第207話 チケット

奏介とヨシの世界タイトル戦を目前にしたある日のこと。


裏でケーキ作りをしていると、沙織さんに呼ばれ、バックヤードから顔を出すと、ヨシが立っていた。


「よ! 兄貴、久しぶり!」


ヨシは世界チャンプになったのに、普段と変わらない様子で右手を上げ、軽い挨拶をしてくる。


「おう、どうした?」


そう言いながら歩み寄ると、ヨシはポケットから2通の封筒を取り出した。


「チケット届けに来たんだけど… どっちだっけ?」


ヨシは封のしてある封筒を光にかざし、中を確認するように見ていたんだけど、首をかしげるばかり。


「まぁいいや。 これを裏口にいる警備員に見せれば、そのまま控室に連れて行ってくれるから」


「ん。 サンキュ。 ちーには渡したのか?」


「これから。 俺、あいつの会社のCMキャラやってるし、会社がジムの隣だから、ほとんど毎日会うんだよ」


「CM? 放送されてんの?」


「明日から放送開始って言ってたかな? ま、楽しみにしててよ。 そだそだ、ケーキの予約なんすけど~~~」


ヨシは言いたいことを言った後、ケーキの予約をし、さっさと店を後に。


チケットをポケットの中に入れ、バックヤードに戻り、作業を再開していた。



仕事を終え、家に帰ると、リビングでは親父と奏介が、真剣な様子でヨシの試合の映像を見ている。


夕食を食べた後、2階に上がろうとすると、親父が切り出してきた。


「カズ、試合のチケット来たぞ」


「え? ヨシが今日店に来て、チケットくれたよ?」


「…見せてみろ」


親父に切り出され、ポケットから封筒を取り出すと、親父は容赦なく封を開け、中から赤で縁取られた黒いチケットを取り出した。


「あのやろ… これじゃ奏介の控室に来れないじゃねぇかよ」


「え? そうなん?」


「今年から変わったんだよ。 赤で縁取られてるのはチャンピオンの関係者で、赤コーナーの控室に行ける。 反対に、青で縁取られてるのは挑戦者の関係者で、青コーナーの控室に行けるようになってんだ。 ここの英数字が暗号みたくなってるだろ? この暗号で、誰が誰に渡したかがわかるようになってんだよ」


「へぇ~。 転売対策ってやつ?」


「そういう事だな。 お前はこっちだ」


はっきりと言い切り、親父から青で縁取られた黒いチケットを受け取った後、ふと千歳の顔が思い浮かんだ。


親父からもらったチケットを封筒に入れた後、そのまま家を出ようとすると、親父が聞いてきた。


「どこ行くんだよ?」


「コンビニ。 炭酸買ってくるわ」


「お前飲みすぎじゃないのか? 毎晩毎晩…」


親父の小言に耳も傾けず、バイクに跨り千歳の家へ。


千歳の家に入ると、千歳はシャワーを浴びているようで、浴室からシャワーの音だけが聞こえてきたんだけど、テーブルの上には封の空いた封筒が置かれていた。


中を確認すると、そこには赤で縁取られた黒いチケットが入っている。


こっそり青で縁取られたチケットに入れ替えると、千歳は浴室から出てきた。


「あれ? カズ兄どうしたん?」


「これ、ヨシからもらったのか?」


「うん。 上司が脅されてたよ?」


「なんで?」


「『試合の日、千歳を早退させて会場に来させなきゃ、CM契約更新しない』って。 ヨシ兄、世界チャンプなのに、破格でCM契約してくれたし、ヨシ兄のおかげで売り上げが伸びてるからさ」


「ふーん。 チケットの色のことは聞いたか?」


「色? なんか意味あるの?」


「いや、知らないならいいや。 当日、親父に会ったら全部話すんだろ?」


「そっか… オーナーだから来るんだっけ… 行きたくないなぁ…」


千歳はぶつぶつ言いながら封筒を眺めるだけ。


それ以上のことは聞かないまま、千歳の家を後にし、桜の家に向かっていた。


桜の家に行き、目を見れないままに赤く縁取られたチケットを渡すと、桜は俯きながらチケットを受け取っていた。


「縁が赤だから、ヨシの控室に行けるよ」


「か、カズ兄、誰かと行く?」


「俺? 俺は一人で行くよ」


「い、一緒に行っていい?」


桜はなぜか顔を真っ赤にし、潤んだ目で俺を見てくる。


「いいけど… 風邪か? 顔赤い」


そう言いながら桜のおでこに手を当てると、桜の顔はさらに赤くなっていく。


「お前、本当に大丈夫か?」


不安になりながら聞くと、桜はいきなり抱き着いてきた。


「ちょっとだけ… ちょっとだけこうして…」


桜に抱き着かれると同時に、胸の奥がグッと締め付けられ、不思議なくらいに気持ちが落ち着いていくのが分かった。


『そっか… 俺、桜に会いたくて仕方なかったんだ… だから千歳が家出した時もここに通ってたし、千歳の家に行った後は、必ず桜の家に来て、当たり前のように飯も持ってきてたんだ… そっか。 千歳を口実に、桜に会いに来てただけなんだ』


自分の気持ちに気づいた後、抱き着いてくる桜を強く抱きしめ続けていた。

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