第219話 同棲

翌日から、千歳の家に荷物を置き、俺が転がり込む形で一緒に住み始めていた。


一緒に住み始めてすぐ、千歳にジムに行く提案をしたんだけど、千歳は英雄さんと会うのが嫌なせいか、なかなか首を縦に振ろうとしない。



凌は周囲に『俺の婚約者』として話をし始めていたんだけど、名前を『千尋』と言っていたから、付き合ってることを知ってる陸人と学、光君は不思議そうな顔をするばかりで、更衣室に行った時には、詳しく説明を求められるほどだった。



光君は、時々子供を連れてジムに遊びに来ていたんだけど、まだ4歳になったばかりの男の子にミットを構え、楽しそうにしゃがみ込んで殴らせている英雄さんの姿を見ていると、懐かしい気持ちになると同時に、羨ましく思えていた。



ある日のこと。


トレーニングをしていると、光君に切り出され、休憩に入ると同時に英雄さんが歩み寄ってきた。


「婚約者の千尋ちゃん、いつ連れてくるんだ?」


言葉に迷っていると、トレーニングウェアを着込んだカズさんが中に入り、英雄さんに切り出した。


「親父、俺、家を出て、中田ジムから移籍するわ」


「は? どこに?」


「島田さんとこ。 奏介、俺が奪うまで、何としてでもベルトを死守しろ」


「え? だってカズさん、ライセンスは?」


「あるよ。 一昨日のテストでA級取った。 とにかく、どんな手を使ってでも死守しろ」


カズさんはそう言い切った後、ジムを飛び出してしまう。


英雄さんと呆然としていると、光君はクスッと笑いながら切り出してきた。


「あいつがマジになるところを見れるなんてなぁ… 奏介、カズはヨシ以上に強敵だぞ」


「でしょうね…」


「俺が見る限り、あいつは本気になれば、現役時代の英雄さんより強い。 経験も技術もお前より上だ。 勝てる見込みはかなり低いぞ」


「マジか…」


「守るものがあれば、お前も想像以上の実力が出るかもな」


「守るものっすか?」


「勝つ以外の逃げ道をなくせば、潜在能力を発揮できるだろ? カズに勝てるとしたら、そこしかない」


光君にはっきり言いきられ、どうしたらいいのか考えていた。



トレーニングを終えた後、千歳のアパートに帰り、夕食を作っていると、千歳が帰宅してきた。


夕食を食べながらカズさんのことを千歳に話すと、千歳は難しい表情をするばかり。


「あっちゃ~… とうとう動いちゃったかぁ… あのクロスカウンター見ちゃったら、そりゃ動くかぁ~」


「光君が『勝つ以外の逃げ道をなくせば、勝てる見込みが増える』って言いきってたんだよね」


「潜在能力を引き出すってことね」


「そういう事。 つーかさ、いい加減、真剣に考えてくれない?」


「何を?」


「ジムに行くこと。 英雄さんに会いたくないって言うのもわかるけど、そろそろ真剣に考えてくれてもいいんじゃないかなってさ。 ちゃんと付き合ってるって、英雄さんに伝えたいんだよね」


「えー… 父さんはなんて?」


「早く連れて来いって言ってるよ。 千歳だって気づいてないから、そう言って来てるんだと思うけどな」


千歳は不貞腐れたように口をとがらせ、食器を片付け始めてしまう。


千歳の後を追いかけるようにキッチンに行き、冷蔵庫からビールを取りながら切り出した。


「週末、仕事休みだろ? 一緒にジム行こうぜ。 英雄さんにちゃんと話そう」


「えー… だってさぁ…」


「リング上がれって言われたら、俺が上がるよ。 もし、それが原因で中田ジムをクビになったら、高山さんにどっかのジムを紹介してもらうし、千歳が心配に思うことはないよ」


はっきりと言い切ったんだけど、千歳は口をとがらせ、不貞腐れたような表情をするばかり。


「ジム行って、英雄さんにちゃんと挨拶させてよ」


「毎日行ってるんだし、奏介が一人で挨拶すればいいじゃん」


「それじゃ嫌なんだって。 ちゃんと、千歳と二人で挨拶して、同棲してる報告をしたいんだよ」


必死に説得していたんだけど、千歳は顔を縦に振ることなく、唇を尖らせるばかりだった。

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