第218話 正体

トレーニングを終えた後、シャワーを浴び、指輪をはめてキッチンに行くと、凌がいきなり切り出してきた。


「奏介君、金はあるのかね?」


「は? なんで?」


「聞きたいことがあるから奢りなさい」


「え? 俺、行くことあるんだけど…」


「いいから! 奢りなさい!!」


仕方なく、荷物を置いたまま、凌と二人で千歳の家に向かう途中にあった居酒屋へ行き、飲み物を注文すると同時に凌が切り出してきた。


「その左手の薬指でキラッキラしてるものは何だね?」


「指輪」


「いつから続いてんの?」


「高校」


凌はハッとした表情の後、怒鳴りつけるように告げてくる。


「あのストーカー女か!! やめとけ! さんざん騙されたんだろ!? いい加減目を覚ませよ!!」


「は? 何言ってんの?」


「お前は騙されてるんだって! 洗脳されてるんだって!! 変な浄水器買わされるんだって!!」


「買わねぇよ!!」


凌は必死に考えを改めるように言ってきたんだけど、あまりにうんざりしてしまい、千歳にラインを送った。


【凌がうざくてそっち行くの遅くなるわ。 着替えも忘れたし… 奢るから、来てくれると助かるんだけどなぁ】


〈OK。 すぐ行くわ〉


店の場所を伝えると、千歳はすぐに店に来たんだけど、凌は入り口に背を向け、熱く語っていたせいで気が付いてない。


千歳は常連なのか、若い男性店員にコソコソと話した後、凌の真後ろにあった椅子に座り、聞き耳を立てるようにしている。


『あれ? こっちに座んねぇの?』


不思議に思いながら凌の小言を聞いていると、凌は決心したように聞いてきた。


「奏介、お前今まで何人と付き合った?」


この言葉に反応するように、千歳は振り返り、凌の頭を狙って割り箸を構え、力いっぱい撓らせる。


『あ、あれ絶対痛い奴だ』


凌の話なんか聞かず、割り箸にばかり視線が行っていたんだけっど、凌はそんなことを気にせず、話し続けるばかり。


「俺の知ってる限り、お前は3人の女と付き合ってた。 まずは田中春香、そして星野京香。 最後に名前の知らない子。 合ってるな?」


「名前の知らない子?」


「世界戦の試合直前、巨乳の美人と二人っきりで話してたろ? 俺、こっそり覗いたから知ってんだぜ? なのになんで、一番最悪なストーカーにする? おかしいだろ?」


凌が言い切ると同時に、割り箸が勢いよく凌の頭をはじき、凌は頭を抱えていた。


それと同時に千歳は俺の隣に座り、若い男性店員が飲み物を運んできた。


「マジ助かった。 サンキュ」


千歳にはっきりと言い切ると、千歳はにっこり笑いながら、耳元で囁くように答えた。


「ちゃんと奢ってね」


「おう。 好きなだけ飲めよ」


凌が頭を抱える中、千歳と二人でメニューを見ていたんだけど、凌は千歳の姿を見た途端、姿勢を正し、切り出してきた。


「初めまして! 僕、小泉凌って言います! 凌でいいです!! プロボクサーとして活動する傍ら、大学院生をしています! 以後、お見知りおきの程、よろしくお願いいたします!!」


千歳はポカーンとした表情をしながら凌を見た後、俺のことを見てくる。


「凌、俺の彼女に何考えてんの?」


はっきりとそう言い切ると、凌はポカーンとした表情の後、不安そうに切り出してきた。


「え? 彼女? ってことは、同じ高校… あ! 陸上部にいた子!?」


「は? お前、本当に気付いてない?」


「何が?」


キョトーンとする凌を余所に、千歳は横を通った若い店員男性にメニューを見せ、指差しながら注文をし始める。


凌は不思議そうな表情をしながら千歳を見て切り出した。


「あ、あの… お名前伺ってもよろしいですか?」


千歳は口に手を当て、俺の耳元で囁いてくる。


「千尋って言って」


思わず吹き出し、千歳を見ると、千歳はいたずらっぽい笑顔で笑いかけるだけ。


「…千尋」


「千尋さんですか! お美しいお名前っすね!!」


浮かれて話す凌の前で、千歳は笑顔を作り、時々こめかみをピクピクと動かし続けていた。


結局、千歳が一切声を発しなかったせいか、凌は千歳だということに気が付かないまま、一人寂しく帰宅し、俺は千歳と二人でアパートに向かっていた。


アパートに入るとすぐ、千歳は男性物のトレーニングウェアと新品の下着を出してくる。


「これ着ちゃって。 カズ兄のだからサイズ合うはず」


「カズさん、泊りに来てたん?」


「父さんが怒りモードに入ると、ここに避難してたんだ。 布団はクローゼットにあるけど、出さなくていいよね。 朝は4時起き?」


「いや6時。 つーか、正体ばらさなくてよかったのか?」


「いいよ。 今度会ったときにシバくから。 先にシャワー行くけど、自分の家だと思ってゆっくりしてて」


千歳ははっきりそう言い切ると、浴室に向かっていた。


『このまま転がり込んでもいいのかな… やべぇ… マジ幸せすぎる…』


幸せをかみしめるように拳を握りしめ、ストレッチをし始めていた。

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