第109話 人違い
千歳の悲惨な思い出話を聞いた翌朝。
まだ日の上っていない時間に千歳に叩き起こされ、ストレッチをした後、朝から二人でロードワークに出ていた。
真っ暗な中、街灯を頼りに走り、土手沿いに出ると、街灯が水面に反射して、キラキラと光の粒を放ちながら、暗闇の中に溶け込んでいく。
土手に着くと同時に、自転車に乗っていた英雄さんは、突然声を上げた。
「横!」
『は?』
疑問に思っていたんだけど、千歳は声に反応するように右を向き、体を横に向けたまま走り続ける。
千歳の真似をし、横を向いたまま走っていると、今度は「後ろ!」と声が聞こえ、声に反応するように後ろ向きに走り始める。
再度「横!」と声が聞こえ、左を向いたまま走り続けていた。
「ダッシュ!!」
英雄さんの声がすると同時に、千歳は正面を向いて勢いよく走り始め、あっという間にはるか遠くへ。
『置いていくんじゃねぇよ!!』
千歳の背中を追いかけ、勢いよく走りだした。
初めて、千歳がいつも熟している朝のトレーニングに同行させてもらい、何の説明もされていないうちから走り始めたんだけど、うろたえるよりも、千歳の早いペースを追いかけるので必死だった。
けど、千歳はペースを落とすことなく走り続け、目の前を走っていた背中は見えない状態に。
10キロのロードワークを終え、自宅の庭に駆け込むと、千歳は止めてあった自転車の荷台に座り、退屈そうに待っていた。
千歳の前にしゃがみ込みながら、必死で呼吸を整えていると、自転車を止めた英雄さんは、ストップウォッチを見てうなり声をあげていた。
「47分23秒… まずは45分切ることを目標にしろ」
「わかり… ました…」
肩で息をしながら返事をすると、英雄さんは何も言わずに中に入ってしまい、千歳と二人で筋トレを開始。
筋トレをした後、ストレッチをし終えると、千歳が切り出してきた。
「シャワー先に行く?」
「いや、後でいいよ」
千歳は何も言わず、家の中に向かおうとし、千歳の背中を追いかけていた。
シャワーを浴び、朝食を取っていると、英雄さんが切り出してきた。
「奏介、午前中は主婦会員のトレーニングだけど、ダイエット目的だし、吉野がメインで見てるから、サポートしてやれ」
皿洗いを終えた後、英雄さんと二人でジムの1階にある事務所に行き、吉野さんと3人で話していた。
しばらくすると、数名の主婦の人たちがジムに来たんだけど、その中の一人の女性がどこかで見たことのある感じがする。
『どこで見たんだっけなぁ…』
不思議に思いながら考えていると、その人は俺に駆け寄り切り出してきた。
「光君じゃない!! この前だっていきなり居なくなるし、本当に心配したんだからね!!」
「柿沢さん、これは光じゃないよ。 似てるけど、奏介っていうの」
吉野さんの言葉を聞き、柿沢さんは俺の顔をマジマジと見てくる。
「え? この前会ったわよね? 英雄さんの家を探してたじゃない。 家が更地になってて呆然としてたでしょ?」
柿沢さんの言葉で、中学の時、紙に書かれた住所を頼りに向かった先で、英雄さんと千歳のヒントを与えてくれた人だと思い出し、思わず声を上げてしまった。
「ああ! あの時の!!」
「そうよ! 吉野さんに話して、案内してもらおうと思ったら居なくなってたんだもの! 急にいなくなってたから、誘拐されちゃったんじゃないかって思ったわよ!」
柿沢さんはそう言いながら、俺の腕をバシバシと叩いてくる。
苦笑いを浮かべながらも、なぜか気に入られてしまった柿沢さんの相手ばかりをしていた。
柿沢さんが帰った後、吉野さんが切り出してきた。
「会ったことあるのか?」
「中学の時、千歳の家に行ったんですよ。 でも、更地になってて…」
「ああ。 二つ先の通りに住んでた時か。 びっくりしたろ? 東条ジムから独立した人が、ジムを辞めるって話したら、英雄さんがすぐに食いついて、そのまま中田ジムにしたんだよ。 居抜き物件ってやつ。 いきなりジムを立ち上げるって言うから、また血迷ってるのかと思ったら本気だったんだ。 去年の秋に、新しく駅ができて、最寄り駅も変わったからなぁ」
吉野さんはそのまま思い出話を続けてしまい、納得しながら話を聞き続けていた。
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