第98話 逃走

千歳との距離を感じながら自宅に戻り、準備を終えた後、寂しさを振り払うように走り始めた。


かなり遠回りをして10キロを走り切り、呼吸を整えながらジムに入ると、英雄さんが切り出してきた。


「10キロ何分くらいだった?」


「50分かかってないくらいです」


「まずは40分台を目指せ」


「わかりました」


はっきりそう言い切ると、英雄さんはなぜかグローブを智也君にはめてもらい、俺の前に立ち塞がる。


『もしかしてスパーリングしてくれる?』


ウキウキしながら次の言葉を待っていると、英雄さんが切り出してきた。


「両手を頭の後ろで組め」


不思議に思いながら言われた通りにした瞬間、英雄さんのパンチがみぞおちに突き刺さり、思わず腹を抱えてうずくまった。


「お前なぁ…。 1発でダウンしてどうすんだよ? 撃たれ慣れなきゃダメだろ?」



『説明してから殴ろうよ…』


息が詰まって声に出すことができずにいたんだけど、少し経った後に立ち上がり、容赦なく撃ち込まれるパンチを受け続けていた。



「今日からジムでの腹筋は、このスタイルで行くからな。 手の空いてるやつとペア組んで、10回殴られたら10回殴り返せ。 これを10セットだ。 無理そうだったら途中で座っていいからな」


英雄さんは笑顔でそう言いながら、うずくまる俺の肩を軽く叩き、当然のように智也君のもとへ向かっていた。



普段よりもハードなトレーニングを終え、クタクタになりながら自宅に戻り、弁当を食べた後にシャワーを浴びた。


『あの腹筋って、一段階上のトレーニングってことなのかな?』


疑問に思いながらシャワーを浴び終え、冷蔵庫を開けるとスポーツドリンクが無くなっていた。


仕方なく、コンビニに行き、スポーツドリンクを買った後に店を出ると、千歳が目の前を駆け抜けていた。


「千歳!!」


慌てて声をかけると、千歳は足を止めて膝に手をつき、肩で息をしている。


千歳に歩み寄りながら切り出した。


「ロードワーク?」


「やばい!! 春香が来る!!」


「え? なんで?」


「でかいボストンバック持って奏介の家に向かってた!! 急いで逃げなきゃ!! うち来て! 急いで!!」


千歳は汗を拭うことなく、慌てたように俺の腕を引っ張り、ジムのほうへ駆け出そうとした。



『春香が? なんで急に? 今まで何の連絡もなかったのに… って、拒否ってたからわかんなかったのか… ていうか、こんな汗だくになるくらい、走ってきてくれたってこと? めちゃめちゃ嬉しいんだけど』



千歳の手をそっと振り払ってすぐ、千歳の手を握りしめた。


「急げ」


そう言い切る間際に千歳は俺の手をぎゅっと握りしめて走り出す。


煌びやかなネオンが光る中、千歳の速いペースに合わせ、二人で手をつないで走り続けていた。

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