第210話 指輪
大人の女性になってしまった千歳をジッと見ていると、千歳は視線を逸らすようにそっぽを向き、少しだけ口を尖らせる。
少しだけ口を尖らせたその横顔は、昔と変わりはなく、懐かしさがこみ上げると同時に、心底ほっとしていた。
「千歳がスカートとヒールで化粧ねぇ…」
そう言いながらため息をつくと、千歳は口を尖らせたまま小声でつぶやいた。
「OLだし…」
「OLか… 大学は卒業できたのか?」
「知ってるんだ… 先週、卒業したし、免許も取って、今は一人暮らし。 そっちは?」
「千歳の部屋で下宿してるよ。 …男は?」
思わず本音が口からこぼれると、千歳は俺の顔をじっと見て黙り込んでしまう。
「…仕事ばっかでそんな暇ない」
「そっか…」
俯きながらそう言い切られ、ため息交じりに言うだけ。
『俺がいるじゃんって言わないんだ…』
自然と沈黙が訪れていると、スマホが震える音が聞こえ、千歳はカバンを漁り始める。
千歳がスマホを取り出すと同時に、何かがカバンから落ち、千歳の足元には俺が初めて作った失敗作の、切れたミサンガが力なく横たわっていた。
「まだ持ってたんだな」
「さっき電車で切れちゃった…」
「願い事した?」
「願い事?」
「結ぶときに願いを込めると、切れたときに叶うってやつ。 切れたらすぐに捨てないと、願いが叶わないんだってさ。 向こうのジム仲間が教えてくれた」
「そうなんだ… ストッキング履くのに邪魔で、何回か外したんだけど、それでも大丈夫なの?」
「それはだめだな。 リセットされてる」
「そっか… じゃあ持っててもいいね。 気に入ってるし」
千歳はそう言いながら、ミサンガをカバンにしまう。
「捨てろよ。 持ってても仕方ねぇだろ?」
「だってさ…」
千歳が何かを言おうとすると、ドアが開き、みんなが中に入ってくるなり、英雄さんはモニターを見た後、千歳に切り出した。
「時間だ。 ちー席に着いとけ」
「ここでモニター見てるからいいよ」
「カズの隣空いてるぞ? 桜も来てるし。 ほら、ここに二人とも映ってるだろ」
英雄さんはそう言いながらモニターを指さしたんだけど、千歳はその場から動こうとはしなかった。
「ここでいいって」
二人が軽く言い合う中、シャドウボクシングをした後、「しゃ!」と言いながらグローブを合わせ、『パン』と音を立てた。
『千歳とも会えたし、コンディションはバッチリ。 絶対勝つ!』
改めて気合を入れなおし、みんなと控室を後にする直前、千歳の前に行くと、千歳は自然と立ち上がった。
千歳の胸元には、昔俺が買った、ピンキーリングとネックレスが光を放っている。
『物持ち良すぎ。 ピカピカでキラキラじゃん』
愛おしい気持ちが蘇ると同時に、千歳だけに聞こえるように、耳元で囁くように告げた。
「指輪買いに行こう」
千歳は笑いをこらえることができず、吹き出した後に告げてきた。
「ベルトの方が良い」
「わがまま言ってんなよ」
笑いながらそう言い、右手を差し出すと、千歳は笑いながら右手でこぶしを作り、グローブに当ててくる。
「全力で突っ走れ」
あのころと変わらない声と口調で言われ、思わず笑みがこぼれてしまう。
「いつも雑なんだよ。 終わったら飲みに行こうぜ」
「超金欠だからおごってね」
「当たり前だ。 ベルト取ってくるから、大人しく待ってろ」
はっきりとそう言い切った後、控室を後にし、暗い通路の先にある光の中へ、ゆっくりと歩き始めた。
暗い通路の中に立ち、大きく息を吐くと、英雄さんが小声で聞いてきた。
「ちーが『ベルトの方が良い』って言ってたけど、何よりベルトの方がいいって言ってた?」
「内緒っす。 この試合に勝ったら教えます」
「そうか… 絶対勝って教えろよ?」
「わかりました。 何があっても、拒否んないでくださいね? 約束っすよ?」
「拒否? 俺がお前を拒否するわけないだろ」
当然のように言い切る英雄さんを見て、思わず笑ってしまうと、光君が小声で告げてくる。
「絶対嘘。 全力で拒否る」
『でしょうね』
なんてことは言えないまま、千歳が大好きだった曲が流れるのを、ジッと待ち構えていた。
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