第198話 帰国

翌日。


ショーンとのスパーリングの時に、昨日頭で考えていたことを実践してみることにしたんだけど、そう簡単にうまくいくわけもなく、ダウンしまくっていた。


『もっと足を使うべきか?』


そう思いながらヒットアンドアウェイを繰り返したんだけど、バックステップで逃げたところで俺の射程圏外に行くだけで、ショーンにとっては射程圏内。


他のメンバーの時はうまくいくのに、ショーンの時だけはうまくいかず、どうしたら良いかばかりを考える日々を過ごしていた。



夕食もジムのみんなで行くようになったし、二十歳の誕生日を迎えた後は、みんなに誘われ、少しずつ酒も飲むようになっていた。


ショーンはなぜか俺を気に入っているようで、昼になると毎日のように食事の誘いをしに来ては、弘人と3人で昼食を取りに行き、試合の後は二人で飲みに行くようにもなっていた。



帰国まであと数日に迫ったある日のこと。


ショーンとスパーをしているときに、思い切り態勢を低くし、一気に間合いを詰めた直後、ノーモーションで放った左ストレートがショーンの顎先にぶつかり、ショーンは膝から崩れ落ちるように倒れこんでいた。


頭で考えながら放ったのではなく、何も考えず、体が自然と動いていたんだけど、ヘビー級の巨体が倒れていることが信じられず。


「ショーン、大丈夫か?」


慌てて駆け寄りながら声をかけると、ショーンは大の字になったまま馬鹿笑いを始めていた。


「とうとうやられたな! 右ボディを見せたくせに、まさかのノーモーション左ストレート! 視線のフェイントにやられたよ!!」


「俺、全然無意識だったよ?」


「それでいい。 自然と体が動くんだから、頭でごちゃごちゃ考えるよりも、直感に頼っていけ。 英雄と一緒だ」


ショーンは満足そうにそう言いながら起き上がり、その日の夜は夕食を奢ってくれた。


その日以降、ショーンとスパーするときには直感を頼りにし、時々ダウンが取れるように。


ショーンやリッキーに『もうすぐ帰国する事』と告げると、二人やジムの面々は「帰るな」と言い始める始末。


けど、帰らないわけにもいかないし、まったくと言っていいほど連絡をしてこない千歳に文句を言いたい気持ちも大きかった。



荷物をすべて親父の会社に送った後、広い家に残ったのは、必要最小限の荷物だけ。


英雄さんから預かったグローブを手入れしながら、留学最終日を待ちわびていた。



海外留学最終日。


親父とジムに挨拶に行き、これから帰国することを告げると、リッキーやみんなは次々にハグをしながら別れの言葉を告げてきた。


弘人と握手をしながらお礼を言うと、弘人は目を潤ませながら切り出してきた。


「俺、来年帰るから、そしたら飯行こうぜ」


「ああ。 その時は割り勘な」


そう言った後、お互いに連絡先の交換をし、後ろ髪を引かれる思いで車に乗り込んだ。


『2年って、思ったよりも早いんだな…』


そんな風に思いながら車に揺られていると、親父が切り出してきた。


「向こうに帰ったら、とりあえず寮に入るけど良いんだよな?」


「ああ。 中田ジムまで通うよ」


「かなり遠いぞ?」


「電車で行くけど、まずは免許取りに行こうかと思ってるんだよね」


「そうか。 お前の養育費、手を出さずに残してあるから、それを使え」


「貰ってたんだ…」


「ああ。 向こうはすぐに再婚したから、俺が払う必要はなかったけどな。 もし、帰国した後にあの二人が近づいたら、すぐに連絡しろ。 接近禁止令が出てるから、遠慮はいらない」


まっすぐに前を向きながらはっきり言い切る親父の表情には、怒りに似たものが少しだけ感じ取れ、少しだけ怖くも感じていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る