中編



 嘉月と陽菜は、結局中学時代はずっと違うクラスで終わったが高校では一年次から同じクラスとなり、話していた通りに二人揃って野球部に入部したこともあって、中学時代と比べても格段に二人で一緒にいる機会が増えた。

 普段は寡黙で不愛想な人間としてクラスメイトに知られていた嘉月に、明るい性格で学年でも屈指の人気者となっていた陽菜があれやこれやと親身になって話しかけているのを、二人の事情を知らないクラスメイト達は好奇の目で見ていたが、あまりにも素っ気なさすぎる嘉月の態度とそれにもめげずに嘉月の側にいる陽菜の姿に、嘉月を非難して陽菜に別れるように勧める者も現れ始めた。



「日向くん。少しいいかしら?」


 昼休みに一人で弁当を食べていた嘉月に、クラスの女子のまとめ役を担っている女子生徒が話しかけてきた。


「別に構わないけど、俺に何か用なのか?」

「あなた、影山さんに対して冷たすぎやしない? あれだけ毎日毎日熱心に話しかけているのに、いつも素っ気ない返事ばっかりで。見ているこっちは気が気じゃないわよ」

「あまり気にするなよ。あれでも俺なりに陽菜には気を遣ってるんだぜ」

「全然気を使ってるように見えないから言ってるんじゃない……」


 女子生徒は肩をすくめながらもやや非難のこもった視線で嘉月を見つめるが、嘉月はまるで動じずに女子生徒のことを見つめ返す。


「俺は別にあいつのことを嫌っているわけじゃないんだぜ」

「なら、もう少し愛想のいい態度を取りなさいよ。あれじゃあ影山さんが馬鹿みたいじゃないの」

「何で俺が陽菜のやり方に合わせなけりゃならないんだよ」

「そりゃあなたにも自分のやり方があるでしょうけれど、少しは他人に合わせなさいよ。今のあなたのやり方を見ていると、正直言って我慢がならないわ」


 クラス中の女子の顰蹙ひんしゅくを買ってるのがわからないの?、と女子生徒は最後通告のように告げたが、嘉月はそれでも動じることなく、淡々と食べ終わった弁当箱を片付ける。


「そうか、まあ好きにしてくれよ」

「私の言っていること、ちゃんと理解している? あなた、このままじゃクラス内で孤立しちゃうわよ」

「……なあ、お前、何か勘違いしていないか?」


 なおも食い下がる女子生徒のことを、嘉月は正面から見据えて言葉を投げかける。女子生徒はそれに対して怪訝そうな表情を浮かべた。


「どういう意味……?」

「よく考えてみろ。もし俺が陽菜のことを本気で嫌っていたら、それこそ相手にもしてないさ。わざわざ下の名前で呼んだりもしない。陽菜は俺が嫌がってると知ったら迷わず俺から離れるだろうが、そういうこともないだろう?」

「……」

「忠告はありがたいが、俺は俺のスタイルを崩すつもりはない。あるいは、陽菜がそれを嫌だと言うまではな。それが俺なりの陽菜に対する誠意だ」


 嘉月は女子生徒に対して強い調子ではっきりと言い切る。たまたま教室に残っていた生徒たちがこぞって嘉月の方に視線を集中させるが、この点については断固として譲れないことをはっきりさせておかなければならない、と嘉月は考えたのだ。

 その言葉を受けた女子生徒はしばらく呆然と立ち尽くしていたが、やがて諦めたように大きくため息をついた。


「……なんで影山さんは、あなたみたいなのにお熱なのかしら……?」

「それは陽菜に直接聞けばいいだろ。もっとも、余計な詮索はしない方が良いとは思うけどな」

「ご心配なく、そこまでするつもりもないわ」


 女子生徒は諦めのこもった声でそう言うと自分の席に戻っていく。嘉月はそれを見届けることなく、周囲の視線を物ともせずに教室から出ていった。



 同じ頃、陽菜は学年が一つ上の先輩に告白をされていた。

 中学時代からそれとなく陽菜のことが気になっていたそうで、陽菜が高校に上がって来てから告白しようと決めていたのだという。

 勿論、陽菜もその先輩のことは良く知っていて、その気持ちを尊重して話を聞いたのであるが、心の中では答えは決まっていた。


「……お話はとても嬉しいんですけれど、ごめんなさい、先輩」


 陽菜がそう言って丁寧に頭を下げると、先輩は苦々しげに顔を歪めて陽菜に問いかける。


「どうしてだ? 俺のどこが気に入らないんだ?」

「先輩のことが嫌いってわけじゃないんです。ただ……私にはそれ以上に好きな人がいるんです」

「日向嘉月のことか? あんな不愛想な奴のどこが気に入っているんだ」


 先輩が吐き捨てるようにそう言うと、陽菜は露骨に不服そうな表情を浮かべた。


「先輩も嘉月くんのこと、嫌いなんですか?」

「そこまでは言わないが、俺たちの間でもあまり評判は良くないな。何で影山さんみたいな子が嘉月みたいな付き合いの悪い奴の側にいるのか、正直理解に苦しむな」


 陽菜からの問いかけに、先輩は駄々だだっ子を諭すような口調で答える。それを聞いた陽菜は疲れたように大きなため息をついた。


「先輩は、私たちのこと、何にも理解しようとしてないんですね。それじゃあ、本当に私のことを想ってくれていることにはならないです」

「お、おい! 俺は君のことを思ってだな……」

「本当に私のことを想っているんなら、まず嘉月くんのことを知ろうとしてください。話はそれから改めてお聞きします」


 陽菜のはっきりとした強い拒絶に先輩は慌ててフォローに入るが、陽菜はもうその先輩には興味がないとでも言うように踵を返してその場から立ち去ろうとする。


「ま、待ってくれ、影山さん! そこまで言うのなら、君と日向の間に何があったかくらい教えてくれ」


 先輩の必死の呼びかけに、陽菜は一瞬だけ足を止めて振り返った。


「……嘉月くんは、私の命を救ってくれたんです……」

「……いのちを……救う……?」

「そうです。まだ私がいじめられっ子だった頃、自殺まで考えるほど追い詰められていた私を、出会って間もない嘉月くんが救ってくれました。それ以来ずっと、私にとって嘉月くんはかけがえのない存在なんです」


