第231話 引退

数年後。


リビングにあるソファに座り、テーブルに置いてあった新聞の1面を眺めていた。


【中田和人、菊沢奏介に敗れ、11度目の防衛失敗。 中田英雄と並び引退へ】


『また英雄さんの名前が… カズさん引退かぁ… まだまだいけると思うけど、もう42だし、仕方ないか…』


新聞を手に取り、ソファの背もたれに寄りかかりながら記事を読み、過去の試合を思い出していた。


『カズさんとの通算戦歴は2勝2敗か… 勝ち越して引退させたかったなぁ…』


しばらく記事を読んでいると、玄関の方からドアの開く音が聞こえてくる。


「ただいま! いってきます!!」


「竜介! ちょっと待て!!」


すかさず千歳の声と駆け出す足音が聞こえ、新聞を畳みながら立ち上がり、玄関に立つ千歳の隣に向かった。


「どこ行くの!!」


「じいちゃんとこ」


「宿題は?」


「かえったらやる~」


竜介は俺の顔を見るなり、ワントーン声を上げ、笑顔で飛び跳ねながら切り出してくる。


「パパ! 帰ってたの!? おかえり!!」


「ああ、さっき帰ってきた。 リュウ、奏太は?」


「しらな~い」


竜介が間抜けな顔でそう言い切ると、ドアが開き、竜介と顔が似てない奏太が帰ってくるなり、無表情のまま、低いトーンで言ってきた。


「あ、パパだ」


「お、おう… ただいま?」


「ジム行く?」


「え? あ、ああ…」


奏太は何も言わずに家の中に入り、階段を駆け上がる。


「あ! にいちゃんまって!!」


竜介も奏太を追いかけ、階段を駆け上っていた。


「ホント、奏太は千歳そっくりだよな。 小1なのに無口でポーカーフェイスでさ…」


「竜介は奏介そっくりだよね。 単純で、見るからに馬鹿って感じ…」


「うっせ」


そう言いながら千歳の唇に唇を重ね、千歳の大きくなったおなかを摩った。


「安定期に入ったからって、あんま走るなよ?」


「それは竜介に言ってね? 逃げ足だけは早いんだから」


「そこは千歳に似たんだろうな」


呟くようにそう言い切ると、二人が2階から降りてくる。


「じゃあ、行ってくるな」


「あとで行くよ。 新しいキラキラ、見に行かなきゃね」


千歳の返事を聞き、息子二人と手をつないで歩き始めた。


千歳が奏太と竜介の二卵性双生児を出産した直後、親父は自身の経験からか、毎日のように電話をかけてきたけど、千歳の体調が急変することもなく、元気なまま退院していた。


奏太の名前を決めるときにも、一悶着あり…


英雄さんが『ちひろ』にこだわり、千歳がこれに猛反対。


千歳は『優斗』にしたかったんだけど、英雄さんが『絶対だめだ』と言ってきかず、結局、親父が提案した『奏太』に決めていた。


そのせいで『隆介』の名前が『竜介』に変わっていたんだけど…


奏太は俺の手を握りしめて黙ったまま歩き、竜介は俺の手を握ったまま、飛び跳ねながら歩き、俺に聞いてきた。


「ねぇパパ、昨日の試合でカズおじさんやめちゃうの?」


「ああ。 ボクシングは37歳までしかできないからな。 今までずっとチャンピオンでいたから続けられてたんだよ」


「年齢制限でしょ…」


無邪気に聞いてくる竜介に答えると、奏太がボソっと告げてくる。


クールにぼそっと言ってくる奏太の頭をグシャグシャっと撫で、新しく建て替えられたばかりのジムの中へ。


「じ~~ちゃ~~ん!!!」


「りゅう! 奏太! 来たか!!」


会員数が多くなり、活気あふれるジムに入ると、竜介は笑顔で英雄さんの元へ駆け寄り、英雄さんは満面の笑みで竜介を抱きかかえ、勢いよく一回転していた。


