第206話 昔話
奏介の世界戦まで残り1か月を迎える直前の朝。
キッチンに行くと、奏介と凌、親父の3人が朝食をとっていた。
挨拶をしながら親父の隣に座り、奏介に切り出した。
「試合まであと何日?」
「あと33日っす」
「じゃあまだ飲めるな。 今日、飲みに行こうぜ」
「うっす。 おごりっすか?」
「割り勘」
「了解っす」
奏介はそう言い切った後、朝食を取り終えるなり食器を洗い始め、凌は羨ましそうな目で俺を見た後、親父にはっきりと言い切られる。
「凌は試合まで3週間切ってるぞ」
「えー… 俺も飲みに行きたいっす…」
「だめだ。 ウェイトだってギリギリなんだから、油断するとオーバーする。 俺も禁酒してるんだから、お前も我慢しろ」
凌は使い終わった食器を、シレっと流しの中に入れ、ダッシュで2階に逃げ出していた。
『ヨシそっくり』
そう思いながら食事を終え、仕事に向かっていた。
仕事を終えた後、千歳の家に弁当を持っていき、桜の家にも弁当の差し入れ。
桜は俺の胸で泣いて以降、泣くことも、抱き着くこともなかったんだけど、なぜか桜の目を見ることができず、お互い目をそらしたまま、弁当を受け渡すだけだった。
弁当を届け終えた後、バイクを自宅に置き、奏介と二人で居酒屋へ。
カウンターで飲みながら話していると、居酒屋の店長が切り出してきた。
「まさか奏ちゃんが、世界戦に出るとはねぇ…」
「俺もいまだに信じらんねぇっすよ」
「ボクシング始めたのって、英雄さんがきっかけなんだって?」
「そうっす。 当時、一つまたいだ隣の県に住んでたんすけど、そこで英雄さんにミット打ちさせてもらったんすよ」
「へぇ~! 体験会かなんか?」
「いえ、学校終わりにジムを覗きに行ってて、そこでケガしたんすよね。 そしたら英雄さんが消毒してくれて、『特別に』って」
奏介の言葉を聞き、過去のことが走馬灯のように蘇り、思わず声をあげてしまった。
「え? あの時のクソガキ?」
「クソガキではないっすけど…」
「チャリのサドルの上に乗って、窓から覗いてたよな?」
「そうっす。 いきなり『おい!』って言われて、ビビッてこけたんすよ」
「マジで!? あの時のクソガキが奏介だったのかよ! もっと早く言えよ!」
「何度も言ったんすけどね。 その度に『体験会』って言われて、『そういう事にしておこう』って思ったんすよ」
思わぬところですでに出会っていたことを知り、驚きを隠せないままでいた。
店長はキョトーンとした表情の後、ニヤッと笑いかけてくる。
「いやぁ~ 運命感じちゃうねぇ! 元世界チャンプに助けられた現世界チャンプ!」
「まだ世界チャンプじゃないっすよ。 来月っすよ来月」
二人は声をあげながら笑いあい、話続けていたんだけど、すぐ隣にいる奏介が、あの時の男の子だとは信じられず。
『あの時、「おい!」って言ったのは俺だ』と言うことも言えないまま、話しながら飲み続けていた。
店を後にし、二人並んで歩いていると、奏介が決心したように切り出してきた。
「カズさん、お願いあるんすけどいいっすか?」
「何?」
「世界チャンプになったら、千歳の居場所、教えてください。 …世界タイトルが終わったらの方がいいな」
「知らないって言ったら?」
「この前、ロードワーク行ったら、ヨシ君に会ったんすよ。 千歳の居場所聞いたら、『兄貴が知ってるから、兄貴に聞け』って言われたんす。 本当は今すぐ知りたいんすけど… ベルト持って会いに行こうと思ってます」
はっきりとそう言い切る奏介の目は、今までに無いくらいの強い意志を感じ、昔、親父に切り出されてミット打ちをさせてもらっていた時のように、目をキラキラと輝かせていた。
「わかった。 絶対勝てよ」
「うっす」
力強く返事をする奏介に、羨ましさを感じながら、ゆっくりと二人で帰路についていた。
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