第49話 雨

雨の降りしきる中、自宅に走って戻ると、玄関の前に千尋が座り込んでいた。


黙ったまま鍵を開けようとすると、千尋はすっと立ち上がり、当然のように俺を追い越し、中に入り、俺の着替えを準備しようとする。


「…英雄さんに会った」


それだけ言うと、千尋の動きはピタッと止まり、俺の顔を見て切り出した。


「あ、洗濯もしなきゃね! 風邪ひいちゃう」


「なんですぐそこに英雄さんの家があんの?」


「言ったじゃん。 離婚したって」


「お前さ、姉貴がいるって言ってたよな? 英雄さんの家に、娘は『千尋だけ』って言ってたぞ?」


「さ、再婚相手の子供だよ」


話せば話すほど、英雄さんから聞いた話とはかけ離れ、どんどんボロが出るように。


「ファイティングポーズ取れよ。 それを見ればわかる」


「だからさ、ボクシングの話はしないでって、何回言えばわかるの?」


「何回ここに来るなって言えばわかんの? 俺、距離を置きたいって言ったよな? なんで毎日連絡すんの?」


はっきりとそう言い切ると、千尋は大きくため息をつき、切り出してきた。


「…本当はね、隠し子なの。 私とお姉ちゃん…」


「隠し子?」


「うん。 元々、お父さんには本妻との間に息子が二人いたんだけど、それとは別にお姉ちゃんがいて、私が生まれて… 離婚して再婚もしたんだよ? けど、本妻の人に無理やり別れさせられて…

お父さん、すごく嫌がってたんだけど、お兄ちゃんたちも来るようになって、暴力受けるようになって、離れ離れになっちゃった… その時に大怪我して、ボクシングを続けられなくなったの。 離婚した後も、お兄ちゃんが学校に来るようになって、行くのが怖いんだ。 ボクシングの話を聞くと、その時のことを思い出しちゃうから… もう、聞きたくない…」



涙をこぼしながら話してくる千尋に、何も言えないでいた。



今まで憧れていた、優しくてかっこいい英雄さんは、音もなく崩れ落ち、最悪の気分だけが胸に残る。


料理の美味い、優しそうな奥さんも、裏では凶悪なことをしていたのかと思うと、嫌悪感ばかりが募っていく。



『お兄さんって義人くんのことだよな… あの、ヨシって呼ばれてた人? 確かに、かなり強いし、どこか自信満々で、ボクシング場にも賞状が何枚も飾ってあるし… そんな人に暴力受けたら、思い出したくなくなるよな…』



千尋を見つめながら考えていると、千尋は涙を流しながら、何度も謝罪をしてくる。


「ごめんね。 今まで言えなくてごめんね」


「…いいよ。 本当のことが知りたかっただけだから」


「…もう隠し事はしないから。 ちゃんと全部話すから」


「わかった」


それだけ言うと、千尋は俺に抱き着いてきたんだけど、妙な違和感が胸に残り、縄跳びをしている中田の後ろ姿が頭をよぎる。



『中田が千尋だったら良かったのに… 千尋があいつだったら良かったのに…』



雨の降りしきる音の中、抱き着きながら泣きじゃくる千尋のことを、ぼーっと眺めながら、中田のことばかりを考えていた。

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