第32話 くちづけ
「ホントは炭酸あんまり得意じゃないんです」
言いながら飲みかけのラムネの瓶を克己に差し出す玲子。
自分で選んで克己に買ってもらいながら、半分も飲まずに克己に押し付ける玲子に克己は苦笑を返す。
「あたし、フラッペ買ってきます。先輩残り飲んじゃってください」
言うなり夜店に向かう玲子の後姿を見送りながら、克己は玲子に預けられたラムネの丸いプラスチックの飲み口に唇をあてた。
仄かに冷たく、微かに丸みを帯びた飲み口の感触が、あり得ない事だが克己にまだ知らぬ玲子の唇の感触を連想させた。
玲子の消えた人混みを見送って、克己はラムネの飲み口の感触を楽しみながら周囲の屋台の提灯の灯りに去年までの自分に想いを巡らしていた。
男友達と連絡を取り合って、イカ焼き、焼きそば、焼きもろこし。
親の仇を討とうとでもいうように仲間と貪り合っていた。
およそ女子には縁のない男子で群れては冷やかし三昧。
今いる屋台中央の広場に置かれたビーチテーブルの一角を陣取って行き交う人並みの中に見かける同窓生の姿を探しては他愛のない噂話に笑いあっていた。
アノ時と似たような場所に居るのに周りの風景から受ける印象がまるで違う。
上級生が、同級生が、下級生の姿が見えないかと目を皿にしていた去年。
それが今は、周囲を埋め尽くす人々の顔がまるで印象に残らない。
大勢の人が行き来していることは認識できているのに想いに浮かぶのは玲子の事ばかり。
気が付けば人混みの中に探しているのは玲子の浴衣の柄だけ。
人混みの中には恐らく克己を見知った人間も少なからずいるのだろうし、玲子と一緒の所をクラスメートにでも見られれば格好の冷やかし対象にされるのだろうが、今の克己にはその事を気に掛ける余裕も無い。
テーブルに一人。ざわめきの中央に居るのに。
ついいまさっきまで手を繋いでいた暖かくて柔らかい手がここに無いだけで荒野に取り残されたような寂しさ。
克己はそんな自分を慰める様に、とうに空になったラムネの瓶に口づける。
「玲子、今日はお帰り何時~」
フラッペが出来るのを待っていた玲子に横から冷やかしを入れたのは先程のクラスメートだ。
振り返る玲子の視界に先程のクラスメートと、その後方に幾人かのクラスメートの女子集団。
玲子が小さく指をあげて挨拶すると、クラスメート達も同じく指を上げて笑みを返す。
「玲子、あんた後で報告会ね」
キョトンとする玲子にクラスメート。
「男の居ないあたしら横目にお祭りデートとか許しがたいわ」
笑顔で宣告する級友に同道の女子達が満面の笑みで激しく頷く。
どうやら先程の相撲見物、皆に見られていたらしいと気付いて玲子は頬を赤らめた。
返事に窮した玲子は、それでも精一杯の申し訳なさを顔に浮かべて級友たちに両手を合わせた。
「あたしらが出来ない分、彼氏と存分に楽しんで甘々なおのろけ話聞かせてよね」
「それいい!あたし聞きたーい」
一斉に黄色い歓声が上がった。
玲子の表情に留飲が落ちたのか、クラスメート達は破顔しながら玲子に手を振って人並みに消えていった。
身がすくむ想いと同時に、身体が火照る得も言われぬ快感に玲子は身を持て余した。
(みんな克己先輩が悪いんだ……)
勝手な言い分で心の中で八つ当たりしておきながら、玲子は手の甲を充てた頬の熱さが心地いい。
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