第51話 合宿

シャワーを浴びた後、夕食をとり、みんなで雑談をしていたんだけど、中田ジムの人たちには話しかけることができず。


部員たちだけで集まり、話していたんだけど、隣の部屋にいる英雄さんのことが気になって仕方ない。


隣の部屋に行こうか考えていると、スマホが鳴り『千尋』の文字が浮かび上がる。


ため息をつきながら立ち上がり、入り口横にある花壇に腰掛け、電話に出ていた。


電話に出ると同時に、千尋の泣き声が聞こえてくる。


「なんで合宿行っちゃうの?」


「前から行くって言ってたろ?」


「サボってってお願いしたじゃん…」


「サボれないとも言った」


蚊の羽音と、泣きながら話す千尋にうんざりしていると、突然、ヨシ君が蚊取り線香を持って現れ、黙ったまま俺の左側に置いてくれた。


軽く会釈をしながら話していると、再度ヨシ君が現れ、蚊取り線香を右側にも置いてくれる。


ヨシ君のおかげで、蚊の羽音からは解放されたんだけど、千尋の泣き声からは解放されず。


『ヨシ君優しくね? 本当にこの人が千尋に暴力を? しっかしいつまでも泣いてるし、ホント鬱陶しいな… つーか煙くね?』


そう思いながら後ろを振り返ると、そこには蚊取り線香が、俺を囲むように5つも並び、モクモクと煙を立てている。


計7つの蚊取り線香に囲まれてしまい、少し離れた場所に移動したんだけど、ヨシ君は新たな蚊取り線香を持って俺の前に現れ、俺の周囲を囲み始める。


『いやいや… 多すぎだろ?』


思わずその場を離れると、再度ヨシ君が新しい蚊取り線香をもって現れ、俺の周囲に置き去っていた。


『なんなのあの人…』


気を使ってくれるのは嬉しいんだけど、かなりやりすぎだし、目を開けているのも一苦労。


泣きながら話す千尋に、言葉を発しようとすると、煙が気管に入り、咳き込んでしまった。


慌てて入り口の中に飛び込むと、煙の立った蚊取り線香を持ったヨシ君と目が合う。


ヨシ君は「あ…」とだけ言うと、手に持っていた蚊取り線香を入り口に置き、部屋に戻っていった。



それ以降、ヨシ君が現れることはなく、やっと部屋に戻れたのが0時過ぎ。


そのまま寝ようと思ったんだけど、体が線香臭くてなかなか寝付けず。


なんとか我慢をし、やっと寝付いたと思ったら、薫に叩き起こされ、朝からロードワーク開始。


クタクタになりながらも、英雄さんが切り出し、ミット打ちをさせてもらったんだけど、かなり昔にミット打ちをさせてもらった時よりも、比べ物にならないほどに厳しく、ミットで普通に殴り飛ばされる始末。


痛みや辛さよりも、感動の方が大きく、どんなに殴られても立ち上がり続けていた。



その日の夜も、当たり前のように電話が鳴り、昨日と同じ場所に座って電話をしていたんだけど、相変わらず千尋は泣きながら話すせいで、かなりうんざりしていた。


すると、ヨシ君が蚊取り線香を一つだけ持って現れ、俺の左側に置く。


嫌な予感がしていると、ヨシ君は俺の前を通り過ぎ、どこかへ行ってしまった。


しばらくすると、ヨシ君は2本のコーラを手に持ち、戻ってきたんだけど、そのうちの1本の蓋を軽く開け、俺の横に置いていた。


軽く会釈をすると、ヨシ君はそのまま中に入っていったんだけど、話しながら片手で蓋を開けた途端、コーラは勢いよく吹き出し、慌ててその場を逃げ出した。


『何? え? どういうこと?』


呆然としながらコーラの方を見ていると、入り口の奥から笑い声が聞こえ、視線を向けるとヨシ君と智也君が、俺を見ながらゲラゲラ笑っていた。


『悪魔だ…』


泣きじゃくる千尋の声に耳も傾けず、楽しそうに笑いあう二人を見て、かなり羨ましく思えていた。

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