第17話

事務所に戻って帰り支度をしながら。

「お休みさせていただきたいんです」

忙しくなってきた時期にバイトを休みたいと言い出した玲子に。

「里帰り?」

珍しく店を手伝っていた杏が帰り支度をしながら問い返す。

制服をはだける杏の、明らかに玲子よりボリュームのあるバストに気圧されながら、玲子は小声で返事を返す。

「母の実家が隣町なんで」

「そうなんだー」

相変わらず屈託のない杏の返事に玲子は寧ろ気後れする。

(この人ほんとあけっぴろげなんだな)

玲子の視線も気にせず、脱いだ制服をバッグに詰め込む杏。

下こそスカートを履いてはいるが、ブラ1枚で団扇を使う杏に玲子は。

(克己先輩、この人相手じゃ押し切られちゃうんじゃ……)

玲子の視線に気付いた杏が笑顔で玲子に首を傾げて見せる。

「?お休み。1日でいいのかな?」

玲子は慌てて答える。

「お墓参り終わり次第帰って来るんで。なるべくお店に出られるようにします」

「そう……まあ、無理はしなくてもいいから……」

優しい杏のセリフに、寧ろ不安が募った玲子。

(きっとそんなに時間は掛からないよね)

ーーーーー


「と、言うわけだからさ。火曜日あたしと二人ね」

さり気なく言う杏の言葉にも克己は上の空。

(盆迎えかー)

子供の頃、父方の祖先の墓に提灯をぶら下げて行った記憶が蘇って、克己は玲子の後ろ姿を思い浮かべる。

「櫻井君聞いてるの?」

カッターシャツの胸のボタンを一つ外した杏がその胸元に団扇で風を送り込みながら克己に問い直す。

夜間担当のスタッフと交代した克己と杏は事務室で帰り支度。

混雑に、シフト外の残業をしていた克己を残して玲子はもう居ない。

狭い男性用ロッカールームで着替えを済ませた克己が杏の支度を待たされていたのだ。

お盆が近づき、地元を離れていた出身者の帰省で各家庭も忙しく、アルバイトの確保にも事欠く時期に、このところ杏も駆り出されて度々克己と肩を並べていた。

「お盆当日だからコンビニはそうそう込み合わないとは思うんだけどさ」

わざとでは無いのだろうが、ボタンを外した胸の谷間にガーゼ地のハンカチを突っ込む杏に、克己は慌てて視線を外す。

「えっち」

眉を顰めながら、そのくせ口元は笑顔の杏が克己を睨む。

「み、見てねーし」

照れる克己に杏が畳みかける。

「櫻井君になら見せてもいいんだけど……」

視線をテーブルに落として言う杏に、克己は返す言葉が見つからずに首を竦めた。

「帰ろ?送ってくれるんでしょ?」

殊勝な態度の杏に、克己はおちゃらけも出来ずに頷いた。

敷地の端に建てられた外灯に、小さな虫が集まりだして夏が深まりつつあるのを克己達に教える。

裏口から店を出た克己と杏は連れだってコンビニを後にする。

薄いカーディガンの下はタンクトップの杏。

男の克己にはその辺のセンスがわからない。

(暑いのか寒いのか、一体どっちなんだよ)

口を尖らせながらもその実、杏のその姿は克己の眼に心地良い。


杏の自宅はコンビニからなら歩いて2キロほどの道程みちのりで、普段なら杏も一人で行き来する道だが、今日はもう9時過ぎ。

「流石に日が暮れると寒いよね」

言いながら薄いカーディガン越しに腕をさする杏。


「櫻井君には迷惑だったんだろうけどさ……」

珍しく殊勝な杏の俯き加減の姿勢が、国道を照らす灯りに照らされて、並んで歩く克己に杏のうなじを誇張する。

「今日は克己君が一緒で良かった」

国道を折れて川向うの杏の自宅に向かう橋の上。

高い外灯の灯りが仄かにコンクリートの路面を照らす。

灯りに誘われてきたのはいいが。

力尽きて落ちたのか、路面で小さな羽を震わせる羽虫を川面を渡る夜風が撫でていく。

外灯に照らされた空間だけが薄明るく、その向こうの世界を闇に呑み込んでいる。

気が付くと杏が、腕が振れるほどに克己に近い。

橋の向こうの外灯に照らされていた人影が、近づくにつれ闇に呑まれてその姿を消す。

「あたしだって女の子だからさ……」

呟く杏の手の甲が克己の手の甲を叩く。

普段活発な分、大人しい杏は別人の様だ。

衝動的に杏の手を握って克己は心の中で玲子に手を合わせる。

(これくらいは許されるよね……)

「ここいらならカブトムシとか飛んでくるんじゃね?」

言い訳するように声を張って、克己は聞かれてもいない話題を振る。

 嫌がりもせず手を握り返した杏が何時もの朗らかな声を上げる。

「櫻井君興味有るの?今度取っといてあげようか」

「イヤ流石にこの年になってカブトムシは」

談笑する克己と杏の横を、先程闇に姿を消した人影がこちらの外灯の光の範囲に入ってまた姿を浮かび上がらせた。

もう杏に先程のしおらしさは見えない。

克己は安堵すると共に僅かに寂しさも覚えた。

勿論罪悪感と共にだが。

「櫻井君。彼女なんで誘わないの……」

「え?」

唐突な杏の問いかけに、克己は反射的に杏の手を離し、その手をジーンズの尻のポケットに突っ込む。

「べ、別に俺は……」

あからさまな反応だが、杏はツッコミを入れたりはしない。


「余計なお世話なんだろうけどさー」

言って杏は大きく伸びをした。

「櫻井君と小笠原さん?見てるととっても不思議なんだよねー」

闇をバックに、外灯の灯りに照らされた羽虫が、まるで細雪のような、季節違いの風景を見せている。


「言っちゃおうかなー」

悪戯っぽい笑顔を浮かべた杏が橋向こうの外灯の灯りまであと少しを残して立ち止まった。

「?」

つられて立ち止まった克己は、杏が自分を正面から見つめていることに気付いた。

「あたしさ。小学校の頃から克己君の事、気になってたんだけど……気付かなかった?」

外灯の弱い灯に照らされて、杏の綺麗なボブカットの先端が揺れる。

突然の告白に克己は言葉が出てこない。

「結構アピールしてたつもりなんだけど」

口調はさばさばしているし、笑顔のままだが。杏はその場を動こうともせずに克己を見上げている。

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