第167話 ゾーン

放課後になっても迷いを振り切ることができず、部活の最中も迷ったまま。


部活を終えた後、黙ったまま家に向かっていると、隣に並んで歩いていた千歳が切り出してきた。


「プロテストのこと、まだ迷ってる?」


「うん… どうしよっかなぁってさ」


ため息交じりに言い切ると、千歳は少し考えた後に切り出してきた。


「光君に相談してみたらどうかな? 高校生プロボクサーだったし、確か高校にボクシング部があったはずだよ」


千歳の口から出てきた『光君』の言葉に、軽くイラっとしてしまう。


「あ… 千歳が『光君』って言うとちょっとムカつく」


「は? なんで? 名前じゃん」


「わかってるんだけど、軽くイラっとした。 合宿の時、なんもされてないよな?」


「されてない。 大体、光君は奥さんがいるんだよ? してくるわけないじゃん」


「そうとは限んないじゃん…」


「限る。 光君はカズ兄のお兄ちゃんみたいな感じだし、奏介が心配するようなことは全然無いよ。 それに、父さんの恐ろしいところ、全部知ってるんだよ? 奥さんがいるのに私になんかしてきたら、命がいくつあっても足りないって知ってるよ」


「そっか… じゃあこうしようぜ。 お互い隠し事はしないで何でも話す。 もし、光君になんか言われたりされたりしたら、すぐ俺に言って。 その場で専属解消するし、英雄さんにも報告するから」


「ん。 わかった」


千歳はそう言いながらにっこりと笑いかけ、肩を並べて歩き続けていた。



翌日。


学校を終え、ジムに飛び込むと、光君が歩み寄り切り出してきた。


「下行こうぜ」


光君の後を追いかけ、事務所にあるソファに座ると、光君はソファに座っていた英雄さんの隣に座り、光君が切り出してきた。


「プロテストの件、迷ってるんだって?」


「はい…」


「プロテストもいいけど、リッキーの所に行けよ」


「リッキー? リッキーってあのジムっすか?」


「そそ。 親父さんが住んでるところから近いんだろ? あそこに行けばヘビー級の選手もいっぱいいるし、今よりはるかにレベルアップする」


「俺、海外に行く気はないっすよ?」


「世界チャンプになりたいなら行けよ。 技術面で言うと、お前に教えることはほとんどない。 でも、世界チャンプレベルになれるかって言ったら、絶対に無理だ」


「何でですか?」


「メンタルが弱い。 いったん中田ジムから離れて、メンタルを鍛えなおせ」


「何でここじゃダメなんですか?」


「英雄さんがいるから。 トレーニング中、英雄さんが気になってゾーンに入り切れてないだろ?」


「ゾーンすか?」


「集中力が最大限に高まった状態のことだよ。 徐々にゾーン状態になっていくけど、ゴングが鳴った瞬間にゾーンに入れないようじゃ、世界チャンプにはなれない」


光君にはっきりと言い切られ、何も言えないでいると、英雄さんがため息をついた後に切り出してきた。


「奏介、お前は何のために世界チャンプになりたいんだ? 俺を超えるためか? 俺に近づくためか? それとも、自分自身のためか?」


英雄さんに切り出され、真っ先に浮かんだのが千歳の笑顔だったんだけど、そんなことを言える訳もなく、小声で答えていた。


「…全部です」


「そうか。 …高校卒業したら海外に行け」


「え? なんで?」


「俺を超えるためだ。 俺を超えたいなら海外に行って、メンタルを鍛え直してこい」


「…海外じゃなきゃダメなんですか?」


「駄目だ」


英雄さんにはっきりと言い切られ、見放されているような気がして仕方なかった。



『海外? 俺が一人で? …千歳は? 千歳とはどうすりゃいいの?』



言葉にできないことばかりが頭の中を繰り返し、言葉が出ないままでいた。

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