第227話 楽しい
桜になぜかキレられた1か月後。
この日は待ちに待った、奏介との世界タイトル戦だったんだけど、なぜか気持ちが落ち着き、不思議なくらいにリラックスしていた。
少しすると、ドアがノックされ、桜と千歳が中に入ってきたんだけど、桜は千歳の腕に腕を絡ませていた。
柴田さんやコーチたちは、千歳の姿を見るなり、不思議そうな顔をするばかり。
「妹っす」
一言告げただけで、コーチたちは千歳に群がり、声をかけ始めていた。
「ちーちゃん! 久しぶりだねぇ!! すんごい綺麗になっちゃって!!」
「…ども」
千歳は相変わらず不愛想…
というか、全く覚えていないんだろう。
顔を引きつらせ、作り笑いを浮かべるばかり。
しばらくコーチと話した後、千歳が切り出してきた。
「カズ兄、奏介からの伝言。 『今までの感謝を拳に込める』って。 40ラウンドくらいまで行きそうな勢いだったよ。 あとね、部屋に置いてあったお酒、父さんと凌君と奏介の3人で全部飲んでたよ。 畠山君と学も来てたか… あと陸人」
「はぁ? あれ全部??」
「うん。 試合が決まった後かな? 父さんが『嫌がらせで全部飲んじまえ』って、毎晩宴会してたから、酒棚が空になってた」
「…弁償するように言っといて」
「わかった~」
千歳は少し話した後、一言も発しなかった桜とともに控室を後にしていた。
数時間後。
初めて桜と洋楽の話をしたときに、話が盛り上がった曲でリング上へ。
リングの上で奏介を待ち構えていると、昔、よく聞いていた懐かしい曲とともに、奏介がリングの上へ。
リング中央で奏介とにらみ合っていると、胸の奥で眠っていた闘志が、沸々と沸いてくるような気持ちが込み上げてくる。
『やべぇ… これだこれ。 これが感じたかったんだ…』
思わず笑みが零れると、奏介はグイっと顔を近づけ、小さく囁いてくる。
「絶対勝ちます」
「ほざけ。 チャリから落ちたクソ餓鬼」
奏介はニヤッと笑った後、俺の前に右手を差し出してくる。
軽くグローブを当てた後、コーナーに行き、ゴングが鳴り響くのを待ち構えていた。
リング中央に行き、試合開始のゴングが鳴り響くと、割れんばかりの歓声が聞こえてくる。
お互い様子を見ながらパンチを繰り出し、しっかりガードし続けていたんだけど、ずっと眠っていたはずの闘志は、ゆっくりと確実に熱を帯びていく。
『やべぇ… めっちゃ楽しい… こいつ、相当レベル上がったな… 流石は世界チャンプってところか。 昔のお前はフェイントに弱かった!』
ジャブを繰り出し、フェイントを挟んでから右ストレートを放つと、左頬に衝撃が走り、思わず片膝をついてしまった。
俺の右ストレートが入ったはずなのに、奏介は何事もなかったかのようにファイティングポーズをとっている。
『フェイントを見切ってカウンター入れた? 面白れぇ…』
思わず笑いながら立ち上がり、ファイティングポーズをとり、奏介と殴り合っていた。
9ラウンドを超えたあたりから、左瞼が腫れ上がって視界が狭まり、歪んだ顔をした奏介の表情は、キチンと見れないでいたんだけど、闘志は煮えたぎったまま。
『変な顔… やっぱりこいつ面白れぇ』
何度もダウンを奪ってはダウンを取られ、その度に立ち上がり続けていた。
ここまで本気で殴り合うのは、生まれて初めてかもしれない。
かなり昔、光君とスパーリングをしていたけど、階級が違うせいでそこまで本気になれず。
親父に反発するように、ボクシングからキックボクシングに変え、一時期は離れていたけど、奏介がトレーニングしている姿を見て、ずっと羨ましく思っていた。
奏介とヨシの世界戦を見て、生まれて初めて『リングに立ちたい』と思い、今、ここで奏介と殴り合っていることが、とにかく楽しくて仕方ない。
何度か奏介とスパーもしたけど、あの時とは比べ物にならないくらい楽しい。
奏介は時間が経つ程にパンチの威力が増し、動きも機敏になっていく。
本人は気が付いてないし、誰も何も言わないけど、奏介だったら3階級制覇も夢じゃないと確信してる。
『ったく、ちーの野郎、とんでもねぇ奴を拾ってきやがって… 楽しすぎるじゃねぇかよ!』
奏介のラッシュをガードしながらそう思い、一瞬の隙をついて右ストレートを放っていた。
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