第3話:孫の成宮賢誕生、彼がマイコンに興味を持つ1

「長女・照子は、現代っ子というか、男勝り、あねご肌で大胆な行動をとった」

「そのため両親をハラハラさせていた、でも、負けず嫌いだ」

「勉強でもわからない所は、完全に理解するまで徹底的に追求するタイプ」

「口が達者で、語学の才能があり、英語が、一番好きで、暗記力が抜群」


「下手な事を言うと、いつまでも追求されて彼女の術中にはまってしまう」

「でも心優しい所もあって頼もしい可愛い子に育っていった」

「彼女は、上智大学を卒業し、UCSD・カリフォルニア大学に留学」

「そして、米国に渡り、IBMに就職した」

「長男の成宮賢は、目から鼻に抜けるという感じで、とても賢い」


「物事の判断が、早く抜け目がない」。

「成宮時達は、彼が、一番、俺の血をひいたのだろうと目を細めて喜んだ」

「天才肌で何でも直ぐ理解し集中力抜群で、まさに天才肌という感じ」

「中学で学年トップの成績で猛勉強ではないが集中力がありサッカー部に在籍」


 そして、当時流行していたビートルズ、カーペンターズ、サイモン&ガーファンクルなど洋楽を楽しんで、曲の内容を知るために、英語も熱心に勉強していた。その後、1970年、東京都立国立高校に合格した。英語検定試験も高校1年で2級、高校3年で1級を取得した。


 夜遅くまで猛勉強と言うのではなく集中力に優れていた。そのため勉強、音楽を聴いてる時、成宮賢は、自分の部屋のドアに進入禁止と書いた程だ。また勉強してる時に話しかけられる事を極端に嫌った。その後、彼は優秀な成績で父の期待通り、大学の理工学部をめざして1973年、東京大学工学部電子工学科に合格した。


 成宮賢は、大学でコンピューター研究会を作りアメリカからの情報をいち早く入手するために努力した。大学2年の時、最初、インテル8080、i8080は、インテルによって開発された8ビットマイクロ・プロセッサであり1974年4月に発表され、これからのパーソナルコンピュータ時代の心臓部に使われると予想した。


 続いて、そのマイクロプロセッサ・8080をCPUに使ったアメリカの1974年12月発売のAlrair8800の情報を入手しコンピューター研究会で検討した。大学3年の時には、コンピューターの巨人IBMが発売、IBM5100の情報を早く入手。IBM5100はPALMという16ビットのCPUモジュールが使用されている。


 IBM 5100のメンテナンスマニュアルでは、このPALMモジュールを「コントローラ」と呼んでいた。PALMは直接64KBのメモリを扱うことができ、またIBM 5100には、独特のオペレーション・システムと呼ばれるROMと合計で64KB以上のRAM領域がありトグル・スイッチを用いた簡素なバンク切り換え機構で運用された。


 ユーザーが入力したAPL/BASICインタプリタは、PALMが周辺機器を扱う別々のLanguage Rオペレーション・システムアドレス空間に保存する事が出来るとわかり、どんでもない、IBMの実力に驚かされた。もう既に、1時代先を走っていたのだった。ディスプレイ、キーボード、記憶媒体・磁気テープが一体となっている姿を見て、これからのパソコンの原型になると予想した。


 それから遅れること1年、1976年8月に日本初のパソコンのトレーニングキットとしてTK80を発売。NECはTK-80「トレーニングキット μCOM80 」とは、NEC の半導体事業部が1976年8月3日に発売したマイクロコンピューターシステム開発のためのトレーニングキットである。


 高価な端末装置を必要としないという点が当時のアマチュアの目に留まり、TK-80は本来の意図とは近い多くのマニアに売れた。1976年2月、NECは半導体事業部にマイクロコンピュータ販売部を設立した。


 NECは、マイクロプロセッサの販売のために開発環境の供給を開始した。しかし、顧客の元へ訪れて説明しても、なかなかマイクロプロセッサと言っても理解してもらえない状況にあった。

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