第46話

「櫻井君の」

雄馬に笑顔を返して。杏は続けた。

「彼女にはなれなかったよ」

言葉の内容は重いのに、その口ぶりは清々しい。


自分の告白に、振られた経験を語って返す少女の屈託ない笑顔に雄馬は見惚れる。


「あたしの恋は片道切符だったけど……」

改札口に眼を向けて杏は言う。

「お姉ちゃんの恋は往復切符だったみたいだね」


入り口のサッシを開けて。

始発に乗るのか誰かの迎えか、まばらに人影が覗く。


「おーおー早いな君等」

おちゃらけたセリフと共に姿を現した人影に杏が陽気な声を掛ける。

「焼きそばパン頬張りながらとかお行儀悪いよ純也君」

「仕方ないだろ、育ち盛りなんだからさー」

言って人目も気にせず手にした食べかけの焼きそばパンを頬張る純也の姿に。雄馬はどうやらこの異常な状況を理解しているのはこの少年ではないかと思った。


「ここに呼ばれた理由?」

最後の一切れを詰め込んだ口をもごもご言わせながら、自動販売機から買ったコーヒーの紙コップを片手に。

「俺の要件は俺で有るけど……」

言って杏と雄馬の顔を交互に眺める。


「君等には君等で呼ばれた理由が有るんだろ?」

二人が並んで座っているベンチの前に立って、熱いコーヒーを啜りながら言う。


雄馬は自分が克己に頼まれた事情は勿論知ってはいるが、杏と純也の事情までは思いつきもしない。


「あたしを振っといてさ」

杏が、言葉だけは忌々しそうに。

「嫌われついでにもう一件頼みがあるとか」

杏を挟んで雄馬の反対側に腰を降ろした純也が吹き出す。

「笑うなっ!」

言いながら自分でも笑っている杏の右手が、隣に座った純也の太ももで大きな音を立てた。

くつくつと、笑いを噛み殺す純也が、杏の太ももの上を飛び越えて雄馬に右手を差し出した。

思わず手を出した雄馬の手に2枚の百円玉が落とされる。

雄馬の手のひらに百円玉を落した純也の手は、人差し指と中指だけを立てて、続けて自動販売機を人差し指で差した。

一瞬考えた雄馬は、純也の意向を読み取ってベンチを立った。


「僕は……姉ちゃんの迎えを頼まれて……」

自動販売機に硬貨を入れながら雄馬は杏の様子を窺う。

「あたしブラックで……」

やっぱり大人なんだなと、大して意味もない思いを浮かべながら、雄馬はコーヒーのボタンを押した。


「ありがとう」

熱いコーヒーの入った紙コップの縁を長い指で挟んで受け取る杏の綺麗な手を、いとおしそうに眺めて雄馬は純也に百円玉を一枚つまんだ右手を差し出す。


一瞬怪訝な表情を見せた純也だが、雄馬の顔を見上げて納得いったという笑顔を浮かべて硬貨を受け取った。


(これで杏さんの分は俺の奢りだ……)

雄馬は一人満足して再び杏の隣に腰を落ち着ける。


「ところでさ……」

膝の上に紙コップを抱えた杏が雄馬に問いかける。

「雄馬君……携帯とか、持ってる訳?」

思いがけない杏の質問に雄馬は狼狽える。

咄嗟に「お友達になってください」と口走ってしまった雄馬。

そんなことなぞ考えていたはずもない。


今日これからお別れするというのに。

「向こうに着いたら」


「新しい学校に行ったらバイト始めます」

あてがあるわけでもないのに。中学3年の、芽生えたばかりの熱情は光を求めて伸びをうつ。


二人の会話を、横から口も挟まず聞いていた純也が時刻表を見上げて告げる。


「もうじき、始発来るな」


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