奏太は黙ったまま英雄さんの横を素通りし、まっすぐ凌の元へ行くなり、カバンからリストバンドを取り出す。


「カバンに入ってた」


「お、おう… ありがと」


「もう間違えないでね。 ママ、おなかが大きくて、洗濯するのも大変なんだから」


「は、はい… すいません…」


『スーパーフェザー級のチャンプが、小1相手にヘコヘコしてる… これは完全に千歳の遺伝だな…』


恐縮しきる凌を尻目に、光君と話をしていると、竜介は高山さん相手に、奏太は英雄さん相手に、ミット打ちを始めていた。


「奏太は千歳そっくりだな」


「そうっすね。 ポーカーフェイスだし、クールだし、ファイティングポーズなんかそっくりっすよ」


「竜介は奏介そっくりだな。 あの構え方とか、瓜二つじゃん。 そういや千歳が入院中、英雄さんのとこに3人で下宿するのか?」


「はい。 俺的にはずっと一緒に住んでもいいんですけどね。 千歳が嫌がっちゃって…」


「ホント、お前のところって珍しいよな。 普通、旦那のほうが嫌がるだろ?」


笑いながら話し続け、二人のトレーニングを終えた後、1階の事務所へ行くと、千歳は大きなショーケースの前でソファにもたれかかり、二人は千歳に駆け寄った。


「トレーニング終わった?」


「うん。 じいちゃんにミット打ちしてもらった!」


竜介は千歳の言葉に笑顔で答えていた。


奏太はキラキラと輝くチャンピオンベルトを指さし、振り返りながら聞いてきた。


「パパ、この大きいのが昨日取ったベルト?」


「ああ。 そうだよ」


「隣の小さいベルト、前からあった?」


「あったよ。 置いてあった場所を変えたんだ」


「なんで隣にしたの?」


「ママが取ったやつだから。 パパの隣には、ずっとママがいてほしいんだ」


はっきりとそう言い切りながら千歳の隣に立つと、奏太は決心したように告げてきた。


「僕もベルト取ったら、ママの隣に置いてくれる?」


「ぼくも!! 僕もとる!!」


奏太の声につられるように、竜介が元気に声を上げる。


「ああ。 いいよ。 じいちゃんに言って、もっと大きいショーケースを買ってもらわなきゃな。 まだまだ負ける気がしないし、限界まで勝ち続けるよ。 憧れのじいちゃんを超えなきゃな」


そう言いながら二人の頭をグシャグシャっとなでると、竜介は嬉しそうな表情をし、奏太は恥ずかしそうにはにかんでいる。


すると、事務所の扉が開き、英雄さんが中に入るなり切り出してきた。


「奏介、引退後は継いでくれるんだよな?」


「はい。 どうかしたんすか?」


「今、カズが来たんだけど、『引退後はケーキ屋やる』って言うからよ」


「ああ… 俺、英雄さんの記録を超えるつもりだし、トレーナーとして下積みしてからオーナーになりたいから、引退してすぐじゃないっすよ? 俺がオーナーになるのは、たぶん、50過ぎてからになるかなぁ… 下手したら60過ぎっす」


「え? そんな先?」


「当り前じゃないっすか。 いきなりオーナーになるなんて考えてませんし、それまでは現役オーナーでいてもらいますよ」


「えぇ…」


「奏太と竜介だって、いつまでもかっこいいじいちゃんで居てほしいよな?」


「うん! かっこいいじいちゃんがいい!!」


竜介は声をあげながら、満更でもなさそうにしている英雄さんにとびかかり、奏太はクールに英雄さんを見るだけ。


窓から差し込む光の中で、輝くベルトから放たれる光よりもまぶしく見える、息子2人とずっと尊敬していた二人の笑顔を眺め、幸せをかみしめるように、千歳の手を握りしめていた。





fin

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