第13話

 ──というような展開は待ち受けていなかった。どんなにひねくれていようと、愛情を注いで貰えていなかろうと、反抗期だろうと、彼女に自殺する勇気は無かった。持ち合わせていなかったのだ。

 周りから見ればいじめられても学校にはちゃんと来る強い精神の持ち主かもしれないが、彼女の心はとても弱かった。ひねくれた性格のせいで強く見えているだけで、人に羨ましがられるようなそれではないのだ……、羨ましく思うような人はいないし、恨めしく思う人ならたくさんいるが。

 ともかく、彼女は死ななかった。ひねくれた彼女は思い直した。殴られても、蹴られても、カッターで傷を付けられても。どんなに辛くて耐えられなくて我慢の限界が来ても、死んだら負けじゃないかと。

 負けず嫌いな彼女は一度死を決意したが、負けず嫌い故に立ち直った。

 ゲシュタルト崩壊を起こしかけるほどに頑張って書いた遺書も無駄となったが、そんなことはどうでもいい。既にゴミ箱の中。私は私だ。昨日も今日も明日もこれまでもこれからも。

 親からネグレクトされていようとお金は貰っているし貯金しているのだから、高校を卒業したら一人暮らし出来る。

 学校だってどうせあと一年もないし、無視し続ければいい。いじめられている理由もどうでもいい。むしろ説き伏せてやればいいんだ──堂々としていれば、いじめられない。

 次の日、いつも通りに登校した。いつも通りに屋上へと向かい、彼女たちがやってきた。

 私は隅に座り本を読みつつ、それを目で確認して、

「私をいじめる時間があるなら勉強した方がいいんじゃない?」

 と言った。

 なにせ如月翠は学年1位なのだ。容姿端麗で成績優秀、いじめたくもなるだろう。

 対していじめっ子たちも、50位以内には入っているが、彼女ほどではない。恨み僻みはあるかもしれないが、知識はない。

 今までとはまったく違った態度の如月翠に彼女達は驚く。そりゃそうだ。今までの彼女は無視、又は何も言わず反抗的な瞳だけは見せていた。だが今の彼女には余裕の色が見えた。まるで彼女達など眼中に無い、とでも言うように(まさにその通りなのだが)。

「お前をいじめた方がスカッとするし勉強も捗るんだよっ!」

 と、いじめっ子A。名前は知らない。

「本読んで頭いい子ぶってんじゃねえよ」

 と、いじめっ子B。

(あなたたちより頭は良いんだけれどね……)

 そう思うだけに留めておいた。何をされるか分かったものじゃない、暴力は反対だ。

 いじめっ子Cに蹴られようとするが、すんでのところで躱し、いじめっ子Cは耐えきれず地面に倒れた。

「なんてことすんだ!」

 いやこっちが言いたい。こいつは勝手に倒れただけだし。

「あなたたちも私も結局はシュレーディンガーの猫のようなものなのよ」

 彼女達はぽかんとした顔をしている。

 いきなりシュレーディンガーの猫と同じにされて訳が分からないのだろう。いや、そもそもシュレーディンガーの猫を知らないのだろうな。

「生きてるか死んでるか、箱を開けるまで分からないってこと」

 これまたぽかんとするいじめっ子たち。先程までは攻撃的だったにも関わらず、手を出す気力も出ないようだった。

 厨二病を患っているとでも思われてしまっただろうか……、高校3年生だけれど。

 今まで何故こうしなかったのか、自分でも不思議だ。知識があるなら、それで説き伏せてしまえば良かっただけなのだ。"こいつは変な奴だ、近づかないでおこう"ぐらいに思わせた方が。

「シュレーディンガーの猫っていうのは、蓋付きの箱の中に『猫』と『1時間以内に50%の確率で崩壊する放射性原子』と『原子の崩壊を検出すると青酸ガスを出す装置』を入れた場合、1時間後には『生きている状態と死んでいる状態が1:1で重なり合った状態の猫』という不可思議な存在が出てくるのではないか?という思考実験のこと。つまりミクロな世界での量子現象をマクロな世界に拡張することで、量子力学の確率解釈論の問題点を分かりやすくした──」

 最後まで言い切る前に彼女達は屋上を出ていってしまった。いじめっ子にシュレーディンガーの猫は難しかったようだ。

(これで明日からは楽になる、頭のおかしい奴って思われて終わりね)

 ──終わりだけど、終わりじゃない。ここから私の人生は始まる。

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