第14話
──はずだった。
元より容姿端麗、成績優秀だったので就活は楽勝だった。就職先は、
本が好きだった私は本に携われる仕事に就きたかったので、進学はしなかった。
でも、いじめにより人とコミュニケーションを取ることが苦手になってしまった。人を前にすると、汗が止まらなくなり、言葉も出てこなくなる。なんとか喋ろうとしても、6年間の苦い経験がそれを阻む。
例えいじめに立ち向かっていたとしても、それまでの経験が、記憶が、私の奥深くに刻まれていた。
──心の傷として。
それから必死に頑張った。コミュニケーションが取れないと、この世界では生きていけない、死んでいるに等しいからだ。何も出来ない木偶の坊だからだ。
鏡の前で笑顔の練習をして、部屋の中で会話の練習をして。
2年かけて、やっと克服した。コミュニケーションが取れるようになった。表情豊かに接することが出来るようになった──いじめられっ子じゃなくなった。
仕事も順調に進み、作家の担当も任された。
辛くて泣いたこともあった。吐くぐらいに苦しい思いもした。でも、それすら心地よいぐらいに順風満帆な生活が送れたことがとても嬉しかった。
私は、本当の意味で私として生きられるようになったのだ。
「僕を助けてくれて」
そう言われて、戸惑った。瞬時に、これまでの記憶が蘇った。悲しい過去、辛い記憶。
──私はそんなことを言われるような、大層な人間じゃないのに。
今までの私はずっとずっと、仮面を被った『如月翠』だったのに。そんな私に"ありがとう"だなんて、相応しくないのに。
「如月さんが名前をくれたから、今の僕があるんです。感謝してもしきれません」
「でも、私はそんな人間じゃないし、いじめられてたこともあった。出会った日だって、仕事が上手くいかなかったぐらいで泣いてたし……、"ありがとう"なんて言っちゃいけないよ。私の方こそ"ありがとう"なんだから……っ」
年甲斐も無く、といってもまだ23歳なのだが、高校生(?)の前で泣いてしまった。ななくんだって不安を感じているのに。
私達はふたりで泣いた。みっともなく、全てを曝け出して。何分、何時間経ったか分からないほどに泣き、疲れて眠った。ふたりでソファに寄りかかり、毛布を被って。
どれくらい眠っていたんだろう。時計がよく見えない。
ふらついた足取りで時刻を確認する。8時丁度。今日は金曜日だから、仕事があるはずなのに、アラームが鳴っていない。
妙に頭が冴えてきてしまった、悪い予感がする。
しっかりと寝室まで歩を進める。如月さんがいるはずの寝室に。
一歩……二歩……、物音がしない扉の前。一応ノックをしてから、扉をゆっくりと開けた。
──ガチャ
「如月さん……?」
"それ"を見た瞬間、僕の身体は凍りついたように動かなかった。冷や汗が止まらない。動きたいのに、今すぐ駆け寄りたいのに動かない。
かろうじて声を絞り出す。
「……き、さらぎ……さっ……」
如月さんは透明感のある青緑色のベッドに横になっていた。それだけなら僕もこうはならなかっただろう。よく見ると、布団の一部が赤く染っている。彼女の心臓の位置だ。そして、まるで棺桶のように赤いフリージアの花が彼女の周りに敷き詰められていた。赤いフリージアの花言葉は──純潔。
「きさらぎさんっ……」
"涙"が溢れた。屋上で流した時よりも更に大粒で、大量の"涙"が。
なんとか足を動かし、如月さんのベッドに駆け寄る。青緑色のベッドのせいで余計に際立って見える、赤いフリージアが咲き誇るベッド。
近付いて分かった。大量の花びらは赤いフリージアの花ではなく、黄色と白色のフリージアの花びらが血で赤く染められていたのだ。
思考が追いつかない。誰の血か、だなんて考えたくもない。
如月さんは青白い顔をしていて触れるととても冷たく、心臓がもう動いていないことが分かった──僕の遺体と重なって見えたから。
状況を見る限り、彼女は殺されたのだろう。周りを見ると窓が開いていて、カーテンが風に揺れている。
第三者が窓から部屋に入り如月さんを殺害した後、フリージアの花びらを敷き詰めた? わざわざ用意していたのか。計画性がある、つまり最初から如月さんを狙っていたということか。
──誰が、何の目的で?
何故如月さんが狙われた? 僕はこの2日間行動を共にしていたけれど、誰かに恨まれるような人ではないことが明確だ……だとしたら怨恨の線は消える、でも、もしかしたらという可能性もなくはない。
取り敢えず、警察に連絡すべきか。いや、そもそも幽霊の僕に連絡など出来るのだろうか。声が聞こえなくて無言電話みたいになってしまいそうだ……。
(得策じゃあないな……)
……ポルターガイストを起こして管理人さんに鍵を開けさせ、如月さんを発見させるのはどうだろう。なかなかの名案な気がする、というかそれしかないんじゃないか?
「よし、そうと決まったら……!」
(如月さんごめんなさい!)
部屋中の食器や、本、時計を一斉に浮かせて思いっきり落とした。途端凄まじい地響きのような音が響き渡る。
これで聞きつけた人が不審に思って、管理人さんに報告してくれるはずだ。
「……きさらぎ、さ……ぼく……はんに、ん……みつけ、っ……」
視界が揺らぎ、意識が遠のく。
最後の景色は真紅に染まった彼女とフリージアだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます