☆2 空腹って抗いがたいもの



気がついたらそのまま二度寝していた。

ぼろっきれ同然の毛布に包まり眠っていた少年を揺り動かしたのは、茶色の髪をした小さな女の子だった。


「兄ちゃ、おきて。おきて」


「うう……、昼のバイトまでは起こさないでくれよ……」


「おきて!」




「……げほっ!」


耳元で怒鳴られ、腹部に衝撃を受けた少年はようやく瞼を開ける。

そもそも自分は一人暮らしをしていたはずなのに、どうして他人に起こされているのか……。こんな妙な目覚ましなどかけていただろうか。


己の腹の上に乗っている女の子と目が合い、こちらは瞬きをした。


柔らかな栗色の長い髪に、灰色の瞳をしている。年齢は十歳くらい。生成りのワンピースを着たその子が困ったように眉尻を下げて俺のことを見ていた。


やけに痛いと思ったら、靴を履いたままで俺の腹部に飛び乗ってくれたらしい。


「……お兄ちゃん、寝坊だよ。いくら起こしても起きないから、ミリアがカンカンに怒ってるよ」


「お前……誰だっけ?」


そういえば、なんか寝る前に変な体験をしていた気がする。

ファストフード店に突っ込んできた車にプレスされた記憶やら、汚い毛布と窓の外の二つの月とか、そんなようなことを思い出し、みるみる不安そうな顔をしている女の子をとくと眺めて、まだこの奇妙な夢が続いていることを知る。


おもむろに少年は自分の頬をつねってみるも、痛みははっきりしているのに覚める気配がない。


「わたしはルリイ。妹のことを忘れちゃったの?」


余りに悲しそうな声で言われるものだから、少年は慌てて言った。


「……いや、忘れてないって! 今思い出したから大丈夫! 寝ぼけてただけっ」


口から出まかせだが、この肉体の家族から不審がられて追い出されたら生活に困窮してしまう。右も左も言葉も分からない……いや、現地人と言語は通じているのか? 一応。


そこまで喋ったところで、ふっと蘇った記憶があった。

この世界の家族構成から人間関係……そのようなものがうっすらと頭に浮かぶ。


どうやら細市は貧しい男爵家の長男として生まれ変わっていたようで、前世の記憶が戻るまではわりとおどおどした性格をしていたみたいだ。


今世の名前はマケイン・モスキーク。

あと数日で十二歳の誕生日を迎えるところだ。


最低限の知識は残っていたことに安堵して、挙動不審に腹違いの妹に笑いかけたところで。


「あー! ようやく起きた!」


大声で叫んだもう一人の少女が部屋に踏み込んできた。

ずんずんやって来たそいつは、兄の腹の上に乗っているルリイを押しのけると、こちらの胸倉を掴んで怒鳴り散らす。



「こんな昼間まで寝ているなんて、いったい何を考えているのよ! いくらアンタが愛妾の子どもだからって、仕事もしないで遊ばせているよゆーなんてないんだから! ふん!」


「ミリア……」


ルリイの双子の姉であるミリア・モスキークは鬼のような形相で兄の方を睨みつけた。

見た目もそっくりだ。

マケインの妹である彼女たちは正妻の子どもで、目立った取り柄のない長男のマケインは今はもう亡くなった愛妾の息子である。


マケインの方が年長の跡継ぎであるはずなのだが、ミリアとしてはそれがとんでもなく気に入らないのだ。事あるごとに突っかかり、いつもツンケンとしている。



「……それは悪かったよ」


「なによ! てきとうに謝っておけばいいと思ってるなら大間違いよ! ……行きましょ、ルリイ。こんな弱っちい人間と同じ空気をすっていたら喉がくさっちゃうわ」

「むう……」


こちらを見たルリイがミリアに連れていかれる。それを見送ったマケインは、欠伸をすると立ち上がる。

いつもよりも目線の低い身長。まだ成長途中の身体に違和感を覚えながらも二階の階段を下りていくと、その途中の壁にシンプルな鏡が掛けられていた。

砂色の髪に鳶色の瞳をした美少女の姿が映っている。


(誰かって? 分かってるだろーが俺だよ、俺。

うわ、なんだか今度の俺の体(♂)って女の子みたいな見た目。しかも、日本の地方都市じゃ滅多にお目にかかれないような外国人風の美少女だ。


もしかして、ミリアが俺を嫌っているのって女子力や容姿で兄に負けているからだとか……じゃないよな?)


戦国時代の武士って男色も当たり前だったらしいけど、どこか逆らえない身分のやんごとなき貴族に狙われたらと思うとかなりおっかないぞ。

明らかに不都合な事実を目の当りにし、頬がひくひく動いた。


イヤな想像に頭を抱えながら鏡を見ていると、廊下を通り過ぎた婦人がおっとりとこちらを見る。


「あら、やっと起きたの。マケイン。いつも早起きなあなたが珍しいじゃない」


双子姉妹と同じ栗色の髪をした大人っぽい女性だ。モスキーク男爵家正妻の彼女の名前はマリラ。マケインとは血が繋がっていないのに、何かと世話を焼いてくれる。


「……ども」


こういう時、少年はどんな反応をしたらいいのか分からない。

あんまり慣れなれしいのもどうかと思うけど、もっと気安い態度をとった方が良かっただろうか。

洗濯物を抱えた義理の母は、テキパキと動きながら喋る。


「朝食は台所に置いてあるから、それを食べなさい。うちは貧しいんだから、くれぐれも食べ過ぎないこと」


「分かってるよ、義母さん」


貧乏貴族なモスキーク家の鉄壁のルールだ。

これを破ろうものなら、しばらく罰として食事を抜かれても仕方ない。

家族全員腹いっぱい食えるほどの食料は確保できないのだ。みんなで譲り合いながら食べるしかない。

……という理屈は重々承知をしているのだが、



 ぐぎゅるるるるる……。


さっさと飯を食わせろ早くしろとばかりに自己主張してくる腹の音と空腹感に、異世界転生したばかりのマケインは早速ピンチ(極めて低次元)に陥ることとなったのであった。




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