第3話 日常

「カズ、父さんがちーをジムに連れて来いって言ってたわよ」


帰宅するなり聞こえてきた母親の言葉に、大きくため息をついた。


「自分で連れて行けよ…」


軽く呆れながら自室に行き、荷物を持ってリビングに行くと、妹の千歳は宿題をしている。


「ちー、行くぞ」


千歳は俺の言葉を合図に、黙ったまま宿題をランドセルの中にしまい込み、荷物を持って玄関に駆け出していた。


『なんとか言えっつーの』


玄関を出ると、千歳は制服の袖をしっかりと握りしめ、黙ったままジムに向かう。



千歳は未熟児で産まれたせいか、他の子に比べて体も小さければ、言葉も遅い。


乳幼児の時から、人見知りの激しかったせいか、幼稚園でも友達がなかなかできず。


試合前になると親父が1か月ほど帰ってこないため、親父に対しても人見知りをしている。


それが焦りになっているのか、喋らない事に苛立っているのか、親父は千歳に対し、かなり辛く当たっていた。



千歳と二人で歩き、ジムが見えると同時に、3人の男の子がしゃがみ込み、ガラスの壁にくっついているのが視界に飛び込んだ。


何も気にしないまま中に入り、リングの上に立つ親父に切り出した。


「連れてきた」


「おお。 サンキュ。 ちー、端っこで縄跳びしてろ」


千歳は黙ったままうなずき、カバンからピンク色の縄跳びを出して飛び始める。


『よくやるわ…』


そう思いながら、2階にある更衣室に向かって駆け出していた。


更衣室に入ると、1個上の光君が切り出してくる。


「子守か?」


「連れて来いって。 何がしたいんだかな」


「女性プロボクサーもかっこよくね?」


「どうだかねぇ…」


話しながら着替え終え、更衣室を後にすると、制服姿の桜が更衣室に駆け込んでいた。


「桜も女性プロボクサー候補じゃん」


「桜とちーは違うっしょ。 ちーはまだ1年だし、桜は中2」


「将来、ちーも桜みたくなったりしてな」


「させないためにキック教えてんの」


そう言いながら階段を下りると、入り口では弟の義人が、3人に向かって何かを言っていた。


なんとなくドアに近づくと、次第にその声が大きくなり、何を話しているのかが聞き取れた。


「お前ら何してんの?」


「英雄見てんの」


「何年?」


「1年」


「ガキだからジムに通えないんだ。 ダッセ」


ガラスの壁にくっついている1年生3人を、馬鹿にしているヨシの首根っこをつかむと、ヨシは『ヤベ!』と言いたげな表情をしていた。


「トレーニング」


それだけ言うと、ヨシは逃げるように中に飛び込み、黙ったまま中に入った。


縄跳びに悪戦苦闘する千歳の隣でストレッチをした後、吉野さんの持つミットを蹴り続ける。


吉野さんの合図でミット打ちを終えると、吉野さんが「プロテストの結果来てたぞ」と切り出し、呼吸を整えながら聞いていた。


「どうでした?」


「合格。 光も受かってたよ」


「そっか…」


大きく深呼吸をした後、リングを降り、ベンチに座ると、親父は千歳の腕をつかみ、ファイティングポーズを取らせようとしている。


何も気にしないままタオルで汗を拭うと、ヨシは鏡に向かってシャドウボクシングを始めていた。



帰宅後も、親父は手にミットをはめ、千歳にファイティングポーズの取り方や、パンチの出し方を教え、千歳は何も言わずにそれに従うだけ。


「違う! パンチを出したらすぐに引け! 違う! すぐに引くんだよ!!」


親父は徐々に口調が強くなり、怒鳴りつけながら指導をし始めると、千歳は目にいっぱいの涙を溜める。


千歳の涙が頬を伝った瞬間、親父の右手が千歳の肩を弾き、千歳は簡単に弾き飛ばされていた。


「泣くな! 泣いても強くならねぇぞ!!」


母さんは呆れてものが言えないって感じだし、ヨシはビビッて気配を消している。


『無茶苦茶すぎる…』


そう思いながら日常的に行われる風景を眺めていた。

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