第211話 心配

「ねぇ、カズ兄、本当にヨシ君、千歳にチケット渡したんだよね?」


隣に座る桜は、辺りをキョロキョロ見回しながら聞いてくる。


「さっき控室行ったとき、『渡した』って言ってたろ?」


「でもさ… あ! もしかして、泣いてて来れないんじゃない? 千歳、奏介が行った後、毎晩泣いてたし! 探してくる!」


「座ってろって!」


慌てて腕を引き、無理やり座らせたんだけど、桜はカバンからスマホを出したり、立ち上がって辺りを見回したりと、落ち着きなく動き回る。


「もしかしたら、控室に行ってるかもしれないだろ?」


「どっちの?」


「知らねぇよ」


呆れかえりながらそう言い、誰もいないリングの上を眺めていた。



『まさか、あの時のガキが奏介だったとはねぇ… あいつに言われなかったら気づかなかったし、親父も気づいてないけど…』


昔のことを思い出しながらリングを眺めていると、桜が騒ぎ始める。


「やばいって! 千歳まだ来ない!」


「放っておけって! あいつももうガキじゃねぇんだぞ?」


「だって… 千歳…」


桜は今にも泣きだしそうな表情で訴えてくる。


桜を引き寄せ、耳元で囁くように告げた。


「黙んないと、今すぐここでキスすんぞ」


桜は真っ赤な顔をし、大人しく座り始めた。



数日前、桜の家に行った際、自分の気持ちに気が付くと同時に、桜のおでこに唇を落とした途端、桜は俺のボディに1撃。


手加減したのか、桜のボディは全然効かなかったんだけど、桜は逃げるようにドアを閉め、そのまま開けることはなかった。


が、昨日の夜、久しぶりにラインが来て、今日の待ち合わせ場所と時間を指定。


訳も分からないまま了承をし、二人で会場に来たんだけど、ずーっと千歳の話ばかりを聞かされ、かなりうんざりしていた。



『たまには千歳以外も見ろっつーの』



そんなことは言えないまま、きょろきょろと周囲を見回し始めた桜の隣で、千歳にラインをしても反応はないし、光くんにラインをしても連絡なし。


『光くん、セコンドに付くって言ってたな… 裏にいるのは吉野さんか』


そう思いながら吉野さんにメールをすると、送信ボタンを押した途端、照明が落ち、会場内が暗闇に包まれる。


「やばい!!!!」


歓声に紛れながら、桜が叫び声をあげると、昔、千歳がよく聞いていた曲が流れ、奏介が入場してくる。


慌てて立ち上がり、どこかに行こうとする桜を無理矢理座らせ、切り出した。


「桜、賭けようぜ。 俺、奏介に賭けるわ」


「OK。 あたしヨシ君ね。 勝ったほうがおごる」


「OK」


「奏介! くたばれ!!」


桜は千歳のことを忘れたように叫びまくり、思わず吹き出してしまった。



『この切り替えし… ほんと、こいつ最高に面白れぇわ。 奏介と飲みに行く約束だったけど、ちーの家を教えればいいだろ』



その後、ヨシが入場してきたんだけど、ヨシの入場曲は、奏介の入場曲と同じアーティストの違う曲。


『こいつら… めちゃめちゃ気が合ってるじゃねぇかよ…』


ヨシの腰にはピカピカでキラキラしたベルトが着けられ、ヨシはリングに上がるなり、それを見せつけるように奏介の前へ。


『挑発してやがる…』


試合直前、二人は中央に立ち、顔を合わせていたんだけど、レフェリーの話を全く聞かずに、笑いを堪えるばかり。


睨み合うこともなく、二人は全く同じタイミングで右腕を突き出し合ったまま、名残惜しそうにニュートラルコーナーへ。


『あいつら、なんか良いな… 羨ましい…』


思わず笑みが零れそうになると、ニュートラルコーナーの前で立つ奏介が、ジッとこっちを見てくる。


顎で千歳の座るはずだった席を指すと、奏介は力強く頷いてきた。


「奏介、千歳に会ったっぽい」


「マジ!?」


桜に声をかけると、桜は勢いよく立ち上がろうとし、慌てて腕を掴んで座らせていた。



『奏介、絶対勝てよ… お前に賭けてんだからな… お前が勝ったら、桜に…』



祈るように奏介を見つめ、ゴングが鳴り響く中、光の中へ吸い込まれるように、近づく二人を見ながら、グッと拳を握りしめていた。


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