第3話 恋とダンスとバイトとエトセトラ

「どうした」

いつもと違う克己の様子に幼馴染の純也が聞いた。

「ん……」一瞬言い淀んだ克己が、シロップも入れないアイスコーヒーのストローに僅かに口をつけて言う。

「転校するんだと……」


下校途中の交差点、交差点の一角に建つ2階建て喫茶店。アイスコーヒーを啜りながら男子高校生が二人。


「転校?」怪訝な表情で問い返す純也。

「またか?」

幼い頃からの友人には言わずとも解ってしまう事がある。


「お前中学ん時も好きになった子に転校されちゃったんだよな」

「……」

克己は言葉も無く頷いた。

中学時代、克己には純也も良く知るクラスメートに好きになったが居たのだが。

チキンな克己が言い出せずにいるうちにその子は転校してしまった。


「どーすんだよ」


「んー」


黙り込む克己の前で純也も黙って寄り添う。


 -----

「そりゃまあ。我が校では絶対禁止と言う訳でもないからな」


早朝から職員室に押しかけて来た克己に、生活指導教諭を兼ねる英語教諭の手塚は手にした出席簿を指先でトントン叩きながら念を押す。


「もちろんご両親は承知の上なんだろうな」

「もちろんですとも」


克己は勢い込んで答えたが、勿論は勿論でももちろん言っただけでまだ返事は貰ってはいないのだが。


これについては「小遣い自分で稼ぐから」の一言で丸め込める勝算があっての克己の「もちろんです」なのだ。


以前の克己なら、小遣いが増えようと自ら働こうなどとはまかり間違っても考えなかったが今は違う。


色ボケしている男子高校生という物は侮れないのだ。


明確な目標を手に入れた克己には最早そんじょそこいらのハードルは敵でもない。

「じゃあ。この用紙に両親のサイン貰って来い」


同意書を差し出す黒縁眼鏡の手塚の顔が、今の克己には二人の門出を祝う牧師の様に見えていた。


つい先日、初告白を断られたばかりだと言う現実を克己は何処かへ忘れて来たらしい。


ーーーーー

「本気なのかよ」


登校中の他の生徒に紛れて、克己に同意書を見せられた親友の純也は畳んだ同意書を克己に手渡しながら呟く。


「当たり前だろ。彼女が出来るかどうかの瀬戸際なんだぜ」

克己は至って朗らかに答える。


この場合、瀬戸際という表現はある意味的確ではあるのだが。


(克己の奴。彼女が転校しちまうって事実忘れてんじゃないだろな)


幼馴染が失恋の危機に瀕していると知って。咄嗟に背中を押す様な態度をとってしまった純也は、克己を応援したい気持ちと、これ以上傷つかないうちに諦めさせたい気持ちが相まって複雑な心境だった。


物心ついた時には傍に居て。小さい頃は小柄で気の弱かった純也は、何時も克己の斜め後ろに居場所を作ってある意味克己を盾にして大きくなったようなものだった。


気が付けば身長も克己を追い越し、人付き合いにも慣れた純也はいまでは克己以上に友達も多く、すっかり普通の友人として克己と肩を並べていた。


正直、純也は今回のケースがうまくいくとは思っては居なかった。


ではなぜ親友の克己にそう言わなかったのか。


中学時代の事だが、純也は当時の片思いの相手との仲を克己に取り持って貰い、自分独りでは実現不可能だったデートをさせてもらったのだ。


(克己ってば。思い込み激しすぎて自分の事には不器用だけど。人の事になると意外な度胸発揮してくれるんだよな)


まだ高校2年生とはいえ男子。純也は恩を返さねばと隣の克己に歩を合わせる。


ーーーーー


「そんな訳だからさー。頼む」


放課後の階段、克己は踊り場で掴まえたクラスメートに頭を下げる。


「それはまあ。いくらでも頼んではあげるけどさあ」

何時もは敬遠されがちな杏は克己に頭を下げられて満更でもなさそうだ。


何のことは無い、杏の親が学校近くでコンビニを営んでおり、背に腹は代えられない克己が苦手な杏に頭を下げている訳だ。


「だけど。なんでまた急にバイト始めようなんて思った訳?」


腕組みして、それなりに存在を主張している胸を一層突きつけるように迫る杏に、いつにも増して圧迫感を感じながら、克己は言い淀む。


「いやほら。何をするにも金は要るだろ」

「それはそうだけど。お年玉とか貯金してない訳?」

これには克己ぐうの音も出ない。

「いや俺宵越しの金は持たない主義で……」


「君。何時から江戸っ子になった訳?」

あけっぴろげに笑う快活な杏。

(これだから苦手なんだよなあ)

杏に悪意が無い事は重々分かっているのだし。

寧ろ周囲の男子にはこの杏の性格はめっぽう人気で。意に添わずにやらされている風紀委員の仕事ですら、クラスの男子から妬まれている現状に克己は憤懣やるかたない。


(俺は小笠原みたいなタイプが好きなんだよっ。杏は眩しすぎて俺には居心地悪いのっ!)

