第208話 試合前

「奏介、行くぞ」


英雄さんに言われ、荷物を持って家を後にした。


車の中には、英雄さんと高山さん、吉野さんと光君の5人だけ。


前日の計量も難なくクリアしたまではいいんだけど、その後、鬼のように食べさせられ、動けないままに就寝。


朝起きてからは、軽くストレッチをするだけに止め、体力を温存したまま会場へ。


会場につき、いろいろな雑誌社の取材を受けていたんだけど、光君は前職がボクシング雑誌の編集者と言う事もあり、かなり知り合いが多かった。


光君に話しかけるのは綺麗な女性が多く、みんな『バリバリのキャリアウーマンです!』と言わんばかりの格好をしている。


『俺って場違いなんじゃ?』


そう思いながらも軽くアップをしたり、取材を受けたりしていた。


控室には、いろいろな人が出入りし、取材を受けまくっていたんだけど、ひと段落した後に、ドアがノックされ、係の男性が中に入る。


「こちらです」


男性の声を合図に、中に入ってきたのはじいちゃんとばあちゃん、そして親父の3人。


英雄さんは3人を見るなり駆け寄り、笑顔で挨拶をしていた。


「奏介、見違えたな」


じいちゃんの言葉に反応するように、英雄さんが切り出す。


「奏介はうちのジムで一番真面目なんですよ。 おじいさんに似たんじゃないですか?」


まるでじいちゃんの家に居るときのようにリラックスし、笑いながら話をしていた。



少し話をすると、3人は控室を後にしていたんだけど、試合の時間が近づくと同時に、英雄さんはトイレを行ったり来たり。


『試合に出るの?』と聞きたくなるほど落ち着きなく、5分おきにトイレに行っていた。


「英雄さん、現役の時もあんな感じだったんすか?」


トイレに向かった英雄さんを眺めながらそう言うと、吉野さんが笑いながら答えてくれた。


「いや? 全然。 現役の時は座ったまま動かなかったよ? あんな姿は初めて見たな」


「…出る気なんすかね?」


「落ち着かない気持ちもわかるけどな。 対戦相手が実の息子だし、どっちにも勝ってほしいし、どっちも応援したいしで迷ってんじゃね?」


「なるほどね…」


ため息交じりに言い切ると、英雄さんは控室に戻り、高山さんと光君にバンテージを巻くよう指示を出してくる。


「まだ早いっすよ」


高山さんは呆れたように言い、光君と吉野さんは横で笑うだけだったんだけど、英雄さんは不安そうに聞いてきた。


「早いか? もういいんじゃないのか?」


「あと3時間ありますよ? いい加減落ち着いてください」


「そうか… あと3時間か… ちょっとトイレ…」


英雄さんはそう言いながら控室を後にし、みんなと苦笑いを浮かべていた。



試合まであと1時間半に迫った頃。


英雄さんに急かされ、バンテージを巻いてもらい、シャドウボクシングを始めた。


シャドウボクシングを終えた後、ベンチに座っていると、智也君と凌が控室に入り、智也君が写真撮影を開始。


「いいねぇ! 凌! 邪魔すんな!! どけ!! 奏介! もうちょい下向いて! いいよいいよ~! タオル頭にかけようか!」


タオルを頭にかけ、俯き気味で座っていると、智也君は乗ってきたのか、カメラマンのように指示を出し始める。


「いいねぇ! 光君! 奏介の隣座って肩抱きましょうか! そうそう! もっと寄り添って!! 顔近づけて!! 奏介! 上脱ごうか!」


「ちょっと待って! なんの写真撮ってんの?」


「HPで売ろうかと思ってさ。 光君と奏介だったら、BL系で爆売れしそうじゃね?」


「ほんとやめて! それだけはマジでやめて!」


必死に智也君を引き留めていると、英雄さんがキョトーンとした表情で聞いてくる。


「BLってなんだ?」


凌がBLについて説明すると、英雄さんは顔を真っ赤にし、智也君と凌をすぐさま追い出した。


「何がBLだあのバカ! 変なもん売ろうとしてんじゃねぇよ!」


ぶつぶつ言う英雄さんの後ろで、みんなと苦笑いを浮かべることしかできなかった。

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