第110話 お礼
主婦層のトレーニングの時間帯は、吉野さんのサポートに徹していたんだけど、千歳は現れることなく、時々、英雄さんが様子を見に来るだけ。
ジムを掃除し、昼になると同時に、吉野さんは自宅に戻り、俺は英雄さんと自宅で昼食を食べることになっていたんだけど、急いでコンビニまで走り、多めに振り込まれていた金を下ろしていた。
走って自宅に戻り、金の入った封筒をお母さんに渡すと、お母さんは拒否するばかり。
「下宿代を渡すように親父から言われたんですって!」
「駄目よ! ジムでバイトしてくれてるんでしょ!? 受け取れません!!」
「でも、渡せって言われたんです!」
「お父さんもいらないって言ってよ!!」
お母さんは縋るような眼で英雄さんを見ていたんだけど、英雄さんと千歳は黙って食事をとるばかり。
「もう! 二人とも奏介君を止めてよ!!」
お母さんが怒鳴るように言うと、千歳が口を開いた。
「ごちそうさまでした」
千歳は使い終わった食器を流しに置き、さっさと2階に上がってしまう。
英雄さんも全く同じ行動をし、さっさとジムに行ってしまった。
『薄情だ…』
そう思っていると、お母さんが切り出してくる。
「早く食べて! 午後からトレーニングなんでしょ!?」
封筒を渡すことをあきらめ、急いで食事をとった後、3人分の食器を洗っていた。
「お皿洗いしてくれるだけで充分だからね!」
お母さんははっきりそう言うと、奥の部屋に逃げてしまう。
皿洗いを終え、千歳の部屋に入ると、千歳がいきなり切り出してきた。
「ばーか」
「なんで?」
「いきなりお金渡されたって受け取るわけないじゃん。 ああ言うときは無理やり押し付けるか、別の形で渡さなきゃだめだよ」
「別の形って?」
「お母さんが一番喜ぶのはお米かな? 時間帯は違うけど、カズ兄とヨシ兄も食べるし、みんなスポーツマンだからめっちゃ食べるし、米の消費量は半端じゃないよ」
「米か…」
「そこの角を曲がった向こうにお米屋さんがあるんだけど、『中田です』って言えばいつも買ってるお米、出してくれるよ」
「行ってくるわ。 サンキュ」
そう言った後、自宅を飛び出し、20キロの米を買って自宅に戻った。
玄関に入ると、お母さんは驚いた表情で米を見た後、嬉しそうに口を開いた。
「買ってきてくれたの?」
「はい。 他にも必要なものがあったら、何でも言ってください」
「ホント、嬉しい事ばかりしてくれるわよねぇ。 千歳にも見習ってほしいわ」
お母さんは嬉しそうな表情をし、千歳の愚痴を言うばかりだった。
その後、ジムに行くと、広瀬から移籍してきた陸人と学たちが、高山さんの指導の下、トレーニングをしていた。
『あいつら中学生だよな? 受験、いいのかな?』
そう思いながら高山さんのサポートをしていると、中学生たちのトレーニング時間を終え、ジムに部員たちが集まりトレーニング開始。
部員たちが中に入ると同時に、千歳がジムに来たんだけど、千歳は薫から差し出されたファイルを見ながら話すばかりで、こっちを見ようともしなかった。
「奏介、腹筋するぞ」
英雄さんに切り出され、畠山君の腹を殴り、殴り返される。
その後、高山さん相手にミット打ちをしていると、千歳がリングに上がり切り出してきた。
「へたくそ」
「は?」
「そんな大振りのパンチじゃ躱されるに決まってんじゃん。 腕の引きが大きすぎるんだよ。 もっと足を動かして、踏み込みと同時に打ちな」
千歳から言われたとおりにやってみたんだけど、どうしてもうまくいかない。
高山さんはミットを受けながら、なぜか嬉しそうな顔をするばかりだった。
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