口に出す度胸は到底ないが、心の中でならいくらでも怒鳴れる。


とはいえ、小笠原との蜜月の為と、克己はコメツキムシの様に下げたくもない頭を下げる。


(それもこれも可愛い小笠原のスパッツ姿の為)

否、ダンスの為と、克己は誰にも突っ込まれてもいないのに自分に言い訳する。


ーーーーー

「いらっしゃいませ」


レジに置かれたミントタブレットとシャーペンの芯のバーコードを読み込んで顔を上げた克己は動きを停めてしまった。


咎めるような玲子の視線とぶつかってしまったからだ。


「温めますか?」

取り繕ろおうと余計な一言を口走り、後ろの客の失笑をかってしまう克己。


まあ、こんな学校近くのコンビニで夏休み中バイトすることにしたのをまだ玲子には伝えていなかったのは克己が悪いのだが。


「後で。メールするから……」


辛うじてそれだけ小声で言って玲子の後ろに視線を逸らす克己。


玲子もここであれこれ言うのはまずいと察したのかチラリと克己に怖い眼を向けただけで済ませてくれた。

ーーーーー


「それはなんとかする」


たった1行の返信以来、克己から何の連絡もないまま夏休みを迎えてしまった玲子は、日毎ひごと迫る転校の日への焦りもあってまんじりともしない日々を過ごしていたのだ。


(どんな事情でバイトなんか始めたのか知らないけれど。せめて一言何か言ってくれればいいのに)


言えた義理では無いのだが、玲子は胸の内で克己にあたってしまう。


「彼女になってくれとか言った癖に」


店を出て歩きながら、玲子はイラつきに任せて買ったばかりのミントタブレットを数粒口に放り込んでひとりごちる。


ミントの刺激に目を覚まされて、玲子は心の中の克己に目を伏せる。


(友達との淋しい別れを何かと紛らせようとしているこんな時期に、告白なんかしてくる先輩が悪いんだ)


玲子は自分に言い聞かせる。


(あたしは何にも悪くない)


転校しなくちゃいけないのはあたしの責任じゃないし。

恋に悶々としなくちゃいけないのは先輩の所為。


(あたしは何にも悪くない)


無意識に又タブレットを一粒口に放り込んで玲子はうそぶく。

「全部克己先輩が悪いんだ……」


西日が玲子の影を伸ばし始めて、同時に玲子の頬も染めていく。


ーーーーー

部屋に戻った玲子はコンビニ袋を机の上に放りだすと、ベッドに身を投げた。


一学期の終業式も終り、夏休みが過ぎてしまえば転校までの僅かな学園生活を残すばかり。

とうに転校を伝えてある友人もクラスメートも取り立ててその事を話題に挙げようともしない。

それでも仲のいい友人は「思い出作りたいね」と言ってくれる。


父が元々転勤族だと言う事は玲子も知ってはいたのだが。

この地の工場長に任命されてからは、玲子や弟の雄馬が産まれた事もあってか、もうずっとこの地での勤務が続いていた。


(いつかは来ることだと。意識の上ではわかってたつもりだけど)

ベッドに仰向けに寝転び、玲子はここでの生活に思いを巡らす。


ひっくり返りそうになりながらも、うれしくてしょうがなかったランドセルでの初登校。

バスケットボールを追いかけた中学校の部活。

砂と埃にまみれて友と叫んだ体育祭。(そして、そして……)


込みあげそうになる玲子の耳に耳障りなコール音。


寝ころんだままベッド端に投げていたスマホを取り上げると玲子は頭上にかざした。

点滅する着信ランプが淋しい玲子の胸を打つようだ。


ひそめていた眉を緩めて玲子は画面を開く。


差出人「櫻井克己」


件名「ゴメン」


玲子は身じろぎして身体をほぐし、指先で画面をスワイプする。

「スパッツの購入資金貯めるためにバイト始めました。教えておけばよかったよねごめん」


(断ったつもりなのに……)

玲子は苦笑する。


(やっぱりキチンと断るべきなんだろうなあ)


頭ではそう思うのに、何故か行動に移そうという気にもなれない。


ゴロリと寝返りをうちレジにいた克己の姿を思い出す。


「心配しなくてもちゃんと学校の許可は得ています。というか風紀委員長の俺が無許可でバイトしてたら大問題だよね」


無邪気な文面に思わず頬が緩む。


「そもそも踊るなんて一言も言って無いんですけど」

知らず声に出して画面に返事してしまう玲子。

 

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