第180話 甘え

春休みを終える前日。


荷物をまとめ、アパートに戻ろうとすると、英雄さんが切り出してきた。


「帰るのか?」


「はい。 明日から学校なんで帰ります」


「ここに居ろよ。 ちーもじいさんの家に住むし」


「え? おじいさんの家ですか?」


「あそこならバス通学できるし、バス停まで近いから、歩く距離も短くなるだろ?」


「それって千歳には話したんですか?」


「これから話す」


はっきりと言い切る英雄さんに不安を抱えながらも、英雄さんと二人で千歳の部屋へ。


『絶対揉める』


確信に近い気持ちのまま、英雄さんの話を聞いていると、千歳は英雄さんの話を聞くなりゆっくりと立ち上がり、荷物をまとめ始めていた。


『あれ? 揉めないんだ… あ、そっか。 リングに上がれないんだもんなぁ… そりゃ素直に従うしかないか』


少しがっかりとした心境のまま、千歳を車に乗せたんだけど、制服がアパートにあるため、結局同行することに。


車の中で、英雄さんから初のプロ公式戦についての話を聞き、千歳を送った後にアパートへ。


英雄さんと二人で部屋に入ると、親父が家の掃除をしていた。


「あれ? 帰ってたん?」


「ああ。 あれ!? 英雄さんじゃないですか!」


挨拶をした後、英雄さんの家に下宿していたことを英雄さんが告げると、親父は眉間の皺を深くし、千歳の話を聞くなり、更に皺を深くしていた。


「千歳のフォローをしてくれて、本当に助かってたんですよ!」


英雄さんが嬉しそうに声を上げると、親父が言いにくそうに切り出してきた。


「…奏介、そんな状態で海外に行けるのか? もし、本当に行くんだとしたら、早く手続きを進めないと行けなくなるぞ?」


確信をつく親父の言葉は、厳しい現実を叩きつけているように感じ、何も言えないままでいた。



今まで漠然とした中で『行く』と決めていたけど、準備を進めなきゃいけない時期に来てしまった。


今までだったら、千歳は『一人でも大丈夫』って思えてたし、『何があっても大丈夫』って思ってた。


けど、千歳は一人で歩くことすら思うようにいかず、階段を上ることだって苦労している状態だから、できれば千歳のそばで支えてあげたいし、二人でゆっくりと歩き続けたい。


でも、海外に行くとなると離れ離れになってしまうし、転んだ時に受け止めることだってできなくなってしまう。


けど、千歳と約束した『世界チャンプのベルト』は見せたいし、手に取って見せてあげたい。


でも、海外に行って、メンタル面をもっと鍛えないと、手の届かないものになってしまう。


けど……


でも……



頭の中が『けど』と『でも』でいっぱいになる中、言葉を発することができない。


「ゆっくり考えてる暇はないぞ」


親父にそう言い放たれ、何も言えないままでいた。



どうしたらいい?


どうするのがいい?



頭の中で迷い続けていると、英雄さんがポンと肩を叩き、切り出してきた。


「行け。 行かないと後悔する。 今は術後すぐだから満足に歩けないけど、8か月もあればスポーツ復帰できるって話だし、ちーなら大丈夫だ」


「ち、違うんすよ! 俺… ボクシング始めたきっかけも千歳だし、プロになれたのも千歳が鍛えてくれたおかげだし… 本当に大事で、大切なんです。 だから、困ったときには支えたいし、受け止めたいんです!」


「お前はそう言って千歳に甘えてるだけだ。 本気で世界チャンプになりたいなら、甘えを捨てろ。 甘えを捨てるために海外に行け」


英雄さんから突き放すようにそう言い切られ、拳を握りしめることしかできなかった。



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