第179話 冗談

朝のロードワークに英雄さんが参加した日から、毎朝二人でロードワークに出るように。


雨の日は、ジムで縄跳びをしていたんだけど、駆け足飛びをしていると、気まぐれでカズさんが様子を見に来て、腹筋を手伝ってくれたり、腕立てをしていると上に座ってきたり…


朝からかなりキツイトレーニングをし、ジムの手伝いや自分のトレーニングをする日々を過ごしていた。



毎日、千歳のお見舞いに行き、かっこいい曲を聞かせ合っていたんだけど、千歳は俺が聞かせた音楽を聴いた後、ボソッと呟くように告げてきた。


「入場曲っぽい…」


「入場曲?」


「なんでもない。 すごいかっこいいね!」


千歳は沈んだ気持ちを振り払うように、明るい笑顔を見せてくる。


無理に明るく振舞おうとしている千歳が悲しすぎて、自然と千歳を抱き寄せていた。


「奏介?」


「すげー好き。 マジで愛してる。 指輪、買いに行こう」


「指輪ってどっちの意味?」


「両方」


そう言った後に唇を重ね、強く抱きしめ合っていた。



あっという間に数日が過ぎ、千歳が退院する日。


英雄さんが車で迎えに行ったため、俺はジムで主婦層のトレーニングを見ている高山さんの手伝いをしていた。


少しすると、ジムの扉が開き、千歳が膝の感覚を確認するように、ゆっくりと中に入ってくる。


思わず千歳に近づこうとすると、背後から突き飛ばされ、柿沢さんが千歳に駆け寄っていた。


「ちーちゃん! 大丈夫なの!?」


「はぁ… まぁ…」


「もう! 階段から落ちたらどうするの! 無理しないでお家にいなきゃだめよ!! ホント、英雄さんったら気が利かないんだから!!」


「あ、あの! 自分から来ただけなんで…」


「だったら余計よ! 明後日、中学校の入学式でしょ!? お家で安静にしてなさい!!」


千歳は柿沢さんに勢い良く捲し立てられ、狼狽えることしかできない状態だったんだけど、柿沢さんは振り返るなり、俺に切り出してきた。


「奏ちゃん! ちーちゃんを送ってあげなさい!!」


「え? あ、はい」


千歳を抱えるようにジムを後にすると、千歳は不貞腐れながら小声でつぶやく。


「もう高3だっつーの…」


「柿沢さんの中では小学生のままみたいだな」


「いい加減、ちゃんとした年齢覚えてほしいよ…」


ブツブツ言う千歳の体を支えながら自宅に戻り、階段を上ろうとする千歳を横向きに抱きかかえると、千歳は驚いたように声を上げ、抱き着いてきた。


「ちょ! 何?」


「階段、危ないだろ?」


「大丈夫だって! 階段もリハビリの一種だよ? 自分で歩ける!」


千歳はそう言い切った後、腕からすり抜け、階段を上ろうとしていたんだけど、『転ぶんじゃないか?』と心配で心配で仕方がなく、いつでも抱きかかえられるように、千歳の後ろを歩いていた。


「本当に大丈夫だって!」


「なんかあったら怖いだろ?」


「心配しすぎ!」


千歳はそう言った直後、バランスを崩し、俺の胸に飛び込んでくる。


「ほら見ろ。 こけたじゃん」


はっきりとそう言い切ると、千歳は不貞腐れるように口を尖らせ、黙って自分の部屋にゆっくりと向かっていた。


千歳と一緒に部屋に入った後、千歳に切り出した。


「なんか欲しいものある?」


「うーん… そうだなぁ… 奏介が欲しいな」


千歳の言葉に思わず固まってしまうと、千歳はにっこりと笑いかけてきた。


「嘘。 冗談。 早く行かないと、柿沢さんが待ってるよ」


「あ、ああ… トレーニング終わったらまた来るな」


笑顔で手を振ってくる千歳に、後ろ髪を引かれる思いで部屋を後にしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る