第6話

 カーテンの隙間から射す光で目を覚ますと、如月さんは起きて朝食を作っていた。

「おはよう、ななくん。よく眠ってたね」

 ソファで身体を起こしている僕に向かって、微笑んでそう言う彼女。

 時刻は8時半過ぎ。如月さんは8時のアラームで起きたようだった。

「おはようございます、如月さん。本を読み終わった途端に何故か眠くなってしまって……」

「へぇ〜、そうなんだ。睡眠欲は無くても眠ることは出来るんだね」

 それで、本はどうだった?

 すごく面白かったです。

 でしょ!その本、私が担当したんだよ。

 えっ、そうなんですか?!

 ──如月さんは活字に触れていた、しっかりと。何故"腹が減っては戦ができぬ"が言えなかったのか、ますます不明だ──ことわざに弱いだけなのかもしれないが、うん、そういうことにしておこう。

 今日は、僕の過去が分かるかもしれない『つき高等学校』に行く予定だ。

 昨日、如月さんが見た夢についての話を聞く中で知った、僕が生前通っていた可能性のある学校。

 その屋上で僕は死んだのかもしれないのだ。

 ──そういえば、如月さんに聞かなければいけないことがあった気がするんだけれど……まあいいか。

「ですが、如月さん。僕についてどうやって調べるんですか?」

 僕は普通の人には視えないから、容易に学校に入ることが出来る(勿論壁をすり抜けて、だ)。けど、どこをどう調べればいいのか知らない。

 逆に如月さんは、入ることは出来ないけれど調べ方は知っている。

「ななくん、私はどこに勤めているだっけ?」

「出版社でしたよね、確かまつよいぐさ出版──」

「そう! つまり出版社権限で取材をすることが出来るのだよ! 事前にアポイントメントは取ってあるけどね。13時頃にお伺いすることになってるから、10時には駅に向かうよ!」

 アポイントメントなんていつ取ったんだろう。流石社会人と言うべきか、仕事が早い。

 如月さんは朝食を済ませ、出かけるための準備をしている──ゴミをまとめて、食器を洗って、洗濯物を片付けて。

 僕も手伝おうと思ったが、やはり断られたので、昨日一気に読み終わってしまった『彼の遺した日記』をもう一度読み返すことにした。

 ──やはり面白い。結婚記念日に妻から貰った本に、その日からほぼ毎日日記を付けている夫。その日あった出来事や、妻への想いが綴られている。だが、その日記の内容はどんどん悲惨なものになっていく──これ以上はやめておこう。結末は自分の目で読んでこそなのだからね。

 そうこうしているうちに、時計が9時45分程まで針を進めていた。

 ひとつしかない部屋の扉が開き、グレーのスーツに身を包んだ如月さんが出てきた。パンツスタイルのスーツで、派手すぎない上品な黒革のトートバッグを手に持っている。

「今日はスーツなんですね、似合っています」

 ……今、変なことを口走らなかったか?似合っている、などと言ってしまった気がする。思わず口をついて出た、という感じだ。なんでそんなこと言ったんだろう。

「ありがと。名目上は取材というお仕事だからね、失礼のないようにしなきゃ」

 という如月さんの言葉を受けて、脳内から先程考えていた些細なことを払拭する。

 考え続けても、言ってしまったことは仕方ない。彼女も気にしていないようだし。とにかく今は目の前のことに集中しなければ。

「休日なのにわざわざすみません。今日はよろしくお願いします」

「うん! こちらこそ。ココア入れるから出発する前に一息つこう」

 といって、食器棚から水玉模様のついたピンク色と水色のマグカップをふたつ取り出し、ココアの粉を入れ、ポットのお湯を注ぐ。

 小ぶりのスプーンで粉を溶かすように掻き混ぜて、ココアの入ったマグカップを持ってきてくれた。

 受け取ったマグカップが、じんわりと温かい。

 僕も如月さんもソファに座り、ココアを飲んで、ほっと一息ついた。

 如月さんが入れてくれたココアは少し濃いめに作ってあって、それがまた、過去を知ることがちょっぴり不安な今の僕には心地よかった。

 とても温かくて、甘いココア。

 僕は、彼女が入れてくれたココアを、ずっと忘れないだろう。何故かそう思った。


 ココアを飲み終えると、いつの間にか10時を少し過ぎていた。

「よーっし! ななくんの過去を知るために、レッツゴーだー!」

 右手を上に高く挙げ、おーっ!とポーズを取る如月さん。

 外に出ると雪が降っていた。

 僕が死んで、霊体になった時の大粒の雪とは違い、粉のように細やかな雪だった。

「これは──」

ささめゆき、ですね」

「そう! 細かな雪、もしくはまばらに降る雪のことだよ。知ってたんだ?」

 いや、知らなかった。ただ、こんな風に降る雪をどこかで見たことがあって──あの時誰かに教えて貰った気がするのだけど、思い出せない。

 死んでから、このようなことがたまにある。知らないのに知っている、分からないのに分かる、というようなことが。

(……この感覚の正体はなんなのだろう)

 それもこれも、今日僕を知ることが鍵になる──


「行きましょうか、『つき高等学校』へ」

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