 陽菜のその言葉に、先輩はポカンと口を開けたまま呆然としてしまう。陽菜の言っていることは理解できるのだが、頭が追い付いていかなかった。


「……俺にはよく分からないよ。日向の奴がどれほどすごいことをしたのか知らないけど、たったそれだけのことで……」

「……やっぱり先輩は分かっていないです。さよなら、先輩。もっと良い人が見つかるといいですね……」


 戸惑う先輩にダメ押しのようにそう言うと、今度こそ陽菜はその場から立ち去った。とり残された先輩はただただその場に立ち尽くすばかりだった。



 高校に進級して半年が過ぎたころになると、嘉月と陽菜は、次第にクラスの輪からは距離を置かれるようになっていった。あの二人には何を言っても無駄だという諦めの感情がクラスメイト達の間で共有された結果だった。

 そんな状態を喜んでいたのは嘉月よりも陽菜の方であった。かなりの数の人間からしつこく嘉月のことで忠告を受けていた陽菜は、「ようやく口うるさい人たちから解放された」とすっきりとした表情をしている。

 それに対して、この状況をもっと喜んでいいはずの嘉月は、そんな陽菜の様子を見て逆に心配を隠そうとしなかった。


「陽菜、お前最近ずっと俺のところにいるけど、いいのかよ?」

「嘉月くんは私と一緒にいると退屈なの?」

「そうじゃなくて、お前が俺とばかりいて大丈夫なのかってことさ」

「ああ、そのことなら全然平気。どうせみんな、私のことなんてうわつらしか心配してないもの」


 嘉月は嘉月なりに陽菜のことを案じて言ったのだが、陽菜の方はそんな嘉月の心配などどこ吹く風と言わんばかりに過激な意見を口にした。


「そういう言い方はないだろ。仮にも心配してくれているんだし」

「ううん、私、昔はいじめられっ子だったでしょ? だから、その人の考え方とかが何となくわかっちゃうんだよね。ああ、この人は表面でしかものを言っていないな、って」

「俺だって表面だけでものを言ってるかもしれないぜ?」

「嘉月くんがそんな器用なこと出来るわけないじゃない」


 全くめてない言葉をさも褒めているように話す陽菜に、嘉月は渋い表情を作る。


「どういう意味だよ、それ」

「嘉月くんは真っ直ぐな性格だってこと。嘉月くんって、嘘つくの苦手だし、つかれるのも好きじゃないでしょ?」


 陽菜がかなり鋭いところを突いてくるのを、嘉月は軽い驚きをもって受け止めた。実際のところ、嘉月は昔から嘘というものが苦手としている。嘘をついてもすぐにばれてしまうし、相手の嘘を見抜くことも出来ない性格だった。


「俺のことをよく見ているんだな、陽菜は」

「そういう嘉月くんだって、何だかんだ言っても私のことを気にかけてくれているじゃない」

「……いや、俺が言うのもおかしいかもしれないけど、結構雑な対応をしてると思うぞ」


 嘉月がややうつむき加減にそういうと、陽菜はきょとんとした表情を浮かべる。思いもかけないことを言われたという顔だった。


「何言ってるの? 嘉月くんはいつも私に優しいじゃない」

「……お前、本気で言ってるのか、それ?」

「嘉月くんは意識せずにやってるのかも知れないけど、どんな時でもどんな話題でも嫌な顔一つせず、私のことを真っ直ぐに見つめて真摯しんしに応えてくれるでしょ? それが他のどんなことよりも私には嬉しいの」


 陽菜は心からの信頼を表現するようにゆったりと優しい声色でそう言うと、にっこりと嘉月に微笑みかけた。その陽菜の笑顔がとてもまぶしく思えた嘉月は、顔を少し赤くさせながら横を向いてしまう。


「……俺を買いかぶりすぎじゃねえのか、陽菜」

「そんなことないよ。むしろ周りの皆が嘉月くんの表面しか見てなくて、嘉月くんがそれに引っ張られているだけだと私は思うけど」


 陽菜はそう言って横を向いた嘉月の正面に回り込んで顔をのぞき込む。嘉月の方も観念して陽菜の顔を正面から見つめる。陽菜の微笑みにつられるように、嘉月の表情もいつしか困ったような笑顔に変わっていった。


「……全く、お前には勝てそうもないな」

「私も嘉月くんには全然勝てないけどね」

「じゃあ、もし俺がお前に告白したらどうなるんだ?」

「それって愚問じゃない? 私が勝てないって言っているんだからさ」


 嘉月の問いに、陽菜はいたずらっぽい口調で答える。


「俺も勝てないって言ってるんだが……」

「じゃあ、おあいこだね。二人とも相手に負けて告白を受けるってことで」

「告白にあいこなんて概念がありなのかよ?」

「知らない」


 嘉月と陽菜はそこまで話してから、お互いに顔をまじまじと見つめて、少し間を置いてから爆笑した。

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