第8話 隙間

しばらく英雄さんの構えるミットを殴っていたんだけど、英雄さんはふと後ろを振り返り、「ちょっと休憩してろ」と言い、ちーの方へ駆け出した。


英雄さんは何かを話した後、ちーの腕を掴んで動かし、構えさせていた。


『こうかな…』


ちーの真似してファイティングポーズをとっていると、英雄さんは慌てたように俺に駆け寄り切り出してくる。


「もう危ないことするなよ」


「…また来てもいい?」


「今日は特別だから中に入れたけど、もう入れないぞ?」


「ボクシング始めたら来てもいい?」


「そうだな… 高校生になったら入るといいぞ」


「なんで?」


「あんまり早くから始めると、筋肉が邪魔して背が伸びなくなるんだよ。 それまでは火、木、土って駆け足跳びしてろ。 ロードワークは車が危ないからな。 毎日牛乳飲むのも忘れるなよ。 それと、今日のことはみんなに内緒な。 約束だぞ」


英雄さんはそう言った後、俺の頭をグシャグシャっと撫で、裏口から外に出していた。



『火、木、土か… 駆け足飛び、練習しなきゃ』



そう思いながら正面に回り、人ごみの隙間からガラスの壁の向こうにいるちーを眺めていた。



帰宅後、自宅の庭で駆け足飛びの練習をしていると、親父が「学校で駆け足飛びやるのか?」と切り出してきた。


「ううん。 英雄さんに言われた」


「英雄さん? どこの?」


「と、友達のお父さんだよ!」


「そうか。 いつも遊んでもらってるのか?」


「ううん。 たまに…」


「そうか。 今度、お礼言いに行かないとな」


親父は寂しそうな表情でそう言い、俺は駆け足飛びの練習を続けていた。



翌日。


同級生3人で話しながら廊下を歩いていると、髪の長い女の子が目の前を通り過ぎた。


「あれ? あいつ…」


そう言いかけると、同級生の一人が切り出してきた。


「あいつ、ちょっと前に転校してきた中田って言うんだよ。 中田英雄と同じでずるくね?」


『ちーだ!!!』


慌ててちーに駆け寄り「駆け足飛びってどうやるの!?」と切り出す。


ちーはチラッとこっちを見ただけで、何も言わず、俺の前を素通り。


「待ってって! 駆け足飛び、どうやるのか教えてよ!」


どんなに大声で聞いても、ちーは完全に聞こえないふりをし、自分の教室に入ってしまった。



放課後。


玄関にランドセルを放り投げた後、ジムに向かって駆け出したんだけど、人がいっぱいで中を見ることができず。


人の隙間を強引に入り込み、ガラスの壁に張り付くと、ジムの端ではちーがミットを蹴っていた。


小さな体でファイティングポーズをとり、必死にミットを蹴るその姿は、英雄さん以上にキラキラと輝き、カッコよすぎるくらいかっこよく見えていた。



来る日も来る日も、学校でちーに話しかけたんだけど、聞こえないふりをされるばかり。


放課後は、ジムを覗きに行き、人の隙間からちーのことを見ていた。



『俺もがんばったら、あんな風にかっこよくなれるかな? がんばったら、英雄さんみたいにチャンピオンになれるかな?』


そんな風に思いながら、火、木、土の3日間、ジムから帰ると、駆け足飛びをし続けていた。

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