり、まもなく絶命した。

確かに手練れ。なかなかやるようだ。


「これは先鋒ね。巣穴が近いかな」

剣に付着した血を振り払い、アレーナは神経を研ぎ澄ましているようだった。

巣穴は先程のゴブリンが飛び出してきた方角にあるらしい。

更に警戒を強めるアレーナ。


巣穴が見えてきた。

人が三人横に並んで入れるくらいの、そこそこ大きな横穴だ。中は暗く、内部の様子は窺えない。

巣穴の外にゴブリンの姿は見えないが、中に大量の魔力反応がある。聞いていたよりもさらに多い気がする。


ああ、なんだか久しぶりに戦いたくなってきた。

魔王というものは、大小あれど戦闘狂なのだ。

俺は諍いは嫌いだが、殺しに忌避感はない。

命を削り合うような戦闘は大好きだ。


今回はゴブリンという格下相手だから楽しいかは分からないが、やってみないとわからないだろう。敗れてからこっち、ずっと寝ていたから体を動かしたいし、素手の戦闘を試してみたい。

大人しくしてろ、とは言われたけど。


「アレーナ、一つ聞いてもいいか」

「一つだけなら」

アレーナはこちらに向き直る。

俺は口の端を歪めて笑った。


「殺してきても、いいだろうな?」

「え……」

彼女はなぜだか赤面して、何も答えなかった。

沈黙は肯定だと判断し、俺は地を蹴ってアレーナの視界から消えた。




ゴブリンの巣穴とかいう横穴に来たはいいが、こいつら、手応えがなさすぎる。

さっきの期待を返してくれ。いや最初から期待はしていなかったか。


飛びかかってくる時はそれはそれは勇ましいものだ。が、それもほんの数秒。

瞬き一つしている間に、ゴブリンの首と胴は永遠にお別れする。

格闘士ではない、それどころか今初めて素手で戦う俺の手が掠るだけで勢いよくバタバタ死んでいく。最初は面白かったが、五体目くらいで早々と飽きた。


つまらん。

あまりにも退屈すぎるぞ。


眠くなってくるくらい、ゴブリン殺しは退屈だな。シャーマンだのウォーリアだの、称号がついていても…………ほら、結局あっさり死ぬんだから全くもってどうでもいいことだ。


横穴は入り組んでいて道に迷いまくったが、深部の他と比べれば強力な魔力反応に近付いている感覚はある。

少しは楽しませてくれるといいんだが。


雑に殲滅しながらのこのこ歩いて進んでいくと、他の部屋よりも広い部屋に出た。

広い部屋には当然、大きい敵がいる。


普通のゴブリンは人間の幼児程度の大きさだったが、そのゴブリンは違った。

俺よりも背が高く、人間三人分の横幅を持つ巨大なゴブリンがその部屋にいた。


「ゴブリンロード、かな」

体が大きくなると知能も高くなるのか、俺の独り言に答えるようにそいつは鼻を鳴らす。

ゴブリンロードは、その手に持つ巨大な石斧を持って振りかぶってきた。


遅い。知能が高くなったとはいっても所詮はゴブリンか。

力自慢の斧使いとはいえ、あまりにも遅すぎないか。

俺はのんびりと数歩となりに避け、振りかぶった隙に腕の下を潜って背後に回ると、手刀でゴブリンロードの背中を縦一文字に裂き、背骨を掴んで折ると上から地面に向かって腕を下ろした。

本で読んだことがある焼き魚の骨の取り方を真似してみたが、骨格の造りが違うので内臓ごと飛び出し、俺に大量の血が降り注ぐ。

きっと俺は焼き魚の骨を剥がすのも苦手なんだろうな。


「弱いな」


どう見ても名前負けしているゴブリンロードは、臓物を派手に撒き散らして倒れた。

期待外れじゃないか。

いやだから最初から期待はしていなかっただろう、と自分に本日何度目かの突っ込みを入れた。




また迷いながら外に出た。

日はもう半ば沈みかかっている。


横穴の出入り口付近でアレーナを探すと、すぐに見つかった。

少し離れたところで俺を見つけたらしく、手を振っている。

合流しようと前に踏み出すと、呼び止められた。


「シェミハザ様……その」

アレーナは俺の頭の上を見ている。

ん? 俺の頭に何かついて─────ない。


何もついていないということは。

それはつまり。


「角、あったんだね……」

とんがり帽子は、アレーナが持っていた。

俺は角丸出しでアレーナの前に立っていることになる。


そういえばそうだった。

ゴブリンを殺すことばかりに気を取られていたが、巣穴に突入する時の地面の蹴りでおそらく落ちたんだろう。


──終わった。

たった一日で終わってしまった。また明日からは無職魔王だ。


アレーナが近寄ってくる。流石に引かれただろう。冒険者ギルドの人に言うかもしれない。きっと言うだろう。あの門番の人にも言うのだろうか。折角今日頑張ったのに。


「本当に、顔が良い上に……角もあるのね!? 完璧すぎる……歴史に残る悪役美形だ…………あと顔が良い」

前と同じ調子で、なんだか安心した。


「アタシ、突然変異の長耳族なんて初めて見た。一人で敵全滅させるし、感動しちゃった」

突然変異の長耳族と言われるのには驚いたが、否定はしないでおいた。


角が生えているのは誰にも言わないようにと念を押したところ、力強く頷いてくれたのを確認すると、安心したのかどっと疲れが来て、横になって少し休もうと目を閉じたがそのまま眠ってしまった。

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