第36話

小さな旅行カバンに荷物を詰めながら、玲子はこの三月あまりの間に起きたあれこれに想いを巡らしていた。

父の転勤が決まった事。

それに伴って、父の単身赴任を選ぶか、家族での転居を選ぶかの選択。

さっきと同じように家族で食卓を囲んで話し合った。


「俺引っ越しなんてやだぜ」

「あたしも友達と離れたくない」

雄馬と二人最初は逆らってはみたけれど。

けれど。

「父さんは一人でもやっていけるから……」

そう言って笑った父の笑顔はどこかぎこちなくて。

「父さんなら大丈夫よね。そう父さんなら……」

重ねた母の淋しそうな笑顔。


少しは大人の気持ちが察せられるようになっていた玲子が先に折れた。


折角仲良くなったクラスメートと離れたくないと言う想い。

見知らぬ都会への憧れ。

そんな葛藤に揺れるあたしの前に現れた先輩。


呼び出された廊下で背中に浴びた西日の暖かさが不意に玲子の脳裏に蘇った。

熱かった。

日焼けが出来たんじゃないかと思えるほどに感じたあの熱さはなんだったんだろうか。

手の中でハンドタオルをもてあそびながら、頬に手を充てて頬の熱さに戸惑う。


家族を捨てようとしているのに。

家族の想いを裏切ろうとしているのに。

玲子の手は旅立つ準備をやめようとしない。


額から、こめかみから、体中が熱を帯びている感覚。

(あたし、熱に浮かされてる?)

自分が普通では無いと気付きながら、その気づきは寧ろ玲子の熱を加速させる。


あたしは今恋をしている。


燃えるような恋をしている。


その感覚が16歳の少女に燃料を投下する。


気が付けばハンドタオルを握りしめたまま、懸命に克己との出会いからのいきさつを思い出そうと考え込んでいる。

図書室前の廊下。

校庭端の会話。

階段下のステップ。

レジで見かけたコンビニの制服姿。

それからそれから。


コンビニ裏での喧嘩が先だったか。

墓参りで休んだのが先だったか。

順序だてて思い出そうとするのに、次から次へと思い出が背中を押して思い出が足を停める事を許してくれない。


こんなに一杯先輩との思い出が有ったのか。こんなに沢山彼の事を考えていたのかと今更のように気づかされて玲子の心は眩暈を起こす。

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