第217話 鈍感

翌朝。


目が覚めると、千歳は裸のまま俺の腕に抱かれ、寝息を立てていた。


寝顔を見ているだけで幸せな気持ちが膨れ上がり、千歳を強く抱きしめる。


『もう二度と離れないように、ずっと一緒にいられるように… ベルトを取って、千歳にプロポーズしよう…』


千歳を抱きしめながら決心していた。



数時間後、千歳はテーブルにメイク道具を並べ、器用に化粧をし始める。


初めて見る光景に、思わず見惚れていると、千歳が不思議そうな顔をしながら聞いてきた。


「どうしたの?」


「いやさ、女の化粧する姿って初めて見たから、新鮮っていうかなんつーかさ」


「そっか。 奏介はお父さんと二人暮らしだったから、化粧とは無縁なんだっけ」


「うん… すげー器用だなぁってさ」


「桜ちゃんと一緒に住んでるとき、特訓してもらったんだ。 美容師さんだから、すんごい上手なんだよ。 二人で服を買いに行ったり、髪の手入れについて教わったり、学校じゃ教えてくれないことを教えてもらってたんだ。 男の人が喜ぶ方法はどうかと思うけど…」


「男が喜ぶって、どんなこと?」


「まだ実践はしてないけどね。 さすがに裸エプロンは出来ませんよぉ~」


『桜さん、何教えてんだよ… 見たいけど…』


そんな風に思いながら、器用に化粧を続ける千歳のことを眺めていた。



千歳は見る見るうちに記憶にある幼い表情から、大人びた表情に変わっていく。


そんな姿を見ていると、千歳と会わなかった期間が、どれだけ長かったのかを、思い知らされているように感じていたんだけど、二人でペアリングを買いに行くときに、つないだ手の柔らかさは昔と変わらない。



二人で電車を乗り継いでジュエリーショップへ行き、散々悩んだ結果、シンプルなシルバーのリングにしていた。


指輪を買った後に喫茶店に行き、お揃いの指輪をしながら向かい合って座っているだけで、なんとも言えない幸せな気持ちに包まれていた。


昼食をとった後、二人でジムに行こうとしたんだけど、千歳はジムに行くことを頑なに拒んでしまう。


「行こうよ。 英雄さん喜ぶぜ?」


「絶対嫌。 『リング上がれ』って言われるに決まってるじゃん」


「言われたら俺が代わりに上がるって!」


「嫌だ! もし、どうしても『行け』って言うなら、合鍵返してもらうから」


はっきり言いきられ、それ以上のことを言えずにいた。


トレーニングが終わったら、着替えを持って千歳の家に行く約束をし、一人ジムに向かって走る。



下宿している千歳の部屋で着替えをまとめ、トレーニングウェアに着替えた後、指輪を外し、ジムへ行くと、英雄さんが苛立ったように切り出してきた。


「奏介、お前夕べどこ行ってた?」


「あ~… 彼女のとこっす」


俺の言葉を聞くなり、英雄さんは驚いたように声を上げる。


「え? お前、彼女なんかいたのか!?」


「まぁ… 海外に行ってからずっと疎遠だったんすけどね」


「どんな子だ?」


本当のことを言おうかどうしようか迷ったんだけど、千歳の嫌がっていた様子を思い出すと、切り出すことができず、千歳の名前を伏せたまま切り出した。


「泣き言は言わないし、海外に行くことも背中を押してくれたんですよ。 俺が世界チャンプになるためだったら、最善を尽くしてくれるような子です。 元々、連絡無精って言うのもあるんですけど、おかげでトレーニングに集中できてました」


「へぇ! お前、良い子見つけてたんだなぁ! そうかそうか! 今度連れて来いよ!!」


「わかりました」


英雄さんは浮足立つ感じで高山さんのもとに行き、光君が笑いながら小声で切り出してきた。


「気づいてないな」


「ですね。 本当のことを知ったら、どんな顔するんでしょうね」


「間違いなく反対するだろうな。 英雄さん、私生活ではかなりの鈍感だから」


笑いながら小声で話した後、トレーニングを始めていた